第115話「王都からの便り」
第115話「王都からの便り」
結婚式から十日が経った頃、まとめて手紙が届いた。
王都からの荷物には手紙が三通入っていた。クラウス兄様の封筒、父ヴィルヘルムの封筒、そしてシュテファン陛下の紋章が押された書状。
それに、ルドルフからの添え状が一枚。
朝のお茶の後、わたくしは執務室の窓際に座って、順に開いた。
最初はクラウス兄様からの手紙だ。几帳面な文字が、いつも通り整然と並んでいた。
「エリナへ。
婚礼から十日、辺境はどうか。王都はあいかわらず会合が多い。お前がいた頃より社交の場が静かな気がするのは気のせいではないだろう。
先日、隣家のシュナイダー卿が婚礼の祝いを持ってきた。お前と辺境伯のことは王都でもよく知られている。ラウエン家の令嬢が『まさかエリナ様があんなに素敵なご縁に』と申していた。まあ、お前の実力を知らなかったのはその令嬢くらいだったが。
正直に言う。お前がいなくて、寂しい。父上も同じだろうが、あの人は絶対に言わないから俺が代わりに言う。
だが——婚礼の後、お前の顔を見た。幸せそうで何よりだった。もう何も言えなかった。
今度はそちらに行く。辺境の燻製サーモンを食べに行くための口実を考えておいてくれ。
クラウス」
読み終えて、わたくしは少し笑った。
兄様らしい手紙だ。「寂しい」という言葉の前後を用件で挟んで、最後まで照れている。でも全部ちゃんと伝わっている。
(兄様が来る)
カイン様とどんな顔をして過ごすのか、想像すると可笑しかった。「殺すのは永久に保留」と言いながら乾杯した兄様と、「……ありがたい」と真顔で答えたカイン様の顔を思い出す。
次は父の封筒を開いた。
父の文字は、クラウス兄様に比べると少し荒い。でも、今日は丁寧に書かれていた。
---
「エリナへ。
婚礼は目に焼きついている。お前が歩いてくる姿を見たとき、母上の面影があった。思いがけなくて、参った。
帰京後、墓前に報告した。お前の母上の墓に。
マルグリット——我々の娘は、花嫁になったぞ、と言った。
何年ぶりかに、長く墓前に座った。言うべきことが多すぎて、うまく言えなかった。母上は昔から、口下手な俺の話を、ずっと待っていてくれる人だった。今日も、待っていてくれた気がした。
お前のヴェールの話もした。あのヴェールを使ってくれたことを、母上は喜んでいると思う。
辺境の花が見たかった、とお前の母上は言っていた。お前が辺境で見ているものを、今は母上に伝えてやれる。
ヴィルヘルム」
手紙を持ったまま、わたくしは動けなかった。
父が墓前に報告した。マルグリット様の前で、わたくしの結婚を話した。
(お母様)
記憶のない母だ。顔は肖像画でしか知らない。病で早くに亡くなって、わたくしには記憶がほとんど残っていない。でも——その人が、辺境の花を見たかったと言っていた。その娘が、辺境で花嫁になった。
ヨハンナが「笑顔の多い場所へ連れて行ってあげて」というマルグリット様の言葉を伝えてくれたとき、わたくしは泣いた。あの夜のことを思い出した。
窓の外で、春の風が木の枝を揺らした。
光が変わった気がした。うまく言えないが、ほんの少し、空気が柔らかくなったような気がした。
目の奥が熱くなった。涙がこぼれそうで、こぼれなかった。ぎりぎりのところで目を見開いたら、視界がぼやけた。
泣いてもいい、とわたくしは思った。ヨハンナが言ったように、泣いてもいい場所がある。
でも今は——少しだけ笑っていたかった。父が、母の墓前で、娘の花嫁の話をしてくれた。それが、嬉しかったから。
三通目は、シュテファン陛下の書状だった。
新国王の紋章。即位後の公文書形式の手紙だ。
---
「辺境伯夫人エリナ・ドラクロワ殿へ。
婚礼の報告を受けた。辺境伯カイン・ドラクロワ殿とともに、末永く辺境を治めてほしい。
さて、本件はその慶事とは別の話だ。
