愉快な公爵閣下
カイラスから帰省の話を持ち出された数日後。一行は貿易都市である東部へと足を踏み入れていた。
「んー! やっぱ海っていいよなあ! ワクワクするぜ!」
「イリアス。少し落ち着いたらどうだい? 今からセルディア公爵家に行くんだぞ?」
「わかってるよ! でも少しぐらいいいだろ? 休憩時間なんだからさ。海なんて滅多に見られないんだぜ?」
テンションが上がっているイリアスが言うように、現在東部の港についた一行は小休憩のため歩みを止めていた。
馬車から降りたロアンも、目の前に広がる青く輝かしい海に、アップルグリーンの瞳を輝かせる。
「ぉ、おっきいー! イリアス様! ウミって大きいんですね!」
「おいコラ、ロアン。走ろうとしてんじゃねえよ。転んで海に落ちたらどうするんだ」
ピョンピョンと飛び跳ね、いつものように走り出そうとしたロアンの後ろ襟首を、例の如くカイラスが掴んで止める。それに対しロアンは「あうっ」と情けない声を上げながら、隣に立ったヴィエラに視線を移した。
「ヴィーはウミ、見たことある?」
「あるわよ。セルディア公爵家に行くのは今回が初めてではないもの。でも、お前がはしゃぐ理由もわかるわ。海はキレイだものね」
「やっぱりそう思うよね! カイラス先生は?!」
大好きなヴィエラに肯定され、気が大きくなったのだろう。キラキラとした目を向けて来るロアンに、カイラスは顔を顰める。
「綺麗だとは思うが、だからと言って走り出していい理由にはならねえ。前に閣下と夫人から『俺の言うこと聞け』って言われてただろ。もう忘れたのか?」
「むう……。ちゃんとおぼえてるもん……」
北部に来た当初、ロアンはアルノアとセラフィアの両名から『カイラス殿の言うことを聞くように』『勝手に走ったり、どこかに行ってはダメよ。必ずカイラス様に言うこと』と指示されていた。それを思い出したロアンが大人しくなったことで、ようやくカイラスは手を離す。
「言っておくが海ってのはな、綺麗なだけじゃなくて『怖い』んだぞ」
「こわい? なんでですか?」
「お前、いつも入ってる風呂と違って冷たい水に長い時間入っていられるか? しかもこうやって、地面に足がつかないんだぞ? それに海の水ってのは普通の水と違って塩辛いんだ。そんな中で安心して遊べるか?」
「うう……それは……ちょっとヤダかも……」
カイラスが自身の足でトントンと地面を叩けば、頑張って想像したのだろう。冷たい水の中で歩くことも出来ず、ただ浮いている自分を。途端にロアンはしょんぼりと肩を下げ、カイラスの足にギュッとしがみつく。
「先生ぇ……ぼくがウミにおちちゃったら、ちゃんとたすけてね……」
「落ちる前に止めてやるからしょげんな」
「えううぅぅ~」
ワシワシと乱雑に頭を撫でられ、しょんぼりしていたロアンがヤギのような呻き声を上げる。その姿にエルディオンとイリアスが苦笑いしていると、パンパン! と手を叩く音が聞こえた。
「やあやあ! 久しぶりだね~! 皆、元気にしてたかい?」
そう言って人混みの中から歩いてきたのは、長身痩躯の老紳士であった。だが老紳士にしては派手なピーコックグリーンの衣服を纏っており、かなり目立つ。その上低いがよく通る声のせいで周囲の人間もその人を視界に入れた瞬間、ハッとしたように頭を下げた。
「公爵閣下!」「公爵閣下だ!」「おい、挨拶しろ!」「公爵様ー!」
「ああ、はいはい。ありがとう。皆今日も元気だねえ~。うんうん。いいことだ。今日もお仕事頑張るんだよ~」
港を行き来するのは領民だけではない。様々な積荷を運ぶ労役者に、商人。漁師に屋台を営む店主と様々だ。だが誰であってもその彼を視界に入れると頭を下げ、挨拶をし、声をかける。
そんな派手な登場をした老紳士は、一行の前で足を止めると、ステッキに両手を置いてから微笑んだ。
「ビックリさせちゃったかな?」
「セルディア公爵……こちらから屋敷に向かうと伝えていたはずだが?」
「あっはっはっ! 相変わらず硬いねえ~、アルノアは。ちょっとしたサプライズだよ、サ・プ・ラ・イ・ズ! 人生には驚きと楽しみが必要なのさ。特に、君みたいな子にはね」
呆れた顔で近づいたアルノアに対し、老紳士は悪戯っ子のように微笑んでからアルノアの肩を叩く。そうして改めて一行を見回し、ロアン達に目を向けた。
「やあ! 君が噂に聞く“ロアンくん”かな? おじさんのこと、知ってるかい?」
近付いてきた老紳士に顔を近付けられ、ロアンはビクリ、と肩を跳ねながらカイラスのズボンの裾を掴む。それでも見上げたカイラスから頷かれれば、老紳士に視線を合わせて口を開いた。
「セルディア公爵様……ですか?」
「正~解~! いや~、思っていたより賢いね! 隣にいるヴィエラちゃんのおかげかな?」
「おじさま。あまりからかわないでくださいまし。ロアンはまだ社交になれておりませんのよ」
ヴィエラが庇うようにロアンの手を握れば、老紳士こと『セルディア公爵家当主』は朗らかに笑う。
「ごめんよ。ちっちゃい子を見るとつい構いたくなってねえ~。私も歳をとったものだ。さあ! 年寄りにいつまでも立たせておくのは健康によくない。早速移動しようではないか」
「自分から来ておいてよく言う」
相変わらず剽軽で掴みどころのないセルディア公爵に、アルノアは呆れを滲ませた声でツッコミを入れる。だがそんなアルノアに対し、セルディア公爵は「わははは! 聞こえな~い!」と楽し気にステッキを鳴らしながら自身が乗ってきた馬車へと向かう。
だがその際ふと足を止め、振り返った。
「ああ、うっかりしていたよ。挨拶がまだだったね。私は“ウォルター・メルクス・セルディア”。ようこそ。海の都、東部へ──。ロアン・ノア・ストーンリッジくん。並びにカイラス・アルカディウスくん。是非潮騒と喧騒を楽しんでくれたまえ」
そう言ってボウ&スクレイプのポーズで挨拶をしたセルディア公爵に、カイラスは渋面を浮かべ、ロアンはポカーンと口をあけるばかりだった。
次回更新7/1予定です。




