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31.「ゾンビのように腐ったこの世界」

「紘人さん……」


「い゛い゛え゛え゛……」


 玄関で、紘人さんと目が合った。その直後――


「い゛え゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛」


 紘人さんが階段を駆け上がり、襲いかかってくる。私は反射的に階段の手すりを使って、一気に一階の床へと飛び降りた。


 ズキン!


「(い、痛っ――!!)」


 着地の衝撃で、ロロポートで撃たれた右ふくらはぎが激しく痛む。

 そのまま玄関に向かいたかったが、紘人さんは即座に玄関の前へと戻っていた。


(ここを突破するには――紘人さんをやっつけるしかない!)


 そう思い、私はすでに鞘から抜いていた蓮華刀をしっかりと構えた。

 けれど、心のどこかで、それをためらっている自分もいた。


(紘人さんは、紗綾さんによって感染者ゾンビの夫にされた被害者……できれば、傷つけたくない)


 それでも、紘人さんはジリジリとこちらに近づいてくる。


(でも……今ここで死ねば、順の犠牲が無駄になる――ならば!)


「お゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛」


(ごめん……紘人さん!!)


 突進してくる紘人さん。私はその勢いに合わせ、渾身の力で刃を振り下ろした。


 だが――


 パシッ!


 紘人さんは、なんとタイミングよく両手でその刃を受け止めたのだ。


(真剣白刃取り……だと……!?)


 刃を振り抜こうとしても、男女の力の差でびくともしない。


「……離せないでしょう? 私が操作すれば、感染者ゾンビといえど複雑な行動もできるの。真剣白刃取りくらい、朝飯前よ」


 階段の方から声がした。

 見ると、手すりに肘をかけ顎に手を添えながら、私たちの戦いを見下ろしている紗綾の姿があった。


「紗綾……!」


「あら、私によそ見していていいのかしら? 夫があなたの刀を掴んでいるというのに」


「お゛い゛!」


 紘人さんは、刃を掴んだまま急に引っ張った。

 その勢いで私の体も引き寄せられ――


 ドン!


「が……っは!?」


 腹部に強烈な一撃。紘人さんの蹴りをまともにくらった。

 その衝撃で、私はリビングまで吹き飛ばされた。


「がはっ! ッげほっ、けほっ……!」


(な、なんなのこの威力!? 男の蹴りで、ここまで吹っ飛ばされるものなの!?)


 あまりの威力に、私は床にうずくまり倒れ込む。


「さらに操作によっては、感染者ゾンビの脳のリミッターを外して、とてつもない筋力パワーも出せるの――今の蹴りみたいに。まあ、解説はそろそろこれくらいにして……」


 紗綾がそう言った瞬間――


「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛」


 猛ダッシュで、紘人さんが私に襲いかかってきた。


「くっ……!」


 私はなんとか隣のソファーへと飛び込み、紘人さんの突進を躱す。


「ハァ、ハァ……なんとか躱せた」


 そう思った瞬間、リビングと玄関をつなぐ廊下の扉から、紗綾が血飛沫を飛ばして現れた。


「うわっ!?」


 ビチャチャッ!!


 当たって……いない。咄嗟にソファーのクッションで防いでいた。無意識の行動だった。


「……しぶといわね。まるで本物の〝ゾンビ〟みたいだわ。早く感染すれば、あなたも楽になれるのに」


 ソファーを挟んで、私と紗綾、そして紘人さんが睨み合う。


「でも……ここまでよ。刀を失った今、あなたに戦える手段はない!」


 ――そう。刀はさっき、紘人さんの蹴りを受けたときに手元から離れてしまった。

 今の私は、丸腰。……いや、()()()()()()()()()


(ここまで来たら――()()を使うしかない! チャンスは一度……!)


 私は最後の手段のために、ポケットへと手を伸ばす。


「あなた! 挟み撃ちで愛華さんを追い詰めるわよ!」


 紗綾が右から、紘人さんが左から、ソファーを回り込むようにして近づいてくる。


(今だ!)


 バンッ!


 乾いた発砲音が空気を裂いた。

 その銃声が私の回転式拳銃リボルバーによるものだと、誰の目にも明らかだった。

 銃弾は紗綾の右頬をかすめ、背後の壁に当たった。


「……銃? なるほど。あなたも金山の仲間たちから銃を手に入れていたのね?」


 直撃はしなかったが、紗綾は私の銃に警戒し、二人はその場で立ち止まる。


「いえ……この銃はさっき、順から託されたものよ。階段から私を突き落とす直前に、順が渡してくれたの」


 そうあの時――。


 ――愛華……ずっと好きだったよ。初めて会った時から、今まで、一日も欠かさずに


 順の告白とともに、持っていた銃を私に託した。それは、私に生きてもらうために。


「次こそは外さない……撃たれたくないなら、今すぐ下がって。撃たれる痛み、その右肩でわかっているでしょう?」


 紗綾は無意識に、撃たれた右肩に手をやる。ポーカーフェイスは崩していないように見えるが、その顔には冷や汗が僅かににじんでいた。


「……でも、その銃で身を守れるかしら? 私と夫が二人がかりで攻めれば――」


「そう……なら、試してみる?」


 私は銃口を紗綾に向けたまま、表情を崩さず淡々と告げる。


 しばらく沈黙が続いた後――


「……わかったわ。私と夫は引き下がる。あなたが家から出るところは止めないわ」


 そう言うと、紗綾は紘人さんとともにゆっくりと後退していった。


(順……ありがとう。あなたの銃が、私を守ってくれた……)


