【閑話休題】酒と記憶と確かな絆
東部編の前に一度閑話休題を挟みます。登場人物はアルノアとカイラスのみです。
静まり返った夜の公爵邸に、ぼんやりと明かりが灯る部屋がある。そこにいたのは当主のアルノアと、ロアンの教師役として雇われたカイラスだった。
「こうしてゆっくりと話すのは久しいな。北部には慣れた頃だろうか」
そう話しかけながら棚から取り出したのは、秘蔵の酒だ。それと木製のカップを二つテーブルに置き、酒を注ぐ。
「ありがとうございます。それと、そうですね。西部とは生活様式も文化も異なりますから、最初は驚いたこともありましたが、今は恙なく過ごしております。ロアンの質問が多いこと以外では特に問題はありませんね」
「フッ。その割には熱心に教えているようだが」
琥珀色の液体は、北部で作られる蒸留酒だ。上質なそれは公爵家に献上されたものであり、決して一般には出回っていない。簡単に乾杯してから口にした二人には、実のところ古くからの交流があった。
「閣下に期待されたのですから、応えねば恥になりましょう」
「そういうものか? しかし月日が経つのは本当に早いものだな。君が赤子だった頃すら知っているというのに、あれからもう二十年も経つのか」
「おやめください。こちらは覚えていないのですから」
顔を顰めるカイラスとアルノアは八歳差だ。そしてアルノアは『グラディアス家』の一員として、年に一度は必ず西部の辺境伯家に顔を出していた。そこで生まればかりのカイラスを目にしたのだ。
だが赤子だった当人が覚えているはずもない。カイラスは顔を顰めながら首を横に振る。
「私が覚えている閣下との交流は、訓練場でお会いした時のものです。それ以前のことは分かりかねます」
「それもそうだな。随分と小さく細い子がいると思ったら、まだ幼い君だったから驚いたものだ。だが、当時から口が達者で頭の回転が速かった。口下手な自分からすれば感心するほどだった」
アルノアはゆっくりと酒を傾け、焼けるような熱さと香りを愉しみながら嚥下する。
「ふむ……。いい酒ですね。雑味が無くて飲みやすいです」
「そうだろう。だが度数が高くてな。共に飲める人が少ないのが残念だ」
北部人は酒に強い傾向があるが、その中でも特別に強いのがアルノアだ。武芸だけでなく内臓も強いのかとカイラスは呆れたが、自分も酒に強いので言葉を控えた。だが噂と言うのはどこにでもあるものだ。アルノアは涼しい顔をしてカップを傾けるカイラスに笑みを漏らす。
「そういうカイラス殿も、噂に違わず酒に強いようだな。嬉しい驚きだ」
「はあ。まあ、こんな見た目ですからね。よく勘違いされますが、飲み比べで負けたことはありません。力では敵いませんがね」
「ははは。案外男は酒の勝負にこだわるからな。強いに越したことはないだろう。まあ、時には正気を失えずに苦しむこともあるだろうが」
手足を組み、ゆったりと話すアルノアの言葉にカイラスの動きが止まる。そして暫く沈黙が満ちた後、アルノアと視線を合わせた。
「……随分と、ご心配をおかけしたようで」
「責めているわけではない。むしろここまで回復してくれたことに安堵し、感謝している。だが治ったわけではあるまい? 戦場を経験した者は、一定の確率でそうなるものだからな」
アルノアは知っている。カイラスが戦場に立ち、多くの者を喪い、精神を病んだことを。そしてその時の生活が如何に荒れ果てていたのかも。
だが西部では軍役が義務として課せられている。ましてや辺境伯家の子孫だ。カイラスに向けられる期待は大きかった。
「古傷を掘り返したいわけではない。だが雇用主であり、領主でもある身だ。聞かねばならないこともある。特に、最近は寝不足気味だと聞いてな。もしやと思い、こうして場を設けたのだ」
カイラスは「道理で」と納得しながらカップを揺らし、ゆらゆらと蝋燭の灯を映す水面を見つめた。
「寝不足気味なのは、日中に行えなかった業務を片付けているからです。自分の本業は薬師ですが、今はロアンの教育が最優先ですので、日頃はそちらに注力しております。結果的に自身の本業がおざなりになっているだけですので、ご心配には及びません」
「そう言ってくれるのは嬉しいが、君が倒れては意味がない。それこそロアンは傷つき、自分を責めるだろう。君も分かっているのではないか? 優しいあの子が『自分のせいで倒れてしまったのではないか』と想像した時、どんな顔をするのか」
雇い主として、また領主として。鋭くも的確に切り込んできたアルノアに、カイラスは観念したように瞼を下ろす。
「……善処します」
「フッ。改善するとは言わないのだな」
「先程も申しましたが、本業は薬師ですので。兵士から剣を取り上げることが出来ないのと同義です。私には、私の戦場がございますので」
そう告げたカイラスに、アルノアは視線を向ける。目の下にうっすらと隈が残る顔は決して健康そうには見えないが、西部にいた頃に比べたらマシになったと言えるだろう。
アルノアは、かつて戦場で心を壊した弟のような存在にカップを近付けた。
「今夜、君が良い夢を見られるよう祈ろう」
「フッ。随分と大げさな。ですが、お気遣いはありがたく頂戴いたしましょう」
分かりにくいだけで自身を心配してくれていたのだと、観念して認めたカイラスはそのカップに自身のカップを軽く合わせる。
そうして琥珀色の液体を同時に口にした二人は、静かな公爵邸の一室でとつとつと昔話に花を咲かせたのだった。
終わり




