30.「初めて会った時から、今まで、一日も欠かさずに」
全てを知った愛華の選択は!?
「そ……そんな、紘人さんに実の妻と娘を殺させるなんて……」
想像を絶するほど残酷で、おぞましい真相に、私は言葉を失った。
「殺すだけじゃないわ……死体になった後も、ちゃんと有効に活用しているのよ」
「……有効に活用?」
「ええ。死体が腐らないよう冷凍保存して――それを夫の食事分として確保しているの。夫は好き嫌いせず、何でも食べてくれるから助かっているわ……唯一の邪魔者だった母娘に感謝しているところよ」
食事分……そういえば、昨日の紘人さんの夕飯は、私たちのとは違っていた。
昨日紘人さんが食べていたのは〝大きなステーキ〟だった。そのときは豚肉っぽいと思っていたけど、じゃあ、あの肉は――
「う……うおべぇええええ!!!」
まるでPNウィルスに感染したかのように――あまりの気持ち悪さに、私は床に向かって嘔吐した。
「……この人殺し! 何の罪もない人の命を――あなたは紘人さんから大切なものを奪ったのよ!! それだけじゃなく、無理矢理自分の夫にさせるなんて!!」
「人殺し、ねぇ……あなたがそれを言う資格、あるのかしら?」
紗綾さんはフッと軽く笑う。
「……えっ?」
「あなただって、殺したじゃない。何の罪もない、あの母娘の命を」
心臓が跳ねる音が、耳の奥で反響した。
紗綾さんが言っているのは、ロロポート3階で私がやっつけた感染者の母娘のことだ。
紗綾さんは私の手元を見つめ、静かに指をさした。そこには、私が握りしめている蓮華刀。
「愛華さん――あなたは、その手にした刀で、〝腕試し〟がしたいっていう、自分勝手な理由で感染者を探し、殺した……何の権利があって、そんなことをしたの? 私がいれば、そもそも、殺す必要なんてなかったはずよ」
「そ、それは……」
「感染者だから、悪くないとでも言うつもり? なら、感染者の私が人間を殺すのも、悪くないって言えるんじゃない?」
「そ、それは……詭弁です!」
「どこが? 生存者のあなたが、自分勝手な理由で感染者の母娘を殺す。感染者の私が、自分勝手な理由で生存者の母娘を殺す……立場が逆なだけで、やっていることは同じじゃない?」
「ち、違う……私は……!」
「同じよ。――あなたと私は。目的のためなら、他人を屍にしてまでも実現する。そんな心を、共通で持っている女なのよ!!」
「違う! 私はあなたとは違う!! 少なくとも、私はあの母娘を殺した後――罪悪感があった! 紘人さんの家族を壊しておきながら、平気でその妻を演じるような、あなたとは違う!!!」
「……はっ! 呆れたわ。――そんな感情論じゃ話にならないわ」
「あなたには、罪悪感というものがないんですか!? 妻と娘に……何より紘人さんに!!」
――チャキッ
スイッチのような音がした、その直後――
「そこまでだ。愛華、紗綾さん……」
「順っ!?」
紗綾さんの背後に、回転式拳銃のハンマーを引いて、いつでも撃てる状態にした順が立っていた。
「……話を全部聞いたわけじゃない。だけど、これ以上、僕と愛華はこの家では住めないようだ」
「紗綾さん、この際、あなたの罪について僕たちはとやかく言わない。あなたに命を救ってもらった恩義だってある」
「……」
「だから、こうしましょう。僕と愛華は、このまま荷物を持って出ていく。あなたたちの夫婦生活を邪魔しない。だから、僕たちが出ていくのを邪魔しないで欲しい……いいですね?」
「……せっかく夕飯、作ったのに。せめて、食べていけばいいのに」
紗綾さんはそう言うと、ベッドとクローゼットの間へと歩き出す。
「なっ……う、動かないでください!」
順は私の隣に立つ形で部屋へと入ってくる。そして、銃を紗綾さんに向けたままだ。
「……本当に出ていくの? 私は、できればこれからも一緒に住みたいけど」
そう言って、紗綾さんはポケットから何かを取り出した。――いや、あれは……折り畳みナイフ?
カチャリ。刃を出す音が響く。その様子に、戦う可能性も考え、私も刀の鞘を取った。
銃を持つ順、折り畳みナイフよりもリーチのある蓮華刀を持つ私。
二対一――こちらの方が圧倒的に有利なはずなのに、紗綾さんはどこか余裕のある表情をしていた。
「そう……仕方ないわね。私はね、夫と二人きりの生活も幸せだけど――私たち夫婦を祝福してくれる存在も欲しかったの」
「祝福してくれる存在……?」
「愛華、やめろ! これ以上、紗綾さんと会話するな!!」
私がつい聞き返してしまったのを、順が鋭く制止する。
「ええ。実際、あなたたち――特に愛華さんの反応が微笑ましかった。私と夫の関係を応援してくれる上に、心から喜んでくれるなんて……ああ、今の私はやっと幸せな生活を手に入れたんだ、あなたのおかげで、そう思えるのよ……!」
(それは……あなたと紘人さんが本当の夫妻だと思っていたからであって!! 初めから真実を知っていたら、応援なんてしなかった!!)