 私は心の中で、順にそっと感謝する。

 けれど油断はできない。あの紗綾が、こんなにもあっさり引き下がるなんて――思えない。

 私は銃口を向けたまま、後ろ歩きでリビングを出る。背後からの奇襲に備えて。

 一歩、また一歩。慎重に玄関へと向かう。

 紗綾はリビングから、黙ったまま私を見つめている。何もしてこないのが、逆に不気味だった。

 ようやく、玄関までたどり着いた。

 ふと、二階へと続く階段に目をやる。


(順は……きっと今頃、感染者ゾンビになっている頃だろう)


 ここからでは、彼の姿は見えない。

 感染者ゾンビになったとはいえ、これからの人生を紗綾の思い通りに操られると思うと、複雑な気持ちになる。

 でも、私は逃げなければならない。人間として、順の最後の想いを背負って。


 ――カチャリ。


 ついに、玄関の鍵を開けた。紗綾はまだ私を見つめている。

 私は玄関の外に向かって、後ろ歩きで一歩ずつ進む。

 そして、玄関のドアノブから手を放し、ドアが自然に閉まろうとしたそのときだった。


 ――トン


 何かが、背中に触れた。

 反射的に振り返ったとき――


「……えっ、順?」


「あ゛あ゛……い゛い゛……」


 そこにいたのは順だった。その両目はミッドナイトブルーに染まっていた。


「あ゛い゛い゛い゛い゛い゛い゛い゛い゛い゛い゛い゛い゛!!」


 そのまま順に押し倒される。そのとき、銃が手元から落ちた。


(そんな……順?)


 順はそのまま左肩を噛もうとした。


「待った!」


 ピタッ!


 紗綾に命令され、順の動きが止まった。


「まずは……念のため銃を頂かないとね。あなた、銃を回収してきて」


 そう言うと、紘人さんが落ちた銃を拾い、そのまま紗綾に渡しに行った。


「さて……これでもうあなたに打つ手はないわね? 愛華さん」


「順くんにはね……二階から飛び降りて、外で待機してもらったの。金山を倒すときにも見せたでしょ? 感染者ゾンビを伏兵にするやり方」


「はじめからあなたはこの家から逃げられなかったということよ……あなたの負けね」


 紗綾は勝ち誇った顔でそう宣言する。


「くっ……!」


 だけど今の私はどうすることもできない。動こうにも順に取り押さえられ、身動きできなかった。

 すると紗綾は「あっ」と何かを思い出したかのように言った。


「……そういえば、先ほど順くんによって中断されたけど、話の続きがあったわ――私に〝罪悪感〟があるのかについて……」


 紗綾は二階の寝室での会話の件を持ち出す。


「結論から言うと……ブサイクな母娘には悪いとは思っていないわ。でもね……夫には悪いと思っているところがあるのよ……」


「だって、そうでしょう? 私のせいで夫の子孫は絶えた……だから責任取って、私が彼の赤ちゃんを産もうと思うの♡」


 そう言って紗綾は紘人さんの頬にキスをする。


「最低でも五人……いや、思い切って十人は産もうかしら♡」


 紗綾はニヤニヤしながら言う。


「イケメンな夫とこの美人な妻の子供よ……絶対あの女との子供より可愛い子が産まれるはずよ!」


「そのときは、あなたと順くんも一緒よ!! 私と夫の家族の誕生を祝福して!! 感染者ゾンビとして!!!」


「あ゛あ゛い゛い゛……」


 紗綾の言葉を皮切りに、順は噛みつこうと口を大きく開けて迫ってきた。


「待って……順、目を覚まして!」


 私は順の両肩を掴み、必死に遠ざけようと抵抗する。


 ズキン!


「(い、痛っ――!!)」


 こんなときに、ロロポートで撃たれた左肩が痛む。

 順の口が近づいてくる。


「ハハハ……ハ―ーッハッハッハ!!! やった!! やったわ!! ついに私の幸せは永遠に絶頂となるのよ!!」


「順……順! 嫌だよ、お願い助けて……」


 順に呼びかけても、近づいてくるのは止まらない。

 その姿は、かつて私を噛もうとした、ママの姿と重なる――

 あの時は、順が助けてくれた。でも今度はその順が噛もうとしている。あの時のように都合よく助けてくれる人もいない。


「ゾンビのように腐ったこの世界!! 終わってしまえばいいのにといつでも思っていた!! ……でもPNウィルスのおかげで変わったのよ!! 私の人生――いえ、感染者ゾンビとしての生が!!!」


「順! 私を好きだって言ったじゃん! 私に生きてほしいって言ったじゃん!」


 私が呼びかけても、無慈悲にも順の口は私の肩に近づいてくる。


「私の感染者ゾンビの生はバラ色よ! これからも末永くお幸せになりましょう!! 私たち夫婦とあなたたちカップルと共にこの家で!!!」


「順――っ!!」


 ガブッ!


 私が最後に順を呼びかけたとき、左肩はとうとう彼に噛まれた。





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