ハクギンの戦線
巻き上がる冷たい白粒。
それがルウェットの頬を叩く。
世界とはこれほどまでに白かったのか_______。
(内部体温上昇に加え、皮下体温低下......動けても、あと四、五分か)
ルウェットは自身の活動時間を推測する。
「......す」
声が聞こえたような気がした。
瞬間、白の一面から何かが飛び出してくる。
それが視界に入る。
エスの長槍だ。
しかし、その距離、実に二メートル弱。
ルウェットは慌てて、左に回避。
だが、そこでエスの銀閃が飛ぶ。
彼は為す術なく、心臓の脇を貫かれる。
血がどっぷりと出る。
(この戦い、エスとやるもんだと思ってたが......違ぇな)
そう、ルウェットが相手するのはエスではない。
数多の武器を備えし災害である。
声を、生命を......世界を___呑み込み、ただ聳え立っている。
「難儀だなぁ!」
言霊は途絶える。
それでも様々な武器が飛び込んでくる。
限られた時間の中でルウェットは最小限で躱す。
(そういえば......あいつはどうやって感知して来ている? 視界は不良、それは相手だってそうだ......)
「チッ......考えにふけりすぎた」
その間にルウェットの体から薄くも鮮血が溢れる。
ただその血も、すぐに冷えて固まる。
(いや、考えろ。喰らったって良い。じゃなきゃ......勝てる保証はねぇ)
そうだ。思い出せ。
ミスター......いや、Mr.轟道は何を言っていた。
「お前からはいつも雑音がする」
轟道はルウェットの胸に拳を当てる。
道場で稽古をしている最中にだ。
彼は轟道から武術を教わっていた。
「なんだ? ヤブからbowに」
ルウェットは鳩が豆鉄砲を喰らったような顔で返す。
「お前と戦った時もそうだったぞ」
「そりゃそうだろ。戦いに静かもクソもねぇ」
いつだって、戦とはそういうものだ。
「違う、そういうことではない......要は煩悩だ。迷いとは心の雑音であり、達人に近付くほど、それを見、聴くことだってできる」
「俺はどうすれば良いんだ!」
ルウェットは元気良く言った。
「迷いを心の奥の奥に押し込む。そして、自分の鼓動が鼓膜を破りそうになった時、それは為せる」
「あぁ。そうかい、そうかい」
彼はそっぽを向いた。
馬鹿にされているのだと思った。
......しかし、今となってはその言葉の真意を深く知るに事足りた。
「......っは。そういうことかよ!」
ルウェットは張り詰めた表情から一転、喜びに満ち満ちた表情で先を見据える。
この時、ルウェットの目つきは爽やかだった。
(要らない力も、迷いも、全部抜け!)
すると、彼の肉体はみるみるうちに細り、液体のように腕はぶらりと垂れ下がっていた。
その間。
武器の一つすら覗いてこない。
余力、煩悩を心に沈めたルウェットの鼓動。
それが今、跳ね上がる。
ドクン。
徐々に音が大きくなっていく。
ドクン!
その生命の声が鼓膜を劈かんとした時。
全てが聞こえた。
吹雪の音だけだと思っていたが、その奥に相手の呼吸、武器の構える音、その全てが聞こえた。
(なるほどな、音かっ! 流石だ。雪原の戦闘者は)
ルウェットが気付く。
一方、エスは吹雪に潜んでいた。
(なんだ? 急に向こうから音がしなくなった。あの薄着だ。死んでいてもおかしくない)
エスは右手に長剣、左にブラックジャックを持って彼へ近づいて行く。
一殺那。
「来る音が聞こえたぜ!」
その間合いに全速力のルウェットが侵入。
「なにっ!?」
エスが後退。
「遅ぇよ」
ルウェットが左で彼女の左肩を掴む。
「チッ」
エスの右の銀剣が上から唸りを上げる。
しかし、彼がその初速を抑え、右で更に右肩を掴む。
「掴んだらよ......この視界でも関係ねぇよなぁ!」
突如。
ルウェットの頭突きが走る。
エスは顔面でもろに貰う。
あまりの衝撃。
エスの額から血が垂れる。
その痛み、想像したくないものだ。
「近距離にもつれ込んだら勝てるとでも?」
左にあるブラックジャックを彼の水月に放つ。
しかし、痛ぶる素振りさえない。
「打撃は俺に通じねぇな」
「打撃? 違うわよ。打突よ、打突。分かる?」
掴まれていながらも、エスの余裕は潰えない。
そして、なぜか。
ルウェットが両の手を剥がす。
「礼は言わない」
(この白霧はいずれ晴れる。かつ、私を相手にずっと掴み続けるのはリスクが高い。要はそれが前か後かの話)
とはいえ、距離は近い。
超近接戦である!
