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レディ・ヴィエラは揺るがない  作者:
幼少期-領地編-
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ロアンの涙


 豪華な部屋に震えていたロアンだったが、結局公爵に連れられ客室へと戻ってきた。


「ロアン。確かにこの部屋は君の実家と違って、様々なことが違う。不安に思うのは無理もない。だが何も怖い物などないと約束しよう。それに、本当に汗や泥で汚したところで伯爵は怒ったりしない。我々は騎士の家門だからな。汗と泥には慣れているんだ」

「はい……」


 日頃から使っているベッドの二倍はあるだろう。大きなベッドに潜り込んだロアンに、公爵は穏やかに話を続ける。


 周囲はアルノアのことを『グラディアス公爵家を率いる厳格な当主だ』と思っているが、実際のところは子供や老人には優しい。穏やかな人なのだ。

 だがそれを知るのは一部の人間のみだ。


 その『一部』に自分が入っているなど露知らず、ロアンはアルノアの声に耳を傾けている。


「今日は不慣れな馬車の旅に加え、晩餐会もあった。不安と興奮で眠れないかもしれないが、体は疲れているはずだ。今夜はちゃんと横になって休みなさい」

「はい……。ごめんなさい、公爵様」


 ベッドの中でしょんぼりとするロアンに、アルノアは普段よりも少しだけ表情を緩める。


「謝ることはない。……むしろ、私も君には感謝している。ヴィエラと仲良くしてくれて、ありがとう」

「そんな……ぼくこそお礼がいいたいです。ヴィエラ様が、お母様のお茶会でぼくに声をかけてくれなかったら、ぼくはずっと……ひとりぼっち……だったから……」


 ロアンはずっとそれが『普通』だと思ってきた。

 家族に拒否されるのが。自分の好きなものが否定されるのが。


 誰にも理解されず、打ち解けられず、笑われ、蔑まれ、忌避され、遠ざけられ、『自分達とは違う』と指を指されて背中を向けられるのが『当たり前』なのだと思っていた。


 だがヴィエラと出会い、それは『違う』のだと学んだ。


 好きなことは好きなままでいいのだと、虫が好きでも『おかしくない』のだと、誰もが当然のように言い、受け入れてくれた。


 ロアンが宝石が好きだと言えば並べて見せてくれた。まともな服を持っていないからと、仕立ててくれた。

 家族にもされたことがない、あたたかな真心が滲んだ行為だった。


 現にヴィエラが仕立ててくれた服はどれも軽く、肌触りがよく、まるで羽衣のようだと感動した。

 今日着ていた服も、今着ている寝間着もそうだ。

 その時自分がどれほど『貴族らしからぬ服』を身に着けていたのか理解し、恥ずかしくなった。


 そうして真新しい『貴族らしい』服に袖を通し、着られているように見えた自分を、ヴィエラは満足気に笑んで「いいじゃない。似合っているわよ」と褒めてくれた。


 ヴィエラはいつだって優しく、太陽のようにまぶしい。


 そして真正面からぶつかってくれるのだ。

 ロアンの行動を認め、時には褒め、時には呆れ、時には叱ってくれる。


 エルディオンとイリアスもそうだ。最初こそ「妹に近付く悪い虫」かと思い警戒していたが、ロアンがあまりにも裏表がないので逆に心配し、今では実の弟のように可愛がり、面倒を見てくれる。


 公爵家のタウンハウスにいたメイドや使用人達も、誰一人としてロアンを笑わなかった。

 時に会釈をし、時に手を振ってくれる。物を運んでいたらすぐに飛んできて代わりに持ってくれる。手や顔が汚れた時は綺麗なハンカチを躊躇することなく取り出し、拭いてくれる。


 ロアンにとって公爵邸は、まさに『陽だまり』のような場所だった。


 愛情のない、冷たい伯爵家の中が『自由のない檻』に感じるほどに。


「う……ごめん、ごめんなさい、ぼく、こんな、う、うぅ、なく、つもりなんて、」

「……構わないとも。ここには私しかいないからな」


 ロアンはずっと気付いていたけれど気付かない振りをしていた。だがこんなにもあたたかく、愛情深い公爵家と関わることで、認めざるを得なくなったのだ。


 ──自分が『家族に愛されていない』ということに。


 公爵は突然涙をあふれさせたロアンに一瞬だけ目を丸くしたが、すぐに大きな手を伸ばし、癖のある髪ごと頭を撫でる。だがロアンはすぐに泣き止むことが出来ず、ずっと「ごめんなさい」と謝罪を繰り返す。

 その悲痛な、胸を裂くような痛みを伴った声はとても聞いていられるものではなく、アルノアはそっと嘆息する。

 そして腰掛けていたベッドから立ち上がると、「呆れさせた」とハッとして体を震わせたロアンを突然ベッドから引き出し、そのまま腕に抱いた。


「こ、公爵様?!」

「……昔、イリアスが癇癪を起して大泣きしたことがあってな。その時、セラフィアから『子供が泣いていたらこうやって抱くものだ』と教わった」

「セラフィア様が……?」


 セラフィアは元王女だ。子育てなど乳母やメイド、侍女に任せてもよかったのに、彼女は積極的に子育てに参加した。

 そうしてエルディオンよりも自己主張の激しいイリアスに手を焼きながら、子供との向き合い方や触れ方を学んだのだ。


「イリアスは、思い通りにいかないとすぐ物にあたる困ったやつでな。一年ほどだろうか。あの子の部屋に割れやすいものはおかないように指示をだしていたぐらいだ」

「そんなことが……」


 今の頼り甲斐のある姿からは想像出来ない幼少期に瞠目すれば、公爵はロアンの背中をポンポンと優しく叩く。


「ロアン。お前はまだ子供だ。泣くことは決して悪いことではない。悲しいと思えば泣いていい。悔しいと思ったら声に出していい。我々は、お前の気持ちをちゃんと聞くと約束する」


 アルノアは、そんな子供時代を送れなかった。今のロアンのようにそれが『当たり前』だと考えていた。

 そんなアルノアに「なんで何も言わないのよ!」と怒ったのは、かつて王女だったセラフィアだった。


 ──だからこそ理解できる。ロアンにとってヴィエラがどれほど眩しい存在なのか。


 そして誰にも甘えることが許されなかった子供時代を過ごした自分達だからこそ、子供が“子供”でいられる間は愛情を持って接してあげようと誓い合ったのだ。


「ロアン。今まで、よく頑張ったな」

「うっ、ふう、う……うぅ、うえ、えぐっ、ひっ、ぐ、」


 ロアンは声を押し殺すように公爵の広い肩にしがみつく。アルノアは感情表現豊かなロアンが、泣くことだけはこんなにも下手くそなのかと初めて知った。


 ロアンにとって初めての旅路は、自分達にも沢山の驚きと『気づき』をもたらしてくれるだろう。アルノアはそう感じた夜だった。


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