無知の恥
訓練は敵兵の数が三割を切ったところで終了し、砦を守っていた兵士側の勝利となった。
それでも模擬とはいえ訓練だ。本気でやり合った兵士たちは大なり小なり傷や怪我を負っており、医療班は右に左にと慌ただしく走り回る。
「どうだ。去年入ったばかりの新兵もいたが、中々様になっていただろう」
「ああ。よく鍛えられている。兵たちの動きも悪くない。見事なものだ」
「そうだろう。まあ、まだまだな奴も多いがな」
「新兵で逃げずに立ち向かえたのであれば十分だ」
レオニスとアルノアが淡々と訓練の内容について言葉を交わす中、終始座り込んでいたロアンは不意に立ち上がり、医療班の元に向かった。
「……あの、兵士さん」
「ん? なんだ、坊主」
ロアンが話しかけたのは、壁に寄りかかって座っていた一人の兵士だった。少々目つきが鋭く、口調も荒っぽいが、ロアンを見ても特に顔を顰めることはない。むしろ小さな子供と話すことに慣れているようだった。
「さっき、おなか、切られてましたよね? いたくなかったんですか?」
「ああ、そりゃ痛いさ。模擬戦だから打ち身程度で済んだが、実際の戦場なら死んでただろうな」
訓練兵はそう言って、先程戦場で切り付けられた脇腹を軽く叩く。だがそれが刺激になったのか、兵士は「うっ」と声を上げた。ロアンは咄嗟に顔を顰めたが、すぐにしゃがみこみ、何の処置もされていない場所を見つめる。
「お医者さんはなんて言ったんですか? お薬は、なかったんですよね?」
「ただの打ち身に薬なんか使わないさ。水も貴重だしな。休めば治る」
慣れているのだろう。表情を変えずに言ってのけた兵士に対し、ロアンはおずおずと口を開く。
「あの……切られたところ、見せてもらっていいですか?」
「はあ? 何でまた。坊主が見るもんでもないぞ?」
「知りたいんです。ぼく、なにも知らないから」
転んで擦りむいた時の痛みは知っている。傷口の形も。だがこんなにも激しく戦った後の状態がどうなるのか、ロアンには想像も出来ない。だからこそ『知りたい』と自ら動いた少年に、兵士は訝しみながらも服を捲ってみせた。
「ほらよ。大体こんな感じだな」
「うっ……!」
兵士の鍛えられた体には無数の傷がある。そして先ほど打たれた場所は痛々しいほどに赤くなっており、兵士は「夜には青紫色に変化するだろうな」と冷静に判断した。
「ひどい打ち身ね。でもよかったじゃない。骨に影響はなくて」
「あ! ヴィエラ様!」
ロアンの背後から声を掛けたのは、いつの間にかいなくなっていたロアンを探しに来たヴィエラだった。その後ろにはいつものように侍女たちが控えており、勝手に消えたロアンに「一人でどこかに行ってはダメですよ」と小声で囁いた。
「金髪に赤い瞳……王族?!」
「違うわ。グラディアス公爵家の末の娘よ。お前、貴族ではなさそうね」
後ずさり、顔を青褪めさせた兵士にヴィエラは冷静に対応する。そして「平民なのか」と問われた兵士が「そのとおりです」と緊張で硬くなりつつも答えると、ヴィエラは「そう」と頷いた。
「平民ならしょうがないわね。それで? ロアンはこの男に何の用があったの?」
貴族であれば即座に無礼な物言いに抗議をする気でいたが、平民ならばしょうがない。
ヴィエラは公爵令嬢であってもその辺りは寛大なので、さらりと受け流した。むしろ本題はロアンが何に興味を持ったかだ。それを知るためにも問いかければ、ロアンはしょんぼりと俯いてしまう。
「ヴィエラ様は、兵士さんのこと、いろいろ知ってますよね? でも、ぼくはなにも知らないから、ケガをした人がどうなるのか、知りたくて……」
「傷口の様子が気になったの? ふぅん。確かに、今医療班に声をかけるのはよくないわね。お前、少し付き合いなさい」
「は、はい!」
ヴィエラに見下ろされ、兵士はすぐさま背筋を正す。そして慌ただしく立ち上がろうとしたのを片手で制し、ヴィエラは改めてロアンに向き直った。
「ロアン。お前が気になっていることを教えてあげる。本来なら『打ち身』と呼ばれるこのアザは、冷やして治すのよ。だから薬は必要ないし、そもそも打ち身に効く薬もないの」
「そうなんだ……」
「ええ。だから薬がないことと、今回処置されていないこととは無関係よ。安心しなさい」
ヴィエラはロアンが何を気にしているのか察していた。
何せストーンリッジ伯爵領は南部寄りにあるため、ここまで過酷な土地ではない。私兵はいても、ロアンのことだ。きっと話したことはないだろう。むしろ存在を知っているのかどうかも怪しい。
ましてや薬が満足に行き渡らない環境など想像すらしていなかっただろう。
現に『薬は必要ない』と聞いてほっとしている。
「でも、冷やすならお水が必要ですよね? お水はどこからとってくるんですか?」
「本来なら井戸や川から汲んでくるが、打ち身を冷やす程度なら使わないさ。飲み水を始めとした『生活水』が優先されるからな。俺達もこの程度慣れてるから、坊主は気にしなくていい」
「そんな……」
ロアンは水の使用量も頻度も気にしたことがない。だが雨量の少ない西部では『生きるための水』が優先される。
ならばこそ兵士に必要なのではないかと考えたが、ヴィエラが先ほど口にしていた。
兵は『民と国を守るために戦う』のだと。
だからこそ市民の生活を優先し、水を無駄に出来ないのかもしれない。と考え、再度俯いた。
「ロアン。お前が傷つく必要はないのよ。この問題は、この地を治める辺境伯と、公爵家が解決しなければいけないことなんだから」
「でも……! ……ごめんなさい……わかりました……」
何か言いたくても、どんな言葉を使えばいいのか分からない。
今日だけで何度も味わった苦い思いを、ロアンは小さな体で耐えるしかなかった。
そしてヴィエラも、そんなロアンをもどかしい気持ちで眺めることしか出来ない。
──誰も悪くないのに、ずっと後味が悪い。
ヴィエラは「最悪な気分ね……」と苦虫を噛み潰したような気持ちで、忌まわしいほどに晴れ渡る空を見上げた。




