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レディ・ヴィエラは揺るがない  作者:
幼少期-東部編-
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隣国の王子


 キラキラと輝く水面に、波が船を打つ音。降り注ぐ日差しと、頭上を飛ぶカモメ達。

 故国を出て数日。隣国、カルド王国の王子であるラシードは、青々とした雲一つない空を見上げていた。


「殿下。あまり無防備なお姿になられませんよう……」

「わぁかってるって! でもせっかく大きな船に乗っているんだぞ? 少しぐらい楽しんだっていいじゃないか。なあ! 船長!」


 褐色の肌を持つ少年──隣国の王子である『ラシード・ザーヒル・カターゴ・アル=ナシル』は船首に立ち、波と風の状態を読んでいた船の長に声をかける。

 そこで振り向いたのは、筋骨隆々の老兵──ではなく、東部辺境伯本人である『バルドス・マルコス』だ。彼は日焼けした肌と、年齢を感じさせないガッシリとした肉体を揺らしながらラシードへと近づく。


「殿下ァ、アンタまた勝手に部屋から出てきたのか。この前まで死にかけてたってのに、懲りねえなあ」

「わはははは! 懲りたところでどうにかなるものでもあるまい! むしろ影に潜めば影の中で殺されよう。余は常に太陽の元にいるべきだと思うのだがな」

「はあ。こりゃまたとんでもねえ殿下だ。アンタも大変だなぁ、ナディク卿よ」


 バルドスが視線を向けたのは、背後に控えていたラシードの護衛であり、最側近の男、ナディクだった。彼は印象的なターバンと民族衣装を纏ったまま、静かに頷くように顎を引き、目を伏せる。


