タイの殺し合い
ここはロシア『ウラル山脈』にある森。
肌寒い風が木々の隙間から強く吹き荒れる。
マエンがその茂みを手で退けて移動する。
「お前はあの時の......」
マエンの先にいた男。
青のボクサーパンツ一丁のヴィクトル・ストライプだ。
「そう、俺だ」
「死に急いだか」
マエンは眉1つさえ動かさない。
変わらず、表情は峭刻しかった。
「死は老衰でお願いするぜ」
ヴィクトルが両腕のガードを上げる。
(筋肉の付き方からしてボクサーではない、総合格闘技のような万能の肉質、ただそれは逆に特筆したステータスがないということ。実績から鑑みても、強さはA程度だな)
「お前は国の脅威となるだろう。俺はお前を殺すことに決めた」
既に、彼は判断していた。
「余命宣告ってこんなに淡々としてんのな」
「早く戦を始めろ」
師匠が2人の前へ出る。
「では、私が言おう。かたや『ロシア最強』ヴィクトル・ストライプ、かたや『タイ最強』マエン・グウト。互いの健闘を祈る。それでは......開始めィ!」
この時、死線が引かれた。
それをヴィクトルが踏む。
右拳を構えたまま、前身である。
格闘技最速のジャブが。
炸裂!
......と思われた。
忽然とマエンが消える。
瞬間、胸に大砲が駆ける。
ヴィクトルが5m後ろの木に背中から衝突。
その部分の樹皮が砕け、鋭くなった物が背肉を喰い荒らす。
マエンは左肘を構えたままだ。
「ああっ! またかよ!」
ヴィクトルは背中を擦った。
「腕を差し込んだか。ふっ、だとしても、かなり肉が分厚い」
マエンは達観しているようだった。
「今のはお遊戯さ。お前にボクシングの恐怖を教えてやるよ」
またもや、前へ走る。
瞬間、加速させたのは左のジャブ。
先ほどとは比にもならない。
だが。
「遅い」
その拳が届く前にマエンの右がヴィクトルの頬を穿つ。
ただ、ヴィクトルは痛覚に逃げなかった。
勢いのまま、左がマエンの胸に到達。
しかし、マエンが上体を下ろす。
マエンの腕は自然とヴィクトルの左肘を掴む。
マエンが右腕を隆起させる。
ヴィクトルを下へ落とすつもりだ。
一方のヴィクトルも腕に全神経を注ぎ込む。
それでも、マエンは体重を利用っている。
ヴィクトルが落下しかける。
だが、次第にマエンの優勢が崩れ、ヴィクトルは墜落を免れる。
(俺が持久力で負けるか)
起き上がりざまに左脚が跳ね上がる。
その刀身は脇腹を捉えていた。
ヴィクトルが半歩引く。
だが間に合わない、肉に深く深く入っていく。
あまりに深部へ侵入していくので、ヴィクトルは目をかっぴらいた。
そして、すぐに後ろへかっ跳ぶ。
「やっぱ、強ぇや。あんた」
「当然だ」
「そんなあんたに1つ忠告だ。このフィールドはな、慣れるのに苦労したんだぜ」
瞬間、ヴィクトルが左にある茂みに隠れる。
マエンが迫る。
だが刹那、目の前に広がる茶色の世界。
しかし、マエンは視界を閉じない。
(土塊か)
突き刺さって、ようやく分かった。
目にも入るが、そんなことは目を閉じる理由にはならない。
「まじかよ」
驚いた表情で茂みから右に離脱。
「環境利用か」
それでもマエンは相手へ到着。
左から拳を飛ばす。
ヴィクトルが右掌で受け止める。
はずだった。
ジャブは確かに取った。
ただ、その拳が左肘へとすり変わっていた。
明らかなる想定外。
バスンッ!
投手の豪速球がミットに入るかのような音。
ヴィクトルの手首が捻れそうになるも、彼は瞬時に更に右へと歩を進めた。
それにより、事なきを得る。
「あっぶねぇな!」
「安心しろ、嫌がらせだ」
マエンが冷徹な肘を引く。
(ヴィクトルさんが押されてる......でも、俺にはどうにもできない。ただ、見守ることしかできない......!)
