誇り高き公爵令嬢
一方本邸へと戻ったヴィエラは、すっかりいつもの調子で部屋に戻り、呼び出されたアルノアの執務室に赴いていた。
「ヴィエラ。今日は流石に我儘が過ぎたぞ」
「ええ。お父様とお母様にあの凡骨、……王子のお相手を任せてしまったことは、反省しておりますわ。ですが、ロアンに向けて投げた暴言だけは、わたくし、絶対に許しません。誰に何を言われても」
アルノアと並び立っていたセラフィアは、いつもよりヴィエラの雰囲気が異なっている気がして「あら?」と口元に手を当てる。だがアルノアは気付いていないらしく、溜息を吐いて額に手を当てた。
「ヴィエラ。お前が理不尽に怒るような子供だとは思っていない。だが、我々もお前が何にそんなに腹を立てたのか分かっていないんだ。よければ聞かせてくれないか? お前が何に傷つき、ああまでして心を守ろうとしたのかを」
ヴィエラは改めて自分の目を見て話す父の姿に目を細める。
普通であれば、このような騒ぎを起こした娘など軟禁されるものだ。頬を叩かれ、食事を抜かれ、最悪一生家から出して貰えないかもしれない。
だがアルノアは違う。ヴィエラがあそこまで腹を立て、王子を攻撃するだけの理由があったに違いないと耳を傾けようとしている。
ヴィエラは心からそんな父親を尊敬しながら、顔を上げた。
「わたくしにとって、かつて家族に呼ばれていた『ヴィー』という愛称は、とても特別なものですわ。お父様やお母様、お兄様達に『愛されていた』という証拠ですもの。ですが──」
忘れることなど出来ない、去年の出来事。一人の男が貧困に喘ぎ、這うような形で山を越えてきた。公爵邸でぬくぬくと育っていた自分達を羨み、何かを叫んだ。
あの時の恐怖を、光景を、生まれた責任感を、このまま潰してはならないと『か弱かった自分』を切り捨てた。それが『ヴィー』という愛称と優しい記憶だった。
「覚えておいででしょうか。去年、我が家の庭に侵入してきた男のことを」
「……あの者か」
「ヴィエラ……お前、覚えていたの?」
驚愕したように目を丸くしたセラフィアに、ヴィエラは頷く。そして静かに自分を見下ろすアルノアに視線を戻し、部下が上司に報告するように告げた。
「わたくしは、あの時誓ったのです。弱いままでは誰も守れないと。わたくしは、公爵令嬢です。グラディアスの名を背負い、剣と盾となって国民を守る、誇り高い家門の元に生まれたのです。それなのに、いつまでも守られてばかりでは、一体何から人々を守るというのです? 剣も知性もない者が、一体何から領民を守れるというのですか」
「ヴィエラ……」
二人も覚えている。あの日を境にヴィエラは変わった。元々聡い子だったが、兄と遊ぶよりも本を読み、剣を振る時間を増やした。寝る間も惜しんでひたすらに文字を追っていたのはそういうことだったのかと、ようやく二人も腑に落ちる。
「わたくしは、この地が好きです。冬は寒く、きびしい。ケモノも、山も、かんたんに人の命をうばってしまうし、雪がうらめしくなる日もあります。それでもわたくしは、この地に住まう人々を守りたいのです。大事だから、だから……」
ヴィエラは一度そこで言葉を区切ると、『家族に愛されなかった少年』の姿を思い出し、唇を噛んだ。
「……ロアンになら、あずけられると……そう思ったのです。わたくしが切り捨てた弱さも……家族に愛され、つつまれ、なんの責任も感じずにいられた、小さな『ヴィー』だった頃の自分を。……ロアンになら……ロアンに、愛してほしかったのですわ。わたくしは、ロアンが好きだから」
それは、矜持が山のように高いヴィエラが零した、少女らしい切ない恋心だった。
「わたくしは、“グラディアス”です。ヴィエラ・ル・ルナリエ・グラディアスの名において、わたくしは、剣となり、盾となって皆を守らなければならないのです。ですから、王妃になどなりません。あんな見てくれだけのイスに座るだけでは、本当に守りたいものは、何一つ守れないのですから」
ヴィエラは知っている。緊急を要する戦時においてはグラディアスに全権が委ねられると。勿論王の決裁は後に必要となるが、一師団であれば先発隊として動かし、戦況を抑えることが出来る。つまり中央の玉座に座っては遅いのだ。本当に必要な時、王妃の手は多くの血が流れてからでないと動かせない。
「はあ……。お前の気持ちは分かった。言いたいことも、なぜあそこまで腹を立てたのかもな。……だが、だからと言って簡単に許すことは出来ん。王家への謝罪も行わなくてはならない。それは分かっているな?」
「はい」
「それと、王子を『好きになれ』とは言わない。あの子も不憫な身だ。そう嫌ってやるな。せめて……そうだな。ステーキに添えられているニンジン程度には許してやれ」
アルノアの、冗談なのか本気なのか分からない一言にセラフィアが「あなたねえ」と睨みつける。だがヴィエラは口角を上げ、優雅に微笑んだ。
「ごめんなさい、お父様。わたくし、あのニンジンが大っ嫌いですの」
「はあ……。まったく……お前と言う子は……」
アルノアは再度額に手を当てて俯いたが、可愛い娘を部屋に閉じ込める気にはなれなかった。
「ご安心くださいませ。晩さん会では大人しくしますわ。その程度の腹芸は必要ですもの。ねえ? お母さま」
「お前……どこでそんな言葉を覚えたのよ」
「オホホホホ。イヤですわ、お母様。いつもご自身がなさっていらっしゃるのに」
「ヴィエラ!」
セラフィアが生意気な娘に声を上げるが、ヴィエラは構わず手慣れた様子でカーテシーを行う。
「それでは、身なりを整えてまいりますわ。本日はお手間をおかけいたしました」
「……お前の処遇は王子が王都に戻ってから決めよう。それまでは大人しくしているように」
「拝命いたしましたわ。お父様。それでは改めて、失礼いたします」
以前と同じどころか、むしろパワーアップしたようにしか見えない娘の堂々とした背中を見送り、アルノアは背もたれに体を預ける。
「どうする。あの子は本気だぞ」
「どうもこうもないわよ……。私だってロアンに見所があるとは思っているわ。だけどまだ五歳よ? 五歳」
セラフィアとて感じている。ロアンの観察力と直感は大したものだ。だが王家から望まれた『婚約者候補』としての立場を簡単に蹴ることは出来ない。だというのに、アルノアは大した問題ではないかのように腕を組んでいる。
「確かにそうだが、我々が顔を合わせたのはその翌年だ。たいして変わらん」
「アルノー。あなたがそうやってヴィエラを甘やかすから、あの子が年々生意気になっていくのよ」
「ははっ」
「笑うんじゃありません!」
セラフィアは慣れた様子で夫の肩を叩くが、アルノアはむしろ安心していた。ヴィエラがロアンを酔狂やペット感覚で傍に置いているのではないかと、少しだけ危惧していたのだ。だがそうではなかった。
ヴィエラは、ちゃんと自分の『愛すべき者』を見つけていたのだ。
「父親としては寂しがるべきなのだろうが、喜びの方が大きいな」
「ああもう、これだからあなたって人は……!」
頭を抱えるセラフィアに反し、アルノアは再び笑みを浮かべる。
生意気な愛娘の未来が楽しみでしょうがないと言わんばかりの顔で。
次回更新6/17予定です。
ちなみに、ヴィエラは普通にニンジン食べられます。むしろインゲンの方が苦手です。つまりはそういうことです。




