知らなかったこと
──誕生日って何ですか。
その一言が室内に響いた途端、誰もが言葉を失った。
「……ロアン……お前……誕生日を知らないの……?」
それでも口を開いたのは、ロアンの隣に座っていたヴィエラだ。その瞳が驚愕で見開かれ、揺れていることに気付いたロアンは首を傾ける。
「うん。『たんじょーび』ってなあに? みんなは知ってるの? ねえ、カイラス先生! 『たんじょーび』ってなんですか?」
部屋中を満たす重たい空気にも気付かず、ロアンは身を乗り出し、扉横の壁際に立っていたカイラスに質問を投げかける。カイラスは眉間に寄った皺を解すように指先で揉むが、結局渋面は崩れなかった。
「両閣下。発言をお許しいただけますでしょうか」
「ああ……。すまないが、私ではうまく説明出来そうにない。頼めるか?」
「私も、流石にこの展開は予想していなかったよ。それに、ロアンくんのご使命だ。彼が納得し、理解するよう、その手腕を見せてくれたまえ」
「承知いたしました」
カイラスはアルノアとセルディア公爵、両名からの許可を得ると壁際から離れ、ロアンへと近づく。そして皆が見守る中、じっと座って待っていたロアンの傍で膝をついた。
「ロアン。お前さん、『誕生日』が何なのか知らない、って言ったな」
「うん。知らない」
「上に兄さんと姉さんがいるだろ。その二人が年に一度、色んな人から『おめでとう』って言われてる日がなかったか?」
カイラスに問われ、ロアンはぼんやりとした薄味だった日々を思い出す。だが実家での思い出は想像していたよりも希薄で、それらしいものはなかった。
「うーん……わかんないです。それに、おうちがにぎやかな時は、いつもお父様から『そこでじっとしていろ。むかえがくるまで出て来るな』って言われて、クローゼットの中に入れられてたから」
「それは……」
思わずエルディオンが声を上げるが、すぐに口を閉じてグッと奥歯を噛みしめる。イリアスも苦虫を噛んだような顔をしており、ヴィエラに至っては静かに怒りを燃やしていた。
「そうか。……クローゼットの中、怖かっただろ」
「……うん。あ。でもね、メアリが来てからは、いつもメアリがパンとミルクを持って来てくれたんだよ。『ダンナ様にはナイショですよ』って言って、クローゼットをあけて、お話してくれたんだ。だからね、メアリとまた会えて、ぼく、すごくうれしかったんだ」
心底からそう思っているのだろう。ニコニコと、心からそう思っていると分かる笑顔を浮かべるロアンに、壁際に立っていたメアリがギュッとエプロンを握りしめる。ロアンは心から喜んでいるが、メアリは当時の記憶が悲惨すぎて顔を上げることが出来なかったのだ。
カイラスはそんなメアリにも視線を向けた後、再度ロアンに向き直る。
「ロアン。『誕生日』っていうのはな、特別でありながらも、誰にでもあるものだ」
「トクベツなのに、みんなにもあるの?」
「そうだ。俺もお前も、お嬢様や公爵閣下、使用人たち、全員にある。それは、『この世に生まれた日』だからだ」
「このよに、うまれた……」
ロアンはふと、南部の領地で『子牛が生まれた』と耳にした日があったことを思い出した。
昨日まで静かだった家の近くで、小鳥の鳴く声が聞こえた日があった。
ピィピィと親鳥を求めて鳴く甲高い声が、ロアンの瞳の奥で記憶として蘇る。
「……ぼくにも、あるんだ。うまれた日が……」
「ある。貴族だからじゃない。平民だろうと、孤児だろうと、必ずある。犬や猫を始めとした動物にもな。『誕生日』には貴賤も、年齢も、性別も、種族も、何も関係ない。ただ『存在する』。そして、お前さんが当たり前に過ごす毎日も、この世界の誰かにとっては、いつだって『誕生日』なんだ」
ざわざわと、屋敷の向こうでは人の声がする。扉を挟んだ廊下側からもだ。それこそ海風に乗って飛ぶカモメにも、波打つ海辺で働く人々にも、必ず『誕生日』は存在する。また世界のどこかでは『今日生まれた人』がいる。
それを伝えたカイラスに、ロアンは静かに耳を傾け、納得した。
「そっか……。カイラス先生。ぼく、『たんじょーび』がなにか、わかったよ。でも、それがどんなものなのか、よくわかんない」
『誕生日』という概念は理解した。だがその実態、誕生日そのものが何をする日なのかが分からない。
祝われたことがない、祝われた人を見たことがない少年の言葉に、カイラスは一度だけ握った手に力を込め、すぐに解いた。
「さっきも言ったが、『誕生日』はこの世に生まれた日を言う。だから、周りの人が口にする言葉は決まってるんだ。『誕生日おめでとう』『この世に生まれて来てくれてありがとう』ってな。そうやって、相手が生まれて、自分と出会って、親しくなってくれたことに感謝する日なんだよ」
カイラスにも覚えがある。母であるイレーナ。憎たらしい父親であるレオニス。口やかましい兄と腹違いの妹。皆にもみくちゃにされながら祝われるのが当然であり、また相手を祝うのも当前だった。
特に母であるイレーナはずっと男児を望んでいた。だからこそカイラスの誕生はいっとう喜ばれ、祝福されたものだ。それは今でも変わらない。戦争を体験し、戦場から生き残った息子を誰よりも愛し、祝福してくれる。
カイラスは改めて実感する。自分にとって『当たり前』だったものが、本来ならば『特別』であったのだと。
だからこそ真摯に答えることした。一度も祝われたことがない、祝祭の日に生まれた少年に。
「……だから、お前も祝われていいんだ。ロアン。もう誰もクローゼットになんか閉じ込めたりしねえよ。五年分の『おめでとう』が欲しけりゃ言ってやる。六年目の『おめでとう』もだ。望むならこの先何度だって、毎年うるせえほどに伝えてやる。だから、そんな顔すんな」
グシャリ。とカイラスの大きな手がロアンの頭を撫でる。その手に促されるようにロアンは無言でカイラスに腕を伸ばし、ギュッとしがみついた。
「ロアン。欲しいもんがあるならこの際言っておけ。ここは東部だからな。揃わねえものは一つもねえ。宝石だろうと昆虫だろうと図鑑だろうと、何だって手に入るだろうよ。プレゼントしてくれる『おじさま』もいることだしなあ?」
そう言ってチラリとカイラスがセルディア公爵に視線をやると、老紳士は「負けたよ」と言わんばかりの笑みを浮かべて両手を上げる。だがロアンはカイラスの腕の中でゆるゆると首を横に振った。
次回更新7/5予定です。