ロシアの審判は無常感を噛み締めていた。
(マエンが使っているのはムエタイでも総合格闘技でもない。更にその上だ。負けるわけがない......が、ヴィクトルよ、マエンを止めてくれ)
師匠は希望を託した。
「もう勝った気かよ? ここからだぜ、俺の強さはよ!」
ヴィクトルが土を右で蹴り上げる。
その一塊一塊が散弾の如き威力。
「読んでる」
しかし、もう既にマエンが眼前にいた。
その構えられた左手は人差し指と中指が立っていた。
目潰しだ。
ヴィクトルが右腕で受ける。
指はその肉を貫く。
それがマエンにとっての大きな隙へと転換される。
ヴィクトルが全身を稼働させた左ストレートを繰り出す。
(避けれんな)
マエンが首を下げ、額で一撃を止める。
しかし、その拳は予想以上に強力であった。
額が弾け、上体は仰け反る。
新たなる追撃が届くより前に後ろへ下がる。
「そう来たか......石を拳で握っているな」
マエンの判断力。
未だ、覆ることはない。
「ご明察!」
ヴィクトルが左手を開くと、そこには中くらいの石が潜んでいた。
「あの草に隠れた時、土を放った時、そこで拾っていたのだろう?」
(想定すべきところを見極めろ。土、石......木や葉、水も有り得るか)
マエンは失敗を糧とする。
だからこその『最強』なのだろう。
「それは教えれねぇな。あんたも探してみるかい? 綺麗な石とかをよ!」
ヴィクトルが人差し指の根元と親指の腹で石を飛ばす。
「ワンパターンだな」
マエンが右へ躱す。
そして、ヴィクトルまで移動する。
「そうとも限らねぇよ」
ヴィクトルが背にある木の枝を掴み上げ、上へ逃げ込む。
その樹はまるで大型トラックを縦に立たせたみたいに巨大だった。
もし、登ろうとしても上からヴィクトルが落としてくるだろう。
(うわっ、ずるいな)
審判ですら思うことだった。
「ここで策を練らせてもらう......え?」
そんな余裕だったヴィクトルの口角が崩れる。
「木など鍛錬でいくらでも割ってきた」
刹那、マエンが左脚を振り上げる。
ドゴンッ!
膝が樹皮へ衝突する。
すると、表面から亀裂が走り、それが内部、深部へと染み込んでいく。
木は根、幹、葉で支え合っている。
今、その均衡が崩壊した。
木は自重にすら耐えれなくなり、倒壊した。
「よっと」
ヴィクトルは既に後ろへ飛び降りている。
奴が迫って来てはいない。
「もう手立てはないだろう。潔く死んだ方がいい」
「......潔い死ってなんだ? さらっと死ぬのが潔いのかよ。泥臭くたって、藻掻いたって、生き残ることこそが人ってもんじゃねぇのか?」
その隣には多くの人間がいた。
生き残ろうと、目標を達成しようとして不遇にも亡くなってしまった方々。
その人たちの過ごせなかった人生、それをヴィクトルが引き継いでいる。
ヴィクトルの怒りのゲージが飽和する。
彼は砕けた材木を蹴り飛ばす。
だが、マエンは腕を急斜角にして、その木撃を流す。
細かい破片は甘んじて受け入れる。
その直後、マエンの懐に侵入。
左から土の塊を放つ。
(これは目くらまし......本命は握り石)
予想通り、右腕がフックの形で運ばれる。
マエンが半足下がる。
その瞬間、右手が完全に開かれる。
中に入っている石は当然、拳の届かなかった領域まで投擲される。
(判断を間違えたか)
マエンが石を右腕に喰い込ませる。
浅いが、皮膚は斬れる。
マエンは足を無理に地面へ。
そして、大地を蹴り、前へ爆走。
その時には横に右肘が展開されてあった。
(やっべ、近づきすぎた!)
ヴィクトルは必死に後退する。
幸いにも肘は届きそうにない。
ヴィクトルの目蓋がほんの僅かに落ちる。
刹那、どういうわけか、肘の下から左腕が現れたではないか。
ヴィクトルの防御は遅刻している。
それをもろに土手っ腹へ。
だが、特段と軽い。
「これは嫌がらせだ」
マエンの本命、それは......。
左脚を軸にして回転させた背面からの......左肘。
ヴィクトルの顎へとそれは誘われる。
防ぎようなどない。
あるのは無慈悲なまでの実力差。
脳が揺れたのか、ヴィクトルは仰向けで崩れ落ちた。
だが、彼は笑って見せた。
ここからが、本当にここからが、俺との戦いなのだと、言わんばかりであった......




