愛されなかった子供達
ラシードの腕から解放されたロアンは、共に沈みゆく夕日と輝く赤い水面を眺めながら、話を続けていた。
「ねえ、ラシード様。ラシード様は『おうちにかえりたくないなぁ』って思うことある?」
「あるさ。何度も思っているし、今だってそう思っている。そもそも家にいるのに「帰りたい」と思う日もあるんだぞ?」
「おうちにいるのに?!」
驚いたロアンに対し、ラシードはカラリと笑う。その顔は『王族』として振舞う『ラシード殿下』ではなく、普通の十一歳の少年のものだった。
「そうだぞ! 我が家は問題が多すぎるんだ! 叔母様もおっしゃっていたが、国王は妃を持ちすぎなんだ。十人もいて、子供もたくさん産ませて、それで争いにならないほうがおかしい!」
そう言って床に寝転がったラシードに倣い、ロアンも空を仰ぎ見るようにして仰向けに寝転がる。
「王様って好きな女の子がいっぱいいるんだね」
「フッ。浮気性だと言いたいのか?」
「うわき? よく分かんないですけど、ぼくはヴィーが一番だいすきだから、ヴィーよりいっしょにいたいと思える人、会ったことないです。だから王様は好きな人がいっぱいいるんだなあ、と思って」
「ははは。そうか。余はそなたにはそのままでいて欲しいと思うがな。沢山の女性を好きになるより、ヴィエラ嬢をずっと好きでいて欲しい」
これは間違いなくラシードの本心だ。数時間しか共に過ごすことはなかったが、それでもヴィエラは常にロアンを見ていたし、ロアンもヴィエラに喜んで欲しいのか、沢山話しかけては笑っていた。
祖国の宮廷では見られることのない、互いに向ける愛情が見てとれるやりとりで微笑ましかったのだ。
だからこそ「そのままでいて欲しい」と願ったラシードに対し、ロアンは頷きかけてハッとする。
「あ! でもメアリも好き! また会えてうれしかったもん!」
「メアリ?」
「ぼくのお世話してくれてるの! ね、メアリ!」
呼ばれたメアリが慌てて腰を折って頭を下げれば、ラシードは「なるほど」と声を上げる。
「だがヴィエラ嬢の『好き』とは違うのだろう?」
「なんでわかったの?!」
「わははははは! 分からないはずがないだろう!」
夕日のように顔を赤く染めたロアンに対し、ラシードは心から楽し気に笑う。そうして目尻に浮かんだ涙を指先で拭うと、暗くなり始めた空を見上げた。
「余はまだそう思える女性と会ったことがない。だがそなたは違う。ヴィエラ嬢のことをちゃんと大切にするんだぞ」
「うん! ぼくね、ヴィーといっしょにいられるように、勉強も訓練もがんばってるんだ!」
「そうか。それはえらいぞ」
グシャグシャと頭を撫でたラシードに、ロアンも笑顔を返す。だがそれでも『家に帰る』ということを思い出したのか、笑顔を引っ込めた。
「……あのね、ラシード様。ぼく、おうちかえりたくないんだ。でも、かえらないと公爵様がおこられちゃうんだって」
「そうか……。何となく察してはいたが、そなたは公爵家の『養子』ではないのだな」
「うん。ぼく、伯爵家の次男だから。半年に一回、おうちにかえらないといけないんだって」
身体を起こし、膝を抱えたロアンの風を潮風が揺らす。ラシードは同じように上体を起こすと、ロアンの横顔をじっと眺めた。
「でも、王子様のラシード様も『かえりたくない』って思うなら、ぼくも『へんな子』じゃないってことだよね」
「当然だろう。そなたは『変』などではない。ただ、世の中の大勢とは『世界への接し方』と『見方』が違うだけだ」
ラシードはそう言って片手の親指と人差し指を曲げて輪を作ると、そこからロアンの顔を覗き見る。
「多くの人は余を『予言の子』『カターゴ族の優れた子供』として見る。だがそなたの目から見て、余はどう見える?」
ラシードの問いかけに、同じく指で輪を作ったロアンはそこから『初めての友人』を覗き返す。
「うーんと、やさしくて、あったかくて、おっきくて、いっぱいかんがえちゃう人!」
「はは。いっぱい考えているように見えたか?」