エスの銀剣とブラックジャックが交差する。
そして、それが彼の胸元ににじり寄る。
ルウェットは右拳を突き出して、その二撃を喰い込ませる。
瞬間、ルウェットから左腕の振り抜きが飛ぶ。
しかし、これより速く、エスの左脚が跳ね上がる。
ただ、既にルウェットの思考は決まっている。
打撃はいくら喰らっても良い、と。
蹴りが直撃した直後。
彼の拳がエスの右肩を穿つ。
「くっ!」
瞬きの間にエスが十数メートルまで転ばされる。
その時。
風が弱まった、急激に。
白い世界が揺らぐ。
ルウェットはここぞというばかりに距離を離す。
「ここからが本当の戦いだ!」
(もう、寒いとも思わない)
ルウェットがここに来て、不敵に笑う。
そうして、ホワイトアウトが完全に居なくなる。
ようやく、審判の姿が見えるようになる。
そして、エス。
彼女は赤に染まるダウンを脱いでいた。
そこから黒色のインナーが現れる。
(この先の迷いは命取りだ。武器を絞らなければならない。ならば、武器を隠すための鈍重なダウンは要らない)
エスの眉が険しくなる。
右手に長剣、左にナイフ。
これが結論である。
ルウェットの足が踏み込む。
すぐにエスの眼前に移動。
ダガーで右腕への突きに走る。
身軽になったエスが左へ回避ざま。
二つの刃で彼の右脇腹の肉を斬った。
「ルウェット・ハサウェ。もう限界だろう。早く倒れた方が身のためだ」
エスが下がる。
「身のため? これは戦争だ。ここで死のうと俺は本望だぜ?」
ルウェットの体は臨界に差し掛かっている。
視界が歪む。
(戦場でもここまでの奴はいなかった......怪物め!)
怪物殺しもまた、怪物であった。
(持ってくれよ、俺の体!)
ルウェットの速度は格段に遅くなっていた。
それでも、エスに追いつくには十分。
またもや、両の刃が喰らいつく。
今度は胴体に縦と横の傷が走る。
「もう理屈じゃねぇ」
すると、その時。
ルウェットが頼みの綱であるダガーを地面へ。
捨てた。
エスが目を見開く。
武器もなく突進してくる男を見て。
エスもまた。
いや、武器のプロが......武器を捨てた。
(なにやってんだろ。私)
序盤、エスは氷柱のように鋭く、冷たかった。
しかし、ルウェットとぶつかり合う度に先が削れ、丸みを帯びていった。
丸みには温かみがある。
ルウェットに感化されたのだろう。
突如、高度な打撃戦が繰り広げられる。
ルウェットは豪快に放ち、エスがそれを腕で受け流して、その威力を相手へ返す。
手数が圧倒的なまでにエスが上。
ルウェットが押され始める。
鳩尾、顎、脇腹。
それらを的確に打ってくる。
(はっ、肉弾戦でも勝ち目がねぇ。でもな)
ルウェットは右拳を引いたところで止まる。
ようやく、体が動かなくなったのか。
とはいえ、エスの連撃は休まることを知らない。
その時、エスがなにかに気付く。
(これは......カラテ!)
エスは下がろうとする。
しかし、反応が遅かった。
(技ですらねぇが、最後に力を貸してくれ。師匠)
技ではない。
構えも崩れ、呼吸も乱れ、理屈など残っていない。
放たれたのは。
力任せの正拳突き!
それはエスの肋を幾本か折り、少し奥の氷壁へ吹っ飛すに至る。
瞬間、ルウェットの力が抜け、前のめりに倒れる。
一方、氷壁に衝突したエスは立っていた。
口から血を吐き出しながら。
「ルウェット。最後......なぜ、力を緩めた!」
エスから怒りと悲しみの宿った言葉が大きく漏れる。
「勝者! 『カナダ最強』エス・F・テータ......」
自国の審判ですら信じられないといった表情で辺りを俯瞰していた。
デンマークの審判アレックスはそれを呆然と眺めることしかできなかった。




