内側から見た公爵家
ここ数日、驚き尽くしの毎日を過ごしていたメアリだったが、今日はその中で最も『驚いている日』であった。
「それでね、カイラス先生がね! 『アサヤケソウ』を見つけた時ぼくに──……」
「そう。ずいぶんと楽しかったのね」
「はい! とっても楽しかったです!」
「ならいいわ。ほら、喋ってばかりいないで、クッキーも食べなさい」
「ほぁむ」
あの『生まれつき高貴である』と言わんばかりに輝いていたヴィエラが、姉のようにロアンにクッキーを食べさせているのだ。
メアリは思わず目を擦って凝視してしまう。
「どう? おいしいでしょう」
「んい! んいひいれふ!」
「バカね。飲み込んでから答えなさい」
クスクスと笑うヴィエラは非常にご機嫌に見える。
メアリは知らなかったが、今しがたロアンに食べさせたのは『ヴィエラお手製』のクッキーだった。
勿論料理長やフィリア達の手助けはあったが、それでも厨房に入ることなどありえない立場の人間が作ったのだ。その価値は金貨を積んでも手に入るか分からないほどに高い。
だがロアンが気づくはずもないので、リスのように膨らませた頬を動かしている。
「ヴィエラ様。このクッキー、ふつうのクッキーとちがいますね。あまいのにピリピリします」
「よく気づいたわね。そうよ。このクッキーには辺境で購入したスパイス……香辛料を使っているの。ラディア夫人から教わったレシピなのよ」
「じゃあ外国のおかしの味なんですか?! すごいですね! とってもおいしいです!」
「フフ。気に入ったならまた作ってあげるわ」
頬杖をつくヴィエラの横顔は心底幸せそうで、見ているだけで恥ずかしくなるほど空気が甘い。
メアリはどうしていいか分からず視線を逸らすが、慣れているフィリアとジゼルは存在感を完全に消した状態で控えていた。
「また作ってあげるって……ヴィエラ様がつくったんですか?!」
「ええ、そうよ。はじめてにしては上出来でしょう?」
本人は『余裕だった』と言わんばかりの笑みを浮かべているが、実際の厨房はかなり緊迫した空気であった。
何せヴィエラの『初めてのお菓子作り』だったのだ。料理長だけでなく、あらゆる者達がヴィエラのお菓子作りが失敗しないよう目を光らせていた。
結果的にオーブンの温度が合わず、最初に作ったクッキーは全て丸焦げになってしまったが、二度目の挑戦では無事に焼くことが出来た。それを今ロアンに食べさせているのだ。
「ヴィエラ様、すごいです! ぼく、こんなにおいしいクッキーはじめて食べました!」
「あら。お前、はじめて公爵家のタウンハウスに来た時も、同じように感動していたじゃない」
「はい! あのクッキーもおいしかったですけど、ヴィエラ様がつくってくれたクッキーのほうがもっとおいしいです!」
「フフ。ならいいわ。ほうびにもう一枚食べさせてあげる。口をあけなさい」
「はーい!」
メアリは確信した。ヴィエラ様、めっちゃロアン様のこと好きじゃん。と。
頬の内側を噛んでいないと耐えられないほどに甘い空気に晒されていると、ドアをノックする音が響く。
「ヴィエラ様。ロアン様。公爵閣下と奥様がお戻りになりました」
「あら。すぐに行くわ。ロアン、行くわよ」
「はい! ヴィエラ様!」
本邸を纏める執事長が呼びに来たため、ロアンとヴィエラはいつものように手を繋いで玄関へと向かう。
王都にあるタウンハウスで働く者からしてみたら『見慣れた光景』になっていたが、北部の本邸にいる者達にとっては未だに慣れない光景だった。
何せ『あのヴィエラお嬢様』が、家族と侍女以外に手を触れさせているのだ。
これは本邸の者達にとって大きな衝撃だった。
しかも今日はロアンの為にクッキーまで焼いている。
最初に失敗した時など、悔しさを滲ませた声で「ロアンには言わないで」と零したほどなのだ。
それほどまでの魅力があの少年にあるのか。
誰もが不思議に思う中、ロアンは公爵夫妻を出迎えるためにエルディオンやイリアスと共に並んで立つ。
「やあ、ロアン。今日はカイラス様たちと出かけていたんだろう? 楽しかったかい?」
「はい! とっても楽しかったです! 見たことないものがいーっぱいありました!」
「そりゃあよかったな。しっかし、うちの領地もお前さんからしてみれば宝の山かぁ。と、噂をすればカイラス先生が来たぜ」
「何だ。人の噂なんぞするもんじゃないぞ」
「違うよ。うわさじゃなくて、先生とおでかけしてた話をしてたんだよ」
「はいはい。さいですか」
公爵家の『客人』でもあり、ロアンの『特別講師』として招かれているカイラスは辺境伯の息子だ。国防を担う辺境伯の血筋であれば、グラディアス公爵家の客人として申し分はない。だがそのカイラスもロアンと行動を共にし、親しくしている。
本邸の者達はますます困惑していた。
何より、彼らが敬ってやまない当主夫妻が彼を『保護する』と決めたのだ。剣術家門の子息でもない、成り上がりの伯爵家の次男を、だ。
ハッキリ言って使用人たちは、『高貴な公爵家に相応しい存在』だとは思っていない。
だがそんな気持ちはおくびにも出さない。主人の意向に逆らうことは出来ないし、すべきではない。
ましてや公爵家全員が受け入れているのだ。ならばここは粛々と従うべきだと、使用人たちは頭を下げていた。
そんな使用人一同が頭を下げる中、公爵邸の重たい扉が開く。
「今戻った。お前達、元気にしていたか?」
「出迎えご苦労さま。予定より遅くなったけど、何事もなかったかしら」
「はい。何事もございませんでしたよ。ロアンが猪突猛進であったこと以外は」
子供たちの代わりに、代表として答えたカイラスの足元でロアンが「すみません……」と小さくなっている。
だがそんな姿に呆れた目線を向けるどころか、アルノアもセラフィアも「ロアンなら仕方ない」と微苦笑を浮かべるだけだった。
「ロアン。ちゃんとカイラス殿の言うことを聞くと約束したことは、覚えているか?」
「はい……。でも、見たことない虫さんと、お花を見つけたら、ついはしっちゃいました……」
「子供ってそういうものよねぇ。でも約束は約束よ。あとで自分の何が悪かったか、反省文を書いて持ってきなさい。いいわね?」
「はい……」
しょんぼりと見えない耳と尻尾が垂れているようにしか見えないロアンに対し、夫妻は小さく笑う。
「報告はカイラス殿から聞くが、ロアンが感じたことは後程改めて聞くとしよう」
「そうね。私たちは先に湯浴みをしてくるわ。ああ、でも、その前に……」
セラフィアはそう言うと、フィリア達の横に控えていたメアリに視線を向けた。
「メアリ・アレスト、だったかしら」
「は、はひ!」
「話があるから、ついて来なさい」
「は……はい……」
メアリは思わずロアンを見つめた。情けなくも小さな主人に助けを求めたのだ。
だがロアンは助けるどころか笑顔で「いってらっしゃい!」と手を振ったため、メアリは泣く泣く公爵夫妻の後を追うしかなかった。
※職場の体制が変わるため、次回より更新日が隔日になります。(5/8更新予定)
遅れそうな際はお知らせいたしますので、見捨てずにお付き合い頂けましたら嬉しいです。




