断罪の乱舞、あるいは鏡張りの迷宮
スタジアムの照明が、不気味なほどの鮮やかさで琴爪ゆかりを照らし出していた。彼女の瞳は、もはや獲物を観察する蛇のそれではなく、獲物がどう抗い、どう絶命するかを純粋に楽しむ、邪悪な子供のような無邪気さに満ちている。ゆかりがマイクを弄ぶたびに、ぴかりが丘学院の面々は、自分たちの喉元に冷たい刃を突きつけられているような幻覚に襲われていた。
美墨なぎさは、自身の指先が、鍵盤を叩く前からゆかりに「握られている」ような感覚に陥っていた。なぎさがどんなに複雑なコード進行を頭の中で組み立てても、一歩動くより先に、ゆかりの視線がその方向を射抜いてしまう。論理は感性に凌駕され、戦術は直感に踏みにじられる。なぎさがかつて経験したことのない、全方位を鏡で囲まれたような、逃げ場のない迷宮の中に彼女たちはいた。
「——さあ、次は何を見せてくれるのかしら? なぎさちゃん」
ゆかりの声が、スタジアムの四方八方のスピーカーから同時に降り注ぐ。それは完璧な音響制御によって、なぎさの「思考の居場所」を物理的に奪いにきていた。
なぎさは意を決して、高速の転調を仕掛けた。夏木りんと日向咲を最前線に立たせ、彼女たちの激しいダンスで視覚情報を飽和させる。その影に隠れて、星空みゆきを、いちかの背後の「死角」へと滑り込ませる。昨日の大和戦で勝利を掴み取った、極限の連携。
だが、ゆかりは動かなかった。彼女はあえて、みゆきの動きを無視し、なぎさの「左手」の動きだけを凝視していた。
「——残念。本命はこっちよね」
ゆかりが放ったのは、みゆきの咆哮を遮るためではなく、なぎさがみゆきへ「音のバトン」を渡す瞬間の、わずかな中音域を完全に消滅させるための、鋭利なノイズだった。
なぎさが鳴らしたはずの音が、ゆかりの放った干渉波によって、空中で霧散する。バトンは誰の手にも届かず、みゆきは音のない虚無のステージで、独り虚しく跳ねるしかなかった。
「……っ、そんな……指の動きだけで、全部……!」
なぎさが戦慄する。ゆかりは、なぎさがどの鍵盤を、どの程度の力で叩こうとしているか、その微細な筋収縮さえも読み取っていた。それはもはや音楽の領域ではない。他者の「意志」が身体に伝達される瞬間を狙い撃つ、旋律の暗殺術だ。
支持率のメーターは、再び無慈悲なほどに「白」へと偏り始める。スタジアムを埋め尽くす「白鳥」の支持者たちは、ゆかりが繰り出す「断絶」の美しさに酔いしれ、敗れゆく烏たちの無様な姿を嘲笑うような手拍子を刻み始めた。
「——なぎさ、下を向くな!」
月影ゆりの鋭い声が響くが、彼女自身のベースリフもまた、有栖川ひまりや立神あおいの重厚な演奏によって押し戻されていた。王者のユニットは、ゆかりという尖兵がなぎさの精神を折る間に、宇佐美いちかという巨大な「重力」を、スタジアムの全域に定着させようとしていた。
「——パティスリー」の反撃。 いちかが再び、天を仰いで口を開く。 それは先ほどまでのような一方的な蹂躙ではなく、ゆかりが作り出した「空白」を、自身の圧倒的な光で埋め尽くす、完璧な清算だった。
いちかの声が、なぎさたちの足元を掬い、思考を焼き、羽を奪う。 ゆかりはその光の奔流の中で、まるで蝶のように軽やかに舞い、なぎさたちが必死に紡ごうとする「次の一音」を、一つひとつ丁寧に、残酷に、笑顔で摘み取っていく。
「——あら、これは少しだけマシな旋律ね。でも、私の世界には不要よ」
ゆかりが指を鳴らすたび、秋元こまちの繊細なコーラスが消え、咲の情熱が冷やされ、なぎさのプライドが削られていく。
第120話、断罪の乱舞。 烏たちは、空を飛ぶための「意志」そのものを、紫の蜘蛛の巣に絡め取られてしまった。 なぎさは、自身の指がもはや自分の命令に従わないかのような、奇妙な無感覚に包まれていた。視界が白く染まり、観客の歓声が遠い波の音のように聞こえる。
(……届かない。あの一人の女を越えることさえ、できないのか……!)
絶望が、冷たい汗となってなぎさの背中を伝う。 だが、その暗闇の底で、星空みゆきだけは、まだ折れてはいなかった。 みゆきは、声の届かない静寂の中で、血が出るほど唇を噛み締め、なぎさの「震える背中」を見つめていた。
いちかが最高潮の絶唱に向けて、大きく息を吸い込む。 ゆかりが、なぎさの「崩壊」を確信し、最後の断罪のポーズを取る。
スタジアムが王者の勝利を確信した、その刹那。 なぎさの瞳に、再び昏い炎が宿った。
それは「正解」を求める者の光ではない。 すべてを奪われ、すべてを否定された者が、最後に自分自身を焼き尽くして放つ、滅びの予兆。
なぎさは、自身の指を鍵盤に深く、突き刺すように沈めた。 「……ゆかりさん。……まだ、終わってないわよ」
スタジアムの嵐は、王者の凱歌をかき消すような、漆黒の地鳴りを孕み始めていた。




