『専属侍女』としての務め
公爵家のメイドなど、そう簡単になれるものではない。むしろとんでもなく狭き門だ。
貴族家からの紹介やコネが必要であったり、教養や特別な技能も必要とされる。伯爵家など目ではない。それこそあらゆるものが雲泥の差だ。
メアリはそんな場所に、今立っている。
「メ、メアリ・アレストです! よろしくお願いいたします!」
おさげが勢いよく飛び上がるほどに大きく頭を下げたメアリの前には、ヴィエラの専属侍女達が立っていた。
「ええ。よろしくお願いしますね。私はフィリアと申します。ヴィエラ様の乳母でしたが、今は専属侍女として働いておりますわ」
そう言って微笑んだのは、前髪を重く垂らして両眼を隠した背の高い女性だった。両サイドでまとめた髪がまるで羊のようであったが、彼女の所作は鮮麗されており、到底メアリが気軽に声をかけていい相手には見えなかった。
その隣には長い黒髪をポニーテールにした女性が立っており、まるでよく研がれた剣のように鋭い瞳でメアリを見やる。
「私はリゼルです。同じくヴィエラ様の専属侍女、兼護衛です。ヴィエラ様に楯突く者はすべて排除するつもりなので、どうか私の刃が向かないよう、慎ましくお過ごしください」
「ヒ、ヒイィィィ! よ、よよよよろ、よろしくお願いしまひゅ!!」
リゼルの自己紹介に小心者のメアリが悲鳴を上げれば、すぐさま先輩侍女であるフィリアが「いけませんよ、リゼル」と過激な侍女を嗜める。
「メアリはロアン様の侍女としても働くのですから、先輩として優しくしてあげませんと」
「それはそうですが……」
ジゼルは「なぜこのような臆病者と……」と言わんばかりに顔を逸らしたが、メアリはそれどころではなかった。
「フィ、フィリア様! ロアンお坊ちゃま、ロアン様をご存知なのですか?!」
「あら。まあ。ウフフ。ええ。よく知っておりますよ。もうすぐお二人もお戻りでしょうから、お出迎えに参りましょうか。ジゼル。ヴィエラ様に報告をお願いしますね」
「かしこまりました」
ジゼルは美しく一礼すると、まるで電光石火の如き速さで退室する。あまりの速さにメアリの目が点になっていると、フィリアが「では、参りましょうか」と優しく促す。
そしてフィリアと共に巨大で、かつ美しく加工された玄関扉の前に立つこと数分。その扉が開くと同時に、元気な声が響き渡った。
「ヴィエラ様ー! ただいま戻りました!」
「待て、ロアン! 泥を落としてから入れって言っただろ!」
「はっ! わすれてました!」
──メアリは信じられなかった。
たった一年程度しか傍にいられなかった、あの『死んだように生きていた少年』が、こんなにも大きな声を出す姿など見たことがなかったからだ。
そしてそんな少年は長身の男性に叱られつつ服に着いた泥を払うと、茫然と立ち尽くしていたメアリと視線を合わせ──丸い目を更に丸くした。
「メアリ! メアリだ!」
「お、おぼっちゃま……! ロアンお坊ちゃま! こんなに、大きくなられて……!」
『泣き虫メアリ』は幼い頃からすぐに泣くことで有名だった。それは今も変わらず、ロアンの成長した姿に感動して涙を溢れさせている。
だがそんなメアリに対し、ロアンは伯爵家にいた頃とは違い、生き生きとした笑顔を見せながら駆けつけてくる。
「メアリ! ねえ! 本当にメアリだよね?! ぼくだよ! ロアンだよ!」
「はい……はい……! わかりますとも……! ロアンお坊ちゃまのことを、メアリは一日たりとも忘れたことなどございません」
涙を零すメアリに、フィリアがそっとハンカチを差し出そうとする。だがそれよりも早く、その頬にロアンがハンカチを当てた。
「あ。ちゃんとキレイなハンカチだよ! ヴィエラ様にいわれてね、いつも三枚もちあるいてるんだ! ヴィエラ様が用意してくれたんだよ!」
「まあ……さようでございますか。ヴィエラ様は、お優しくていらっしゃるのですね」
「うん! すっごくやさしくて、キレイなんだよ! メアリにも会わせてあげるね!」
メアリは既にヴィエラと顔を合わせているのだが、今の今まで外に出ていたロアンが知るはずもない。そんなロアンの元に、ジゼルと共に歩いてきたヴィエラが呆れたように声をかける。
「さわがしいと思ったら……。ロアン。大きな声をだすなんて、はしたないわよ」
「あ、ヴィエラ様! あのね! 前に話してたメアリがここにいるんだよ!」
「ええ。知っているわ。それよりも、まずはお風呂に入ってきなさい。全身泥だらけじゃないの。一体どこまで行っていたのよ」
ゆっくりと階段を降り、そのまま真っ直ぐロアンの元に向かったヴィエラは全くメアリに視線を向けない。だがそれが普通なのだ。メイドなど、主人の視界に入っていい存在ではない。
だがロアンはメアリと再会出来たことがよっぽど嬉しいのか、呆れるヴィエラをものともせずに話し続けている。
「あのね、今日はカイラス先生とエドワルおじいちゃんといっしょに『リセ村』に行ってね、見たことないお花と虫を見つけたんだ!」
「まあ。庭師のエドワルまで巻き込んだの? 本当にお前はしょうがない子ね。はあ。話はあとでいくらでも聞いてあげるわ。だからまずはお風呂に入ってきなさい。わかったわね」
「はい! ヴィエラ様!」
床に座り込んでいたメアリは、夢を見ているようだった。
話しかけても「うん」「ううん」「いらない」としか答えなかった少年が、今はこんなにも沢山言葉を話し、笑顔を浮かべている。
それによく見れば頬はふっくらとしており、肌も髪も艶めいている。身長も随分と伸びており、別人のようであった。
それでもメアリには分かるのだ。この『生まれ変わったように笑う少年』が、かつて自分が救えなかった子供なのだと。
「メアリ。お前もいつまでぼうっとしているの。お前の『主人』が帰ってきたんだから、シャキッとしなさい」
「へ? わ、私ですか?」
「そうよ。フィリア、手伝ってあげて。メアリ、お前は公爵家の『メイド』でもあるけれど、ロアンの『専属侍女』でもあるのよ。ロアンに相応しい侍従が見つかるまではお前が責任者なんだから、しっかり働きなさい」
「へ……。へええええ?!?!」
驚きのあまり飛び上がったメアリのおさげが大きく揺れる。そしてそんなメアリを見上げ、ロアンは「メアリは元気いっぱいだね」とのほほんと笑った。




