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漆黒の初陣、あるいは平穏への決別

秋季アイドル選抜フェスティバル、地区予選の初戦。巨大なイベントホールのステージを包む空気は、開演前特有の熱気と、どこか残酷な期待感に満ちていた。ぴかりが丘学院の対戦相手としてステージに上がったのは、伝統ある清純派ユニットとして知られる中堅校のグループだった。彼女たちのパフォーマンスは、教科書通りに美しく、観客もまた、その「予測可能な安心感」に手拍子を送っている。


だが、舞台袖で出番を待つ美墨なぎさの瞳に、その光景は映っていなかった。なぎさは耳に装着したモニターの音量を微調整し、背後に控える五人の気配を感じ取る。そこにいるのは、かつての自分たちのように「一生懸命に可愛いアイドル」を目指す少女たちではない。敗北の泥を啜り、鉄格子のレッスン場で毒を喰らい、互いの個性を削り合って研ぎ澄まされた、異形の群れだ。


対戦相手の曲が終わり、静寂が訪れる。司会者のアナウンスと共に、ぴかりが丘学院の六人が暗転したステージへと足を踏み入れた。客席からは「夏のドームで宇佐美いちかに挑んだユニットだ」という囁き声が漏れる。しかし、照明が激しく点滅し、最初の一音が放たれた瞬間、その囁きは一瞬で凍りついた。


なぎさが叩き込んだのは、心臓を直接掴むような、重く、鋭利な電子音のビートだった。それはアイドルの初戦にふさわしい華やかなファンファーレなどではない。まるで宣戦布告のような、無慈悲な音の塊。


「——いくわよ。目を逸らさないで」


なぎさの低く、通る声がマイクを通じてホール全体に伝播する。直後、六人の動きが爆発した。


これまでのぴかりが丘の武器は、なぎさの計算に基づいた「完璧な調和」だった。しかし、今の彼女たちは違う。なぎさが提示するのは、調和とは真逆の、歌い手を崖っぷちまで追い詰めるような不協和の旋律。夏木りんが荒々しい重低音で空気を震わせ、日向咲と秋元こまちが、迷路のように複雑なコーラスの壁を築く。その中心で、月影ゆりが冷徹なまでに正確なハイトーンを響かせ、ステージの格を一人で吊り上げていた。


観客は困惑していた。彼女たちの音は、心地よくない。むしろ、どこか不安を煽り、聴き手の神経を逆撫でするような「棘」がある。だが、その棘が一度刺さると、二度と耳を離すことができない。不快さが中毒的な興奮へと変貌していく。


そして、その混沌の頂点に、星空みゆきが飛び出した。


「——っ、はあぁぁぁ!!」


みゆきの絶叫に近い高音が、なぎさの設計した迷路を粉々に粉砕しながら、真っ直ぐに観客の胸を撃ち抜く。みゆきはなぎさの合図を待たなかった。なぎさが「ここが限界だ」と設定した音域をさらに踏み越え、予測不能なタイミングで旋律を支配する。なぎさはそれを見て、戦慄すると同時に、歓喜に震えた。


(いいわ、みゆき。もっと、もっと私を壊しなさい!)


なぎさは即座に、みゆきが暴走させた旋律を「正解」へと書き換えるように、背後から猛烈な勢いで音を補填し、さらに高い壁を築く。エースが道を切り拓き、リードがその後ろに広大な戦場を構築する。ワークショップで日向大和から突きつけられた、逆転の共鳴。


対戦相手の少女たちは、ステージの端で呆然と立ち尽くしていた。自分たちがこれまで信じてきた「アイドル」という概念が、目の前の漆黒の翼たちによって無残に解体されていく。彼女たちが「一生懸命」という盾で守ってきたステージを、ぴかりが丘は「圧倒的な個」という名の矛で、跡形もなく蹂んできた。


客席の支持率メーターが、見たこともない速度でぴかりが丘側へと振り切れる。それはもはや勝負ですらなかった。ただの、一方的な「証明」だ。


一曲が終わり、静寂が戻ったとき、ホールを包んだのは拍手ではなく、一種の畏怖だった。自分たちは今、見てはいけないものを見たのではないか。そんな空気を、みゆきが汗を拭いながら見せた満面の笑みが、一瞬だけ和らげる。


「なぎささん、今の、すごかったです! 景色が、ドームの時より広く見えました!」


「……まだ序の口よ。こんなところで満足してたら、あいつらに笑われるわ」


なぎさはステージを去る際、二階の関係者席へと視線を向けた。そこには、次の出番を待つ日向大和や、冷ややかな視線を送る九条ひかり、そして――どこかのモニター越しに自分たちを見ているであろう、宇佐美いちかの影があるような気がした。


楽屋に戻る通路で、なおコーチが腕を組んで待っていた。


「……やりすぎよ、なぎさ。相手の戦意を完全に喪失させるなんて、性格が悪いわね」


「コーチ。相手を思いやる余裕なんて、あの夏に置いてきました。……私たちは、もう烏じゃない。空を食らう怪物になるって決めたんです」


なぎさの言葉に、なおコーチは不敵に笑った。


初戦突破。それは、ぴかりが丘学院にとって単なる一勝ではなかった。かつての「可愛らしい挑戦者」としての自分たちを葬り去り、新しい時代の破壊者として産声を上げた、血塗られた儀式だった。


ホールの外では、秋の風がさらに激しさを増していた。なぎさは、自分の指先がいまだに興奮で痺れているのを感じていた。


漆黒の初陣。 彼女たちの羽音は、もはや誰にも無視できない不吉な旋律となって、秋の空を侵食し始めていた。次なる獲物は、より強く、より高く。烏たちの逆襲は、まだ始まったばかりだ。

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