私は心の中で、紗綾さん――いや、〝紗綾〟に反論した。
「だからね、私と夫の生活を、これからも祝福してほしいの。でも……あなたたちが人間だからこそ、言うことを聞かないというのなら――」
ピッ――。
突如、紗綾は自分の右手首をナイフで切りつけた。
(えっ? 何をしているの――?)
当然、右手首からはドクドクと血が流れ出す。
「……あなたたちを感染者にしてでも、この家に縛りつける!!」
「まずい! 愛――!!」
紗綾は突如、野球やソフトボールのスナップスローのような動きで、右手首を振った。その瞬間、血飛沫が弾丸のように私の眼前へと飛んでくる。
(しまっ――こんな攻撃、予想していなっ)
完全に意表を突かれた私は、反応できず、避けることも防ぐことも間に合わない――飛ばされた血が私の顔面に当たる、その直前――
ダンッ!!
ビチャチャッ!!
横から衝撃が走った。
吹き飛ばされた直後、私はそれが順によるものだと理解する。
順が、とっさに私を庇ったのだ。
「順……!」
私は助けられた。お礼を言おうと順の顔を見る――
「愛華……よかった……無事で……」
「えっ、順……?」
ホッとしたような順の表情――だが、その顔の傷口、目、口には……紗綾の血が、べっとりと付着していた。
「あらま♡ 想像通り、順くんならそうやって愛華さんを守ると信じていたわ!!」
「命より大事な愛しの人だもんね! いや~~愛されている愛華さんが羨ましいわ!!」
「そんな……順が……噓……でしょ?」
――受け入れたくなかった。この現実。
順は感染してしまったのだ。PNウィルスに。
「……くそぉ!」
順は抵抗するように、紗綾に銃口を向ける。
だが、引き金を引こうとはしない。順の表情には明らかな戸惑いがあった。
「撃てないでしょう? 残念ながら……感染した時点で、いや正確にはPNウィルスが脳に到達した時点で、私の〝支配〟は始まっているの」
「とは言っても、完全に思い通りに動かせるようになるには、やっぱり感染者にならないといけないけど……支配者の私に〝危害を加えられない〟くらいの命令は、もうできるのよ!」
「くそぉ……」
順は、なんとか引き金を引こうと力むが、その度に体が金縛りに遭ったように硬直する。
「こうなったら――」
順はいきなり私に顔を向け、襟首を掴んだ。そして、そのまま私を連れて部屋を飛び出す。
「愛華……僕のことは放って、この家から逃げてくれ! 今すぐに!!」
「順、何言って――!?」
そう言って順は、階段の前で私を突き飛ばそうとしてでも、紗綾から遠ざけようとする。
「待ってよ……順、押さないで! 一緒に逃げようよ!! きっとまだ、何か方法があるって!」
「いいから! 早く!! うっ……ぷっ!」
「逃がすと思うかしら?」
紗綾が、順のすぐ背後に立っていた。
「愛華さん……心配しなくても、あなたをひとりにさせないわ。この私が!」
そう言って、紗綾は再び手首にスナップを利かせて、私に向けて血飛沫を飛ばそうとした――その瞬間。
「おぼおぇ!」
順が振り返りながら、突然嘔吐した。吐しゃ物の一部が紗綾の顔面に飛びかかる。
「おえっ!? き、汚なぁぁああああああああああ!!」
「へへ……どうだ! やったぞ!!」
「たとえ命令であなたに攻撃できなくても……まき散らすように動けば、ゲロは当たるんだ!!」
順の思わぬ反撃に、紗綾は視界を奪われる。慌ててハンカチで顔を拭き始めた。
順は再び私に顔を向け――
「愛華……ずっと好きだったよ。初めて会った時から、今まで、一日も欠かさずに」
「順……?」
「だからこそ――お前には何があっても、生きてほしいんだ!!」
そう言って、順は私の身体を突き落とすように階段へ――
「生きろ! 愛華!!」
私は順の言葉に突き動かされ、決意を固めて階段を駆け降りる。
(順、順……順!)
――悲しみに浸っている暇なんて、ない。
順が稼いでくれたこの時間、無駄にするわけにはいかない!
私は決意を胸に、玄関を目指して階段を駆け下りる。
あと数段で玄関が見える――そう思った、そのときだった。
「い゛い゛え゛え゛……」
階段の先、玄関の前に――まるで門番のように、紘人さんが立ち塞がっていた。
【朝月からのお願い】
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