痛ましい事件
セルディア公爵家の馬車に乗ったのは、渡来したばかりのラシード本人と、叔母であるラディア。そして馬車の持ち主であり東部の長であるセルディア公爵の三名──に指名されて同乗したカイラスの計四名だった。
「それで、何があったのかしら」
馬車が走り出すと同時に口火を切ったのは、肝が据わった元王女であるラディアだ。それに対しカイラスは顔をしかめたが、セルディア公爵は止めず、むしろ楽し気に目を細めながらラシードへと視線を定める。
「ラシード様。どうぞ祖国の言葉でお話ください。馬車の音と人々の声で話が外に漏れる心配もございません。どうか我が屋敷に着くまでに情報を共有させて頂きたいのです」
「……そうか。そうだな。そうしよう。すまないな、公爵」
海を越えた隣の国『カルド王国』の言語体系はエルドアン王国とは異なり、少々複雑だ。発音もそうだが、女性用、男性用で使用する言葉が異なり、更には階級によって『使用出来ない単語』というものが多々ある。
王族であるラシードにも王族専用の言い回しや言語が存在し、兵には命令用の別言語がある。非常に複雑な体系となっている。
だがこの馬車の中には隣国の元王女であったラディアを始め、そのラディアに直接指導と教育を受けたカイラス、商談のために覚えたセルディア公爵がいる。他国の言語ではうまく説明出来ないであろうと配慮したセルディア公爵に、ラシードは目を伏せた。
「それでは、分かることだけではあるが、お伝えしよう。事が起きたのは十日ほど前だ。第八王妃に誘われ、茶席に参加した。そこで口にしたもの──恐らく茶に毒が仕込まれていたと考えている」
「第八王妃……確かファリム族出身の妃だったわよね?」
「よくご存知で。やはり、叔母上には敵いませんね」
ラシードは苦笑いしたが、すぐさま表情を戻して話を続ける。
「そこにいたのは王妃の傍仕えの女が三名。護衛が五名。王妃の娘である王女たちが二名です。対するこちらは側近のナディクを含め、五名の護衛を連れていた。……こういう言い方はよくないが、第八王妃は気弱な人でな。警戒する必要がないと思っていた」
だが実際は違った。ラシードはグッと組んだ両手の指に力を入れると、痛ましい出来事を口にする。
「その茶席で、腹違いの弟が……亡くなったのだ。やっと五つになったばかりの、余にとっては可愛い弟だった。それなのに……」
ラシードは庭から飛び出してきた腹違いの弟に駆け寄られ、汗ばんだ顔に張り付いた葉を笑いながら取ってやった。そして「のどが渇いた!」と訴えた弟に、自分の杯を渡したのだ。
「王族たるもの、急いで飲むのではないぞ」と注意したのに、幼い弟は一息に飲み干してしまった。そうして第八王妃の茶席に混ざった数分後、健康的で闊達だった弟は咳き込み、泡を吹き、ラシードの腕の中で息を止めた。
「余が、余が毒の杯を渡してしまった……! でなければあんなにもすぐ息絶えるなど、あるはずがなかったのに……!」
ほんの数分前までピンピンしていた。自分に懐いてくれた腹違いの弟。先月ようやく五歳になったばかりで、自分のようになりたいと笑っていた。そんな弟が腕の中で血泡と涙を流しながら死んだ。
両手で顔を覆ったラシードの腕を、咄嗟にカイラスが掴む。
「殿下。なりません。力を入れすぎです」
「だが、だが余があの時給仕に新しく茶を淹れるよう頼めば、弟は死なずに済んだのだ!」
「それは結果論でございます。今は、ご自身を責める場ではございません。どうか深く息を吸い、吐いてください」
対面に座っていたカイラスからまっすぐ見つめられ、ラシードは浅くなっていた呼吸を整えるよう、数回にわたり深呼吸をする。そして肩の力が幾分か抜けたところで、カイラスは手を離した。
「殿下。殿下も同じものを口にしていたはずですが、御身に異常はなかったのですか?」
「余は一口しか飲んでいなかったからな。それが幸いしたのか、酷く意識が朦朧とし、高熱と吐き気、寒気を繰り返したぐらいだ。だが宮廷にいれば襲われる可能性があると母上から言われ、影武者を残し、余は身を潜めることにした。その際仕事でこちらに来ていたマルコス殿と遭遇してな。手を差し伸べてくれたのだ」
「さようでございましたか……。それは、痛ましい事件でございましたな」
セルディア公爵が静かに亡くなった王子に黙とうを捧げると、ラシードも疲れたように瞼を下ろす。隣に座していたラディアはそっとラシードの背に手を当て、優しく擦った。
「ラシード。あなたも病み上がりなのです。あまり無茶をせず、まずはしっかりと休みなさい」
「はい……。叔母上、ご迷惑をおかけします」
「何を言うの。同じカターゴの子よ。支え合わずしてカターゴを語ることは出来ないわ」
「はい。ありがとうございます」
セルディア公爵は身を寄せ合う親族二人を視界に入れつつ、隣に座していたカイラスに小声で話しかける。
「さっきから聞こえてくる『カターゴ』というのは何だね?」
「カルド王国の中で最も権力があり、王族でもある部族のことです。ラディア様、並びにラシード様は『正当なる王族』であることに加え、権力者を多く輩出する『カターゴ族』の出身でもあります。あちらは出身の部族名を出せばある程度の情報が推測出来ますから、部族名を先に名乗るのが定石なんだとか」
「なるほど。商人はその辺語らないからね。知識不足だったよ。ありがとう」
商人はあくまでも『商人』として海を渡って来る。外国に部族文化がないと知っているからだ。だからこそ「盲点だったね」と顎を擦るセルディア公爵に、カイラスは視線を逸らす。
(カターゴを狙うファリム族出身の妃、か……。ファリムは確か中間層の部族だったはず……。そこまで権力はなかったが、権力がないからこそ上を狙ったのか? 息子がいたなら王位を狙っての暗殺は珍しくもない。それに去年聞いた話では妃は十人にまで増えていたはず……。現状ではラシード殿下の他にも兄弟が数人次期国王として有力視されていたが……変わったのか?)
カイラスは去年渡来したラシードとの会話を思い出しながら思案する。そして今度は自分からセルディア公爵に話しかけた。
「閣下、一つ……いえ。二つ、お願いがございます」
「構わん。言いたまえ」
「それでは……」
コソコソと話す男二人の姿を、ラディアは静かに見つめる。だがラシードは旅の疲れに加え、トラウマ級の事件を思い出したのだ。抱き寄せたラディアの腕の中でグッタリと身を預けている。
そうしてガタゴトと揺れる馬車が白亜の屋敷に辿り着くまでの間、ラシードは愛した弟に想いを馳せた。
次回7/17更新予定です。




