港町の騒動
初めて市場に降り立ったロアンは、一言で言えば「大変元気」であった。
「先生! 先生見て! サカナ! サカナいる!」
「分かった。分かったから落ち着け。あとここには魚しか置いてねえんだよ。港だから」
キラキラとした目を向けられたカイラスがげんなりと答えるが、実質海鮮物を扱うテントが連なっているのだ。大人か見れば「全部魚」である。だがロアンは「北部の加工所で見たサカナとそっくり!」と大変感動していた。
他にもアクセサリーの販売店を見れば「キレイ!」と声を上げ、貝殻の加工販売をしている土産屋を見た時にも「キレイ!」と声を上げる。その度に店主たちは笑ってロアンに声をかけた。
結果的に中々進まない観光ではあったが、ヴィエラもラシードも楽しそうなロアンを見て概ね満足していた。
「ロアン。お前、本当に楽しそうね」
「うん! いっぱい楽しい! ヴィーは楽しくない?」
「いいえ。お前を見て楽しんでいるわ」
「え~? ぼく? どしてえ?」
本当に分からないのだろう。首を傾けるロアンに、ラシードはクスクスと笑う。
「ロアンが楽しんでいると、ヴィエラ嬢は嬉しくなるということだ」
「そっか! じゃあいっぱい楽しむね!」
「ええ。そうしなさい。お前の笑っている顔が好きだもの」
「えうっ。あ、ありがとう……」
ヴィエラの『好き』という発言に少し前の頬へのキスを思い出したらしい。一瞬でロアンの頬が赤くなる。ラシードは「日差しが強すぎたか?」と空を見上げたが、カイラスだけは「マセガキ」と小さく呟いた。
「さて。そろそろ休憩に入るか。全員そろそろこっちに──」
夏の日差しが降り注ぐ中、長時間歩かせるのはよくないとカイラスは判断する。ロアン達を呼び寄せようとした瞬間、動いたロアン達の後ろに木箱が壊れる音と共に子供が転がってきた。
「キャア!」「おい!」「何だ?!」
商店の人間たちも声を上げる中、護衛達がすかさず動き、カイラスも咄嗟に三人を抱き込む。
そして騒がしい面々の中から現れたのは、筋骨隆々とした、漁師じみた大男だった。
「このクソガキ! 二度と周りをチョロチョロするなっつただろうが!」
男が怒声を浴びせたのは、恐らく殴り飛ばした子供だろう。蹲った小さな体は痛みと衝撃に震えており、呻いている。
「あの野郎……」
カイラスが低く唸るように声を出す中、ラシードはすぐにハッと目を見開く。何せ蹲る少年が亡くなった弟を彷彿とさせたからだ。
「やめろ! その者に手を出すな!」
「殿下! おやめください! 今は騒ぎに巻き込まれるわけにはまいりません!」
「離せナディク! 幼子が甚振られている姿を見ろと言うのか!」
前に出ていた護衛のナディクだが、ラシードが声を上げたことで慌ててその体をカイラスから預かる。だがジタバタと暴れるラシードは珍しいため、抑え込むのに必死だった。
代わりに声を出したのは、ヴィエラだった。
「お前たち。あの子を保護して。おじさまの大事な港をよごすわけにはいかないわ」
「承知いたしました」
「かしこまりました」
ヴィエラの命を受け、護衛騎士が二人飛び出す。そして蹲る子供を蹴ろうとしていた男の前に立ちはだかった。
「ああ? 何だあ? テメエらは」
「お嬢様の命により、子供を保護する。邪魔をするなら容赦はしない」
「はっ、キシサマ気取りかよ。これだから他所者は」
男は鼻で笑ったが、護衛騎士の一人は命じられた通り蹲る子供を抱き上げ、振り向くことなくもう一人に場を任せる。そして残った騎士も安い挑発に乗ることなく、胸を張って大男と対峙した。
「私も”か弱い一般人”に手を出したくはない。無様を晒す前に戻るといい」
「おお?! 言うじゃねえか! このオレに勝負を挑むなんてな!」
大男ははちきれんばかりの筋肉を見せびらかすようにポーズをとったが、ヴィエラ専属の騎士が怯むことはない。むしろ目を細めると、静かに口を開いた。
「広い海と共に過ごしておきながら、己の小ささも弁えられぬか。愚か者め」
「なんだと?! 難しいことばっかり言ってんじゃねえ!」
学がないことがコンプレックスなのか、男が雄たけびを上げながら殴り掛かる。だが騎士は慌てることなくその体をずらして避けると、男の背を軽く押して転倒させた。
「グエッ!」
「転ばされた気持ちはどうだ? 少しは“勉強”になっただろう」
「このやろ……!」
鼻の頭を打って赤くした男が立ち上がるが、すぐにその体は横に吹き飛んだ。
「男なら黙って謝れ! それが出来ないなら拳で決めろ! それが“本物の男”というものだ!」
そう言って暴漢を殴り飛ばしたのは、後から追いかけて来たロムラスだった。
「すげえ……あの男を一発でフッ飛ばしちまった」「見ろよ、あの筋肉……本物だぜ」
ひそひそと言葉を交わす市民たちの視線を気にすることなく、ロムラスは地面に伸びた男を掴み上げる。
「何だ。この程度で意識が朦朧とするとは。見掛け倒しにもほどがあるぞ。おーい、カイラス。こいつ死ぬか?」
「お前が本気で殴ってなきゃ死なねえよ」
「そうか。かなり手加減したから大丈夫だな」
そう言ってポイッ。と小さく見えるようになった男を地面に投げ捨てたロムラスは、唖然とする市民たちの間を縫って護衛騎士の前に立った。
「見事な体捌きだった! 強いな!」
「身に余る光栄でございます。ロムラス卿」
「わははは! 母上の手伝いをしていたから出遅れたと思ったが、案外それでよかったかもしれんな!」
そう言って豪快に笑ったロムラスに、護衛騎士はクスリと笑い、周囲は拍手を始める。そんな中、ラシードは保護された子供を見下ろし、顔を顰めていた。
「殿下、この者はもしや……」
「ああ……。我が国から流れて来た者だろう。どのようないきさつがあったかは分からぬが、痛ましいことだ」
大男に殴られた子供は気を失っている。だがその体には数多の打痕が見受けられ、ラシードと同じ褐色の肌にも分かるほどの痣が浮かび上がっていた。
「カイラス殿。すまないが、この子供を手当てしてもらえないだろうか」
「かしこまりました。ですが、今は手元に道具がございません。屋敷に戻る必要がございます」
「かまわん。ヴィエラ嬢、ロアン、すまないな。余はこの者を放っておけぬ。観光を取りやめることになるが、いいだろうか」
王子であるにも関わらず、申し訳なさそうに尋ねてくる。そんなラシードにロアンは「だいじょうぶです」と答え、ヴィエラも「早く戻って手当てをしましょう」と頷き返した。
そんな二人の『善意』に、ラシードは眩しいものを見るように目を細める。
同時に、一国の王子として、この国に何故祖国の子どもがいるのか。改めて向き合わなくてはならないな、と静かに決意した。
次回更新7/27予定です。