先ごろ、辺境伯領の統治記録を改めて検分した。農業生産量の改善、交易路の整備、鉱業と水産業の連携、温泉を利用した療養施設の試案。これらはいずれも、辺境赴任後の短期間に実施されたものと記録にある。
王国はあなたを必要としている。辺境での成果を、他の地にも広めてほしい。具体的な方法については追って協議したい。
それと——個人的に一つ申し添える。お前が辺境に向かう馬車を見送った日のことを覚えているか。あの日、お前が俯かずに前を向いていたことを、俺はずっと覚えている。
シュテファン(陛下の署名)」
後半だけ、口調が変わっていた。「お前」「俺」。陛下の書状なのに。
シュテファン陛下は、今も昔も、あまり変わらない人だ。
(王国が必要としている)
辺境の成果を他の地に。次の仕事がある。まだ、やることがある。
手紙を三通、揃えて机の上に置いた。
クラウス兄様は来ると言っている。父は母の墓前に報告した。陛下は次の仕事を示してくれた。
最後に、ルドルフの添え状を開いた。
商人らしい簡潔な文字で書かれていた。
「アルフレート殿の噂が少し入ってきたので、念のため知らせる。蟄居先で本を読み始めたらしい。政治の本だけでなく、農業の本も手にとっているとのこと。本人から確認したわけではないが——まあ、それだけだ。R」
農業の本。
わたくしはその行を、もう一度読んだ。
(土を学ぼうとしているのかしら)
政治の失敗の後に、農業の本を読み始めた。それが何を意味するのか、わたくしには判断できない。
恨んでいないと言った。許すとも言わなかった。あの人のしたことは、あの人が引き受けるものだと言った。だから今は、ただ「そうか」と思うだけだ。それ以上でも、以下でもない。
付箋をそっと畳んで、三通の手紙の下に挟んだ。
窓の外で、大河が光っていた。春の日差しが川面に当たって、白く跳ねている。
カイン様が扉を開けて入ってきた。
「昼の支度ができたそうだ」
「ありがとうございます。——少し、待ってください」
カイン様が部屋に入ってきた。机の上の手紙を見た。
「王都から」
「ええ。クラウス兄様と、父と、シュテファン陛下から」
わたくしは父の手紙を取り出した。
「父が——母上の墓前に報告したと書いてありました。わたくしが花嫁になったことを」
カイン様が手紙を見た。読んだかどうかはわからない。でも、静かに聞いていた。
「それから——『辺境の花が見たかった、とお前の母上は言っていた』と」
カイン様が少し間を置いた。
「……そうか」
短い言葉だった。でも、その「そうか」には、何かが込められていた気がした。リーゼロッテ様も、辺境に花を咲かせたかった人だ。その人の息子が、今わたくしの隣に立っている。
「カイン様。お母様のことと、わたくしの母上のことを、少し話しても良いですか」
「……ああ」
カイン様が椅子を引いて座った。
わたくしはゆっくりと話した。ヨハンナが語ってくれたマルグリット様のこと。リーゼロッテ様との学友時代のこと。二人が辺境の花を見たかったということ。その子供たちが、辺境で出会い、結ばれたということ。
カイン様は黙って聞いていた。
「——母たちが見たかった景色を、俺たちが見ている」
カイン様が言った。かつて同じようなことを言ってくれたことがある。今回も同じ言葉だったが、重さが違った。
「はい」
わたくしは頷いた。
二人の母が見たかった景色を、今日もわたくしたちは見ている。大河の光も、辺境の花も、春の朝も。
カイン様が立ち上がった。
「昼にしよう」
「ええ」
わたくしは立ち上がって、三通の手紙を机の引き出しに入れた。
父が母の墓前に座っている姿が、頭に浮かんだ。うまく言えなくて、でも言おうとしている、口下手な父の姿。
マルグリット様は、きっと聞いていたと思う。辺境の花が見たかった、と言っていたその人は、娘の花嫁の話を、ずっと待っていてくれたと思う。
廊下を歩きながら、わたくしはもう一度、窓の外を見た。
辺境の春が、光っていた。
---




