ヴィエラの怒り
セラフィアは額を抑えた。甥であるアレクシスが、娘であるヴィエラの『地雷』を踏み抜いたからだ。
現にヴィエラは一旦は落ち着かせたはずの怒りを再度燃やし、アレクシスを睨みつけている。
「……今、なにをおっしゃいまして? 王子殿下」
ヴィエラは賢い子だ。本人のやる気さえあればうまくこの場を抜け出すことも出来る。だがヴィエラにとって『ヴィー』と呼ばれることは、自分の弱さも決意も話したうえで、それでも『呼んで欲しい』と思った相手にしか呼ばせる気のない愛称だ。
それをポッと出の男が、ただ『伯爵令息に呼ばせているなら自分もいいだろう』と安易な考えで口にしたことは、この上ない侮辱でしかなかった。
「『伯爵令息が呼んでいるからいいだろう』ですって? ずいぶんとうぬぼれた発言をなさるのですね」
「ヴィエラ嬢……?」
アレクシスは何故ヴィエラが怒っているのか分からなかった。親しくなるには呼び方を変える必要があるのか、と二人を思ったから口にしただけに過ぎない。
その名にどんな意味や気持ちが込められているのかなど、分かるはずがないのだから。
だがヴィエラにとってそんなことは関係ない。
立場を利用して自分の思い通りに出来るのではないか、と自惚れている男が、何よりも腹立たしかった。
「どうやら殿下は、大きなかんちがいをなさっているようですわね」
「え、っと、それは、どういう意味だい?」
「“王子だからなんでも許される”……などという愚かな思考を持つべきではない、と申し上げているのです」
ヴィエラは親の仇を見るかのような瞳でしっかりと見据えた後、固まるアレクシスに向かって吐き捨てた。
「誰がお前になど呼ばせるものですか。気色悪い」
「ヴィエラ嬢!」
「先程から失礼ですよ! グラディアス公爵令嬢!」
流石に聞き咎めた乳母と護衛が間に入れば、ヴィエラは目の前に立った者全員を冷え切った瞳で見上げる。
「あらまあ、相変わらず躾のなっていない駄犬ですこと。人の家でギャアギャアとみだらに叫び、主人がいかに『なさけないか』を吹聴するなんて。我が家では考えられないほどの愚かさだわ。『こんな従者になるな』と周囲に教えたいぐらいね」
「グラディアス公爵令嬢! これ以上の暴言は許されません!」
護衛の一人が腰に下げた柄に手をかけた瞬間、真横から抜かれた剣がその前で交差される。ギョッとした護衛が視線を向ければ、そこには無表情のまま剣を抜いたヴィエラの護衛達が佇んでいた。
「誰に向かって吠えているのかしら。お前がその剣を抜いた瞬間、わたくしも容赦はしないわ。“グラディアス”の名において、わたくしはいかなる侮辱にも屈しない。お前の主人が口にした、唾棄すべき暴言を、わたくしは決して許しはしないわ」
「うっ……」
ピリピリと左右から寄こされる騎士の殺気に、護衛騎士の指先が僅かに迷い、震える。それを見逃さなかったヴィエラは「本当に、つまらない男の元にはつまらない男しか集まらないわね」と吐き捨てた。
「お前たち、やめろ。下がれ」
「殿下! ですが……!」
「下がれ、と言っている」
この場を収めようとアレクシスが声をかけるが、護衛も乳母も動かない。むしろ『殿下を守らねば』という一心でヴィエラに立ち向かう面々に、遂にヴィエラは吹き出した。
「あっはははは! お前、本当に情けないわね! 従者に命令一つ聞いて貰えないの? どれだけバカにされているのかしら」
「公爵令嬢!」
「さきほどから公爵令嬢、公爵令嬢とうるさいわね。それ以外言えないの? 主人の命令をまともに聞くことすらせず、いつまでたっても吠えるだけでなにも出来ない愚か者のくせに」
アレクシス付きの護衛騎士は背筋に汗が伝い始める。相手は所詮五歳児だ。家格は自分達より上でも、王子よりは下である。それなのに、宝石のような瞳に睨まれるとうまく動くことが出来ない。加えて左右から突きつけられる殺気と刃の迷わなさが、護衛騎士に“恐れ”を抱かせていた。
「どきなさい。お前たちと話してやるほどひまではないの。それとも、主人の命令をきくこともないのだから、わたくしの命令もきけないかしら?」
「できません……。私達がここを離れれば、公爵令嬢が何をするか分かりませんから」
乳母が意を決したように睨みつけて発言するが、ヴィエラは鼻で笑うだけだった。
「まあ。お前、とんだうぬぼれ者ね。なぜわたくしがお前たちに何かしなくてはならいの?」
「はい? なにを……」
「お前たちも、そこの凡骨も、わたくしが手を下すほどの『価値』など少したりともないわ。“赤”すらもたないくせに、なにをえらそうに言えるのかしら」
クッと小バカにするように笑ったヴィエラに対し、乳母の顔が真っ赤に染まる。それは怒りでもあり、羞恥でもある。
何せこの国は『赤』を“最も高貴な色”と定めている。そしてそれは『王家の象徴』であり、初代国王と同じ『赤い髪』または『赤い瞳』を持つ者こそが玉座に相応しい、と謳われているのだ。
だがアレクシスはどちらも持っていない。父親である国王と同じ『赤い瞳』も、叔母であるセラフィアのような『赤い髪』もない。
王家として『赤』を持たないことは、『王としての資質』が足りないと噂されるほどのことだ。
それ故に、『赤い瞳』を持つヴィエラの方がよほど尊ばれ、敬われていた。
「お前がその顔を『赤』く染めたところで、そこの凡骨の位があがるわけではないわよ。わかったなら下がりなさい」
「なんたる暴言……! 公爵令嬢とて許すことは──」
「もういい。下がれ」
乳母が怒りに震える指を握りしめ、抗議しようとした瞬間、アレクシスがその手を掴む。そして先ほどよりも強い口調で「下がるんだ」と命令を下しながら睨みつけた。
「これ以上、恥を晒すな」
「………………かしこまりました……」
羞恥と怒りに耐えながらも、引き下がった乳母と剣から手を離した騎士に、ヴィエラの護衛達も静かに剣を収める。
そして改めて向き合った二人は、静かに見つめ合った。
次回更新6/7予定です。