「うん。だってラシード様、ときどきさびしそうな顔するでしょ?」
アップルグリーンの瞳がそらされることなく、ラシードを見つめている。その瞳に固まった自分が映っているのを、ラシードはどこか冷静に感じ取っていた。
「でもね、カイラス先生から教えてもらったんだ。『さびしい』はわるいことじゃない、って。『さびしい』って思えるのはね、心が『生きてるショーコ』なんだって。心が生きてなかったら、『うれしい』も『楽しい』も『かなしい』も『さびしい』も出てこないから、もしも『さびしい』って思っても、そんな自分をわるく言っちゃダメだって。だからね、ラシード様も『さびしい』って思ったら、ちゃんと『さびしい』って言っていーんだよ。ぼくはね、ちゃんと聞くよ!」
無邪気な笑顔を向けられ、ラシードは「そうか……」と小さく返す。それからさざめく水面を眺め、小さく笑った。
「そうか……。余は『寂しかった』のか」
弟を腕の中で亡くしたことも、七歳の誕生日に慕う兄を一人亡くし、もう一人の兄に恨まれていることも。
他国に逃げなければならなかったことも、母に守られることしか出来ないことも、影武者に危険なことをさせていることも、すべて『責任』の一言で片づけていたが、蓋を開けてみれば何ということはない。
“誰にも甘えられない寂しさ”が胸に巣くっていただけのことだった。
「……そなたは、人の気持ちを見つけるのがうまいな」
「そうですか? はじめて言われました」
「ああ。余は、生まれた時からずっと『皆に望まれた王子』だった。誰よりも優秀でなくてはならなかった。例え父上に見てもらえることがなくとも、母上の権力に頼ることでしか身を守れないと察した時も、笑っていなくてはいけなかった。だが……そうだな。余は、泣きたかったのかもしれない。甘えたかったのかもしれない。他の誰でもない、愛した人たちに」
息を引き取るその瞬間、弟に抱き着いて欲しかった。
自分を守り、息絶える瞬間、イスハークに抱きしめて欲しかった。
凛として立つ、宮廷の闇の中でも輝く母親に、誰のことも本当の意味では愛していない父親に、たった一度でいいから、心からの信愛をもって抱きしめられたかった。
「……ロアン。余は、王に向いていると思うか?」
──愛されたかった。
そう自覚したばかりではあるが、ラシードはもう十一歳だ。ロアンのように額面もなく甘えることは出来ない。
だが、だからこそ理解した。愛した者達との最後の抱擁は逃してしまったが、愛すべき国民はまだ残っている。『守りたい』と思った者はまだ残っている。心からそう思うことが出来た。
だからこそ問いかけたラシードに、ロアンはいつもと変わらぬ笑顔を返す。
「ラシード様が王様になるの? じゃあぼく、いっぱいおうえんするね! だって、ラシード様がおうさまになったら、きっとみんな、いっぱいしあわせになれるもん!」
ロアンにとってラシードは、太陽のように笑って皆を明るい気持ちにさせてくれる人だ。
ラシードが話しかけ、笑うだけで皆がつられて笑う。
そんな人が王様なら、きっと笑顔がたくさんの国になる。ロアンはそう考えた。
「……ありがとう、ロアン。そうだな。今のままでは皆幸せになれぬな。まったく、色んなことがあってすっかり忘れていた。余は『太陽』だ。真の太陽の下で生き、皆が見上げ、手を差し伸べた時に返せる存在でなくてはならない。逃げてばかりなど性に合わん。太陽は、常に皆を照らす存在でなくてはな」
そう言って立ち上がったラシードは、ロアンに手を差し出す。
「そなたと出会えて本当によかった。ロアン、これからも余の友人でいてくれ」
「うん! ぼくもラシード様とずっとともだちでいるよ!」
そう言ってラシードの手を取り強く握り返したロアンに対し、ラシードも沈んだ太陽の代わりに、周囲を照らすような笑みを返した。
それは新たな太陽が産声をあげたように、星空の元でも燦々と輝いていた。
次回更新8/2予定です。




