初めての市場視察
ロアンが自分の境遇を理解して涙を流した翌日。重たい瞼を擦りながらも、ヴィエラ達と共に朝市に来ていた。
「ロアン、大丈夫か? まぶたが開いてないぞ」
「朝が早かったからね。まだ眠いのかな?」
声を掛けてきたイリアスとエルディオンは、早朝の訓練もあるため早寝早起きが習慣づいている。だがロアンの瞼が重いのは昨夜泣いたからであり、眠気を感じているからではない。
だが素直に「泣いていました」と言うのは恥ずかしく、ロアンは「大丈夫です」とだけ返して笑顔を浮かべる。
「ロアン。つらくなったら言うのよ」
「はい。ヴィエラ様」
隣にいたヴィエラが気遣わし気に見てくるが、その姿はいつもと違い華やかさに欠けている。
というのも、あまりにも『貴族らしい』格好で市場に来るのは憚られるからだ。
そのため『裕福な一般人』に見えるよう、平民寄りの服装に身を包んでいた。
それでも自然と発せられるオーラは庶民のものではないので、市場にいる人々は彼らが『変装した貴族』であることを肌で感じていた。
「まあ『視察』とは言ってるけど、本格的ってわけでもないしな」
「うん。ここは王都からも近いし、不正を嫌うアイゼンヴァルト伯爵の領地だからね。人々の活気や庶民の生活を学ぶ感覚で見ればいいよ」
見習い騎士としてよく城下町や下町に来るイリアスは勿論、エルディオンも高位貴族として市場の変化を注視している。
人々の活気や物価、不審人物や商売がないか確認するのが目的だ。
とはいえ本格的な視察を行うほどアイゼンヴァルト伯爵は怪しい人物ではないので、普通に街を散策するのを楽しみにしていた。
「案外庶民の食い物もうまいんだぜ?」
「イリアス。また仕事の間につまみ食いしているのか?」
「つまみ食いじゃねえよ! 巡回中に町の人がくれるんだって!」
エルディオンから白い目で見られるイリアスだが、その実仕事はキチンと行っている。まだ十歳とはいえ、見習い騎士として巡回している時によく周囲を見ているのだ。
その結果ひったくりやスリを見つけては捕獲し、王都や領地内の一部地域では顔が知られていた。
何だかんだ言ってイリアスも頭の回転が早く、口も上手い。更に見目もいいとくれば女性からの人気が絶大だ。
最初こそ貴族の令息としてどう接するべきか悩んだものだが、流石子供というべきか。あっという間に『下町言葉』を覚え、地域住民と馴染んでしまった。
結果的に貴族令息としては大失点の粗っぽい口調になってしまったのだが、本人は「こっちの方が話しやすい」と存外気に入っていた。
そんな兄弟を他所に、ヴィエラはロアンの手を引きながら市場を見て回る。
「朝市にはいろんなものが並ぶのよ。食べものから衣類まで、必要なものはだいたいそろっているわ。地域によっては『骨董市』と呼ばれる、古い品物を売り出す時もあるの」
「そうなんですね」
当然ながらロアンは朝市も骨董市も見たことがない。そのため「ほあ~」と感嘆しながら、何度も周囲を見渡す。
そしてとある青果店の前に来たところで、あることに気がついた。
品物の前や上に表示されている金額が『高い』のか『安い』のか分からないのだ。
「えっと、ヴィエラ様。これって安いんですか? それとも高いんですか?」
「そうね。王都に比べたら安いけど、やっぱり貿易の中心地である東部や、穀倉地帯の南部に比べたら高いわね」
「東部と南部……」
「ええ。もう一つの公爵家──『セルディア家』がまとめている産業地帯よ」
ロアンは国の地図もまともに見たことがない。そのため言葉だけでどうにか想像しようとするが、セルディア家のことも『産業地帯』がどういうものかも分からず、首を傾けるしか出来なかった。
「ロアンにはまだ難しいか」
「でも、そろそろ本格的な勉強が必要な年齢にはなってきたからね。ロアンも少しずつ国のことや、貴族のことを学んでいこうか」
二人の後ろを歩いていたイリアスとエルディオンにフォローされ、ロアンも「べんきょう……したいなぁ」と知識不足の自分を自覚して呟く。
だがその声はあまりにも小さく、活気のいい人々の声にかき消された。
「ま、ヴィエラといっしょに学べばいいさ。……って、簡単に言ったけど、うちのお姫様はそこらへんの子供よりかしこしから、ついていくのは大変だろうけどな」
「が、がんばります! でも……ぼくにおしえてくれる人なんているのかな……」
家族に『愛されていない』と実感したばかりだ。あの両親が自分にまともな教育係をつけてくれるのか。
不安を抱き俯いたロアンに、ヴィエラは「あら」と声を上げる。
「お前はうちで学ぶのよ、ロアン」
「へ?」
「先ほどイリアスお兄様がおっしゃっていたでしょう? “わたくしといっしょに学べばいい”と」
「え。でも……」
そんなことが許されるのか。
確かにロアンは『伯爵家』の次男だ。高位貴族の端くれではある。だが端くれだという自覚があるからこそ、公爵家の人間と同じ教育を受けてもいいのか分からない。
困惑し、恐縮するロアンだったが、ヴィエラはいつも通り堂々としたものだった。
「いいに決まっているでしょう? むしろお前の『聞きたがり』な部分につきあえる人間をやとえるのは、うちぐらいのものよ。だから安心してうちで学びなさい」
あまりにも当然のことのように言われ、ロアンはポカンと口を開けて固まってしまう。
それからオロオロと周囲を見回し、公爵を見つけると「公爵様!」と声を上げた。