「寡黙な従者さんなこって。まあいい。殿下、そろそろ港に着きますぜ。長旅ご苦労さんでした」

「こちらこそ感謝する。そなたがあの日、余を連れてくれなければ今頃どうなっていたか……。ただでさえ海のことで頭が痛いだろうに、すまなかったな」

「なあに、知人が困ってりゃ助けるのが海の男ってもんですよ! さ! そろそろ部屋に戻ってくだせえ! ちょいとこの辺から揺れますんでね!」

「ああ。ナディク、戻るぞ」

「承知」


 先日毒殺されかけたとは思わない足取りで部屋へと戻ると、ラシードは窓から見える景色をじっと見やる。


「……叔母上は、きっと何があったかお気づきだろうな」

「否定は出来ませぬ。ラディア王女殿下は、大変聡明であったとお聞きしております」

「まあ、どうにか拾った命だ。事が落ち着くまでとはいえ、久方ぶりに羽を伸ばすこととしよう」

「殿下。もう少し危機感を持ってください。連れてこられた護衛はたったの十名しかいないのですよ?」

「十名、な……」


 ラシードはどっかりと寝転がったベッドから天井を見上げ、小さく呟く。


「その護衛も、果たして何人信用出来るのか……。ナディク。内通者は見つかりそうか?」

「難しいところでございますね。今は人手が足りませぬ。御身をお守りすることが最優先である以上、あまり動くことが出来ませぬゆえ……」

「そうだよな。すまん。困らせた」

「そのようなことは、決して」

「良い良い。誰にでも出来ぬことはある。例え有能な従者であってもな」


 寝転がったままヒラヒラと手を振ったラシードは、波打つ音に紛れて聞こえてくる賑やかな声に耳を傾ける。

 船乗りたちの「エイヤー!」と力を込めた掛け声に、船に乗る一般人の声。その合間に混ざる母国語は少ない。むしろ皆無と言ってもいいだろう。


「エルドアン王国か……。あまり厄介ごとを持ち込みたくはなかったのだが……」


 他国で被害を出せば外交に亀裂が入る。その重責を分かっていながらも、ラシードは差し伸べられた手を拒むことが出来なかった。

 そのまま暫く無言で休憩をしていると、ドンドン! と殴っているかのように豪快なノックが響いた。


「殿下ァ! 着きましたぜ!」

「おお! そうか! ありがとうな、マルコス殿!」


 ラシードは先ほどまでの沈鬱な気持ちなどなかったかのように飛び起き、バルドスと硬く握手をする。そうして降り立った港には、大勢の貴族が並んで立っていた。


「お久しぶりでございます。ラシード殿下。ウォルター・メルクス・セルディア、この日を心待ちにしておりました」

「セルディア公爵、久しぶりだな。急な来訪、まことに申し訳ない。心よりお詫び申し上げる」

「とんでもございません! むしろ頼ってくださって嬉しいばかりですよ。老骨は若者から生気を奪い取って元気になりますのでね」

「わはははは! これはとんだ怪物だ! 余も気をつけねばならぬな!」


 パチン、とウインクをしたセルディア公爵に、ラシードは目を丸くした後大きく口をあけて豪快に笑う。それから自身の叔母であるラディアに目を向けた。


「叔母上も、ご無沙汰しております」

「ええ。お久しぶりですわ。以前お会いした時より随分とご成長なさって、見違えましたわ」

「いやあ、中々背が伸びずに参っておりますよ。このままでは王家で最も背の低い男として笑われてしまいます」

「あら。ご謙遜を」


 コロコロと笑うラディアとの挨拶を終えたところで、色素の薄い少年が前に立った。


「お久しぶりですね。ラシード殿下。覚えておいででしょうか。アレクシス・ラディウス・エルドリアスです」

「勿論覚えているとも。アレクシス王子。しばし見ない間にご立派になられた。余も精進せねばならぬな」

「それは困ります。兄のように慕っている貴殿に追いつくことでせいいっぱいですのに、これ以上差をつけないでください」

「ははは! 相変わらず謙遜がうまいな! だがあまり人前で下手に出ない方がいい。誰が聞いているか分からぬからな」


 最後は小声でアドバイスしたラシードに、アレクシスはそっと礼を執る。その後はアルノア、セラフィア、ロムラスといった大人たちが挨拶を交わす。そうしてようやく子供たちの番に回った時、ラシードはふと小柄な少年が自分を見ていないことに気が付いた。


「お前、何を見ているんだ?」

「へ? あ、ごめんなさい。うしろの人、おめめいたくないのかな、って……」


 後ろの人。と言われて目を向ければ、そこに立っていたのはラシードの側近であるナディクだ。彼の目には古傷ではあるが、引き裂かれたような傷跡がある。幸いかすっただけなので目に問題はなく、皮膚の色だけが微妙に異なっているだけなのだが、それに気づいたことにラシードは目を丸くした。


「よく気付いたな。目がいいのか?」

「め? ぼくのめはだいじょうぶですよ?」

「ブハッ! いや、クッ、すまぬ。笑ってはいけなかったな。フフフ……」


 それでもラシードは子供らしい返答につい笑いが洩れてしまう。笑われた当人であるロアンはキョトンと首を傾けていたが、すぐにハッとした様子で礼を執った。


「ごめんなさい! ぼくは、ロアン・ノア・ストーンリッジです。ストーンリッジ伯爵家の次男です。よろしくお願いします」

「フフ、そうか。お前はロアンというのか。余はラシード・ザーヒル・カターゴ・アル=ナシルだ。長くて呼びづらいだろう? 今後はラシードと呼ぶがいい」

「はい! ラシード様! よろしくお願いします!」


 ペコリ。と頭を下げたロアンに、ラシードは柔らかく目を細める。そうしてラディアと同じく褐色の肌と琥珀の瞳で周囲を見回すと、改めて礼を執った。


「此度は皆に迷惑をかける。暫くの間、隣国の王子としてではなく、いち『留学生』として接してくれるとありがたい」

「承知の上でございます。それでは……殿下と呼ぶのも仰々しいですね。我々もラシード様とお呼びしても?」

「構わない。むしろ仰々しく呼ばれると何があるか分からんからな」


 白い歯を見せて笑ったラシードに、声をかけたセルディア公爵も「肝の据わった少年だ」と目を細めながら頷く。


「かしこまりました。それでは我が屋敷にご案内いたしましょう。……アルノア、頼んだよ」

「任せろ」


 アルノアの肩にポンと手を置きつつ、セルディアは「護衛の顔をよく覚えこませるように」と囁き馬車へと向かう。その顔は既に剽軽な老紳士に戻っており、ラシードと楽し気に会話をしていた。


「セラフィア。カイラス殿。子供達と殿下を頼んだ」

「ええ。あなたも、無理しないようにね。ここは北部ではないのだから」

「承知いたしました。最善を尽くします」

「うむ。では、行ってくる」


 アルノアは警護の為に別で動く必要がある。そのため子供たちは妻とカイラスに任せ、ラシードが乗ってきた船を見上げる。


「何も起きなければいいのだが……。難しいだろうな」


 そう呟きながら、船上から豪快に腕を振って存在をアピールするマルコス家当主に手を挙げ返した。



次回7/15更新予定です。

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