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重力の支配、あるいは開演の雷鳴

ステージの幕が上がる直前、舞台袖の空気は凍りついていた。美墨なぎさは、心臓の鼓動が耳の奥で爆音のように響くのを感じていた。隣に立つ星空みゆきは、あまりの緊張からか、マイクを握る指が白くなっている。けれど、その瞳だけは爛々と輝き、ステージから溢れ出すライトの奔流を真っ向から見据えていた。対峙するのは、かつて自分たちの夢を完膚なきまでに叩き潰した、日向大和率いる絶対的な「王道」のユニットだ。


「……怖気づいている暇なんてないわよ」


なぎさが自分に言い聞かせるように呟くと、月影ゆりが静かに肩に手を置いた。その手の温度が、なぎさを戦士の意識へと引き戻す。


暗転していたステージに、突如として一条の光が差し込んだ。それはセンターに立つ日向大和を射抜く、黄金のスポットライト。彼女がゆっくりとマイクを口元に寄せた瞬間、会場を埋め尽くした数万人の観客が、まるで魔法にかけられたかのように静まり返った。大和は、不敵な笑みを浮かべ、客席の最後列までも支配するような、圧倒的な「一音」を放った。


それは歌声というよりも、会場の分子すべてを自身の引力に従わせるような、重厚な宣告だった。


大和が放つその最初のリフだけで、ぴかりが丘学院が必死に構築してきた不協和音の余韻は、文字通り霧散した。彼女のリードは、仲間の才能を百分の一ミリの狂いもなく引き出し、一つの巨大な「正解」として提示する。夏木りんが「重力が違う」と絶句した通り、大和たちのパフォーマンスは、聴く者の肺から空気を奪い、ただその旋律に跪くことしか許さない、暴力的なまでの完成度を誇っていた。


「——これが、私たちの答えだよ、美墨なぎさ」


大和の視線が、舞台袖で見守るなぎさを正確に射抜いた。その瞳には、かつての自分たちを嘲笑うような余裕などない。あるのは、自分たちの「正解」を邪魔する不純物を、徹底的に排除しようとする、冷酷なまでのプロフェッショナリズム。


曲が始まった瞬間、会場の支持率メーターは、狂ったように大和たちのユニットへと傾いていった。彼女たちのダンスは、重力という概念を忘れたかのように軽やかで、それでいて一歩踏み出すごとに大地を揺らすような力強さがある。秋元こまちが「完璧すぎる」と震えるほどに、彼女たちの音には一切の迷いがない。


なぎさは、その圧倒的な光を浴びながら、自身の内側から湧き上がる「恐怖」と、それ以上に激しい「渇望」を感じていた。


これだ。自分たちが夏に敗北し、地の底を這い、泥を啜ってでも求めてきた、あの高い壁。大和の放つ旋律は、ぴかりが丘がようやく手に入れた「新しい武器」を、まるで子供の遊びだと切り捨てている。


「……なぎささん、凄いです。大和さんの音、身体が勝手に震えちゃいます」


みゆきが、震える手でマイクを握りしめたまま笑っていた。


「でも、あんなに強い光があるなら……その分、私たちの闇はもっと深く、もっと鋭くなれるはずです!」


みゆきのその一言が、なぎさの脳裏で火花を散らした。 そうだ。大和が王道という名の光で会場を支配するなら、自分たちはその光を吸い込み、視界を奪うほどの「漆黒のノイズ」を叩きつければいい。


大和のユニットが放つ、雷鳴のようなロングトーンが会場を席巻する。観客は熱狂し、叫び、彼女たちの引力に身を委ねている。その最高潮の瞬間に、なぎさは仲間に合図を送った。


「——いきなさい、みゆき。あんたの咆哮で、あの完璧な空気を切り裂いて!」


ステージの交代。大和たちが悠然と舞台を去り、入れ替わりでぴかりが丘学院の六人がライトの中に躍り出る。


先ほどまでの「正解」で満たされていた会場に、なぎさが叩き込んだのは、心臓の鼓動を狂わせるような、不吉で、けれど抗いがたい引力を持つ「低域の歪み」だった。


大和が作った完璧な秩序の海に、なぎさは自らの理性を代償にした「混沌の毒」を滴らせる。


「……何、この音……?」


客席の熱狂が、一瞬だけ困惑へと変わる。だが、その困惑こそがなぎさの狙いだった。大和の引力で固められた観客の意識に、一筋の亀裂を入れる。そしてその亀裂に、星空みゆきという名の猛獣が、剥き出しの牙を剥いて飛び込んでいった。


みゆきの第一声は、大和の黄金の旋律とは真逆の、地の底から這い上がるような泥臭い、けれど誰よりも生命力に満ちた絶叫だった。


その瞬間、ホールの空気が爆発した。


大和の「正解」に酔いしれていた観客たちは、今度はぴかりが丘の「間違い」という名の熱病に冒され始めた。日向咲と夏木りんが左右から火花を散らすようなダンスを見せ、月影ゆりの冷徹な高音が、大和が残した残響を一つずつ塗り潰していく。


なぎさは、自身の喉が焼けるような感覚を覚えながら、大和の後ろ姿を見つめた。 舞台袖に戻った大和は、立ち止まり、初めて振り返った。その瞳には、想定外のノイズに対する「驚愕」と、そしてライバルを認めた者だけが持つ、凶暴なまでの「悦び」が宿っていた。


「——面白い。壊せるものなら、壊してみなよ、美墨なぎさ」


大和の唇が、音もなくそう動いたように見えた。


第96話、重力の支配。 王者が放った最初の一撃。それは、烏たちの翼を折るためのものではなく、彼女たちがどこまで高く、どこまで暗く飛べるかを試すための、残酷なまでの招待状だった。


再戦の幕は、今、血を吐くような絶唱とともに切って落とされた。 なぎさは、自分たちがこれから見せる「不協和音のフルコース」の設計図を、頭の中でさらに激しく書き換え始めた。

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