異国の香り
訓練後の汗を濡らしたタオルで拭いた後、一同は朝食を摂る。そこで改めてカイラスがロアンの『教育係』に任命されたことが発表された。
「カイラス殿は学院での成績も優秀だったと聞いている。北部では君の仕事の邪魔にならないよう、改めて教育係を手配する予定だ。だがそれまでの間、子供達の教育を頼みたい」
「かしこまりました。謹んで拝命いたします。公爵閣下」
「よろしくお願いします! カイラス先生!」
ニコニコと、本当に嬉しそうな笑顔を向けて来るロアンに対し、カイラスは微妙な表情を浮かべる。別に嫌っているわけではない。シンプルにロアンの素直さに慣れていないのだ。
だがヴィエラはそれが不満らしく、ムッツリと黙り込んでいる。
「どうしたよ、ヴィエラ。可愛い顔が台無しだぞ」
「余計なお世話よ、イリアス兄様。それから、わたくしは『可愛い』ではなく『キレイ』なのよ」
「ツッコムとこそこかよ」
まさかの返答にイリアスは頬を引き攣らせるが、ヴィエラの懸念も分からないわけではない。
イリアスから見てもカイラスはぶっきらぼうな男だ。一つ一つの所作は美しいのに、言動の粗さが『がさつな男』という印象を与えてしまう。また、自分が言えた義理ではないが、貴族らしい口調とも言えない。なまじ見目が整っているだけに、人によっては大きなダメージを受けそうなほど荒々しい男だった。
だがロアンは気にしていないらしい。いつもより表情が明るく見える。現に「訓練の時にもいろいろ教えてもらいました!」とアルノアに報告している。
今まで一人で虫を観察するだけの時間を過ごしてきたのだ。色々なものを見聞きするだけでなく、体験できることが嬉しくて楽しいのだろう。
出会った頃に比べてしっかりとした口調で話すロアンに、イリアスも「成長したなぁ」という気持ちになる。
「感謝する。カイラス殿。それから、レオニス。公爵領には三日後に経つ予定だ。それまではここで兵士の訓練を任せたい」
「おう、いいぞ。うちにとってもグラディアス家の兵士と手合わせ出来るのはありがたい。だが、お前さんはどうする? 子供達と一緒に領内を視察するか? 大したもんはないが、子供達にはいい勉強になるだろう」
主にロアンに対して言っているのだろう。レオニスの視線が子供達へと向く。それに対しアルノアは頷き、今日の午前から午後にかけて辺境伯の主要な町を見て回ることを決定した。
そしてその案内役に選ばれたのが──
「じゃじゃーん! 案内役はこのアタシ、レナリアよ!」
「わあ……。レナリア姉様かぁ……」
「またうるせーのが来たなぁ……」
「いっそおじさまの方がマシだったわ……」
馬車の前に集っていた面々の前に登場したのは、元気溌溂なレナリアだった。これには公爵家の子供達も「面倒くさい」という顔を隠し切れなかったが、唯一ロアンだけは笑顔で「師匠だー!」と喜びの声を上げていた。
「公爵家の兵士をうちで訓練させる間、護衛が必要でしょ? アタシなら護衛も出来るし、道案内も出来る。勿論、他にも人はつけるわよ? でもやっぱり腕が立って、なおかつ華のある人間がいないとね! さ! 時間も勿体ないし、サクサク行くわよー!」
おー! と言わんばかりに腕を天に突き立て、勇ましく愛馬の元に歩き出すレナリアは絶好調だ。そんな相手にロアン以外は既に疲労を感じている表情を浮かべつつ、馬車に乗った。
そして移動すること数十分。辿り着いたのは、王都と比べて活気も民家も少ない『市場』だった。
「ここがうちのメイン市場よ。それから、右手側に見える大きな川が西部の生命線なの」
そう言って馬上から右方面を指さしたレナリアは、連なる山脈から流れて来る一本の太い川を示す。とはいえ舟が必要なほどのサイズではない。それでも西部にとっては『唯一無二』の生命線であり、代えがたい宝であった。
「ああした川沿いに畑を作っているの。馬車では行けないから、見たかったら下りて歩くことになるわ。どうする? 行ってみる?」
「いや、先に市場の調査をしたい。頼めるだろうか」
「了解。それならこの先に馬車を停められる場所があるから、そこに行きましょう」
アルノアの答えに頷くと、レナリアは後ろについていた護衛の一人を使いとして出させ、宿屋の一画に馬車を停める。そして数分歩いた先に続く市場は、やはり王都に比べて人が少なく、嗅ぎ慣れない匂いに満ちていた。
「王都やアイゼンヴァルト伯爵領とはぜんぜんちがいますね……」
「そうね。第一夫人の影響力を感じるわ。あちらの国の商品が多いもの」
ヴィエラが口にしたように、市場には見たことのない加工肉や衣類が並んでいる。生憎観光地ではないため呼び込む声などは聞こえてこないが、ロアンからしてみれば立派な『異国』であった。
「ふわあぁぁ~。見たことないものばかりだから、楽しいです!」
「そう言って貰えると嬉しいわ。正直、アタシは昔の辺境を知らないけど、第一夫人のおかげで西部の暮らしもずいぶんと楽になったみたいだから」
「第一夫人……ラディア様のことですか?」
ロアンが晩餐会で顔を合わせたエキゾチックな女性を思い出すと、レナリアが「そうよ」と返す。
「ラディア様は東にある国の王女様だったの。結構有名だったみたいよ。優秀で、男だったら間違いなく王様になれただろう、って噂されてたみたい。でも向こうは女性が玉座につくことは出来ないから、婿探しが重要だったんだって。そこで見つけたのが父様だった、ってわけ!」
「へえ~。そうだったんですか」
頷くロアンがふと強い匂いを感じ、そちらに視線を向ければ、様々な形の小瓶が所狭しと並んでいた。
「あれは……香水?」
母の部屋で似たようなものを見た記憶があったロアンが呟けば、レナリアが即座に肯定する。
「よく分かったわね。あれはラディア様の故国から仕入れてきた香水よ。東部から来た商人から仕入れているの。ただ、庶民向けではないわね。水辺に住んでる富裕層とか、アタシ達みたいな貴族しか買えないの」
その理由は何なのか。アイゼンヴァルト伯爵家と、この辺境を見ていれば自然と察することが出来た。
「香水……高いんですね」
「うん。どうしてもね。他国からの輸入品だから、値段は上がっちゃう。でも、庶民向けの香水もあるのよ。売り物に出来なかった薬草や、香草を使って作るの。案外逞しいんだから、うちの領民は!」
レナリアは明るく答えるが、ロアンは同じ国内でここまで違うのかと少なからずショックを受けていた。
現に一般庶民が購入するという香水は瓶詰されたものではなく、香草をそのまま袋に詰めたものや、部屋に焚いて匂い付けするものが殆どだった。『香水』と呼ぶには少々みすぼらしい。
ロアンは改めてこの地の格差と厳しさを感じとる。
その目はただぼんやりと生きていた頃に比べ、より一層『知識』への興味と欲に溢れていた。




