虚実は神樹のみぞ知る 3
学内でまだ用事があると言った従姉さんと高等部の昇降口で別れたあと、僕はツェレファイスの下町へと自転車を走らせた。贔屓の雑貨店で受け取ったグレープコーラの瓶が満載された木箱を自転車に括り付けると、一度僕は廃病院へと向かった。真が悪いというか彼女らしいというか、案の定モルペリアの姿はなかった。PCのディスプレイが置かれたデスクの下へと木箱を置いてから、寝床を兼ねるおんぼろのソファに腰を深く下ろした。そこで僕は、グレープコーラの瓶を片手にスマホでルミナ・サバト絡みの新たな情報がないか、しばらくネット掲示板を中心に眺めて過ごした。
目ぼしい情報は見つからず、またルミナ・サバトの元動画も僕の端末からは閲覧できないままだ。PCからも試したが無駄だった。アキヨシから何らかのメッセージがないか確認したが、昨日今日を含めた二日間、発言は一つも見当たらなかった。
「ただの夢……かぁ」
僕は、幾度となく脳裏で反芻した一昨日の殺人を再び思い返していた。血と糞便の放つおぞましい死臭と、季節外れの冷気が支配するあの現場の凄惨さは、今でもありありと鮮明に思い描くことができる。鼓膜の内で際限なく反響するアザレアの断末魔もまた同じだ。
それなのに、一連の事件の一切合切は、まるで砂糖細工のように溶けて無くなってしまった。代わりに砂糖の溶けた紅茶の水面に浮かび上がってきたのは、エルンスト・エックハルトなる怪人物。そして自ら命を絶った異常者ジルケ・ヘラーの肖像だ。
状況からして、エックハルトやジルケは僕の見たニセルミナによる殺人とは関連性はないように思えた。レインコート野郎によるルミナ・サバトにしたって同様だ。そもそも僕がエックハルトを警戒しているのは、アキヨシによる警告あってのものだ。彼の要領を得ない脅しがなければ、少なくとも僕は幼馴染のエリオットをリンチしたりはしなかった。ただ、彼に瓜二つのエックハルトが既に死んでいるという一点が、くすんだ澱みのように僕に座りの悪さを感じさせ続けていた。そしてまた、エリオットが目をかけていたというジルケがこの世を去っていたという事実にしたって同じだ。
そもそもなぜ、アキヨシはルミナ・サバトの話題を扱っている最中に、エックハルトの動画なんて送り付けてきたんだろう。あの金髪ロン毛が何かしら炎上でもやらかして、ネットの住人によっておもちゃにでもされているのであれば、例え日本国外に住む外人だろうが、トレンドに彼の名前が上がらないはずはない。にも拘わらず、ロクな情報は得られなかった。
試しに大手の掲示板でスレッドを立てて探ってみたが、二十レスを越えることなく、あえなくdat落ちした。掲示板内でエックハルトの名前を検索してみるも成果は上がらず、ますますアキヨシの意図と彼の持つネットワークに疑念が湧いて出てきた。
僕はアキヨシとの会話ログを遡ってみた。アザレアとアンナの死を目の当たりにした直後の会話だ。
アキヨシ:2023/6/10/02:24
気分悪くさせたなら謝る
アキヨシ:2023/6/10/02:24
別にそっちをバカにしようとか、そういう意図はないよ
アキヨシ:2023/6/10/02:24
僕らは君の味方だ
アキヨシ:2023/6/10/02:25
不用意に情報を出したことはこちらの不手際だ。不安にさせてしまってすまない
アキヨシ:2023/6/10/02:25
くれぐれも、危険なことには手を出さないでくれ
アキヨシ:2023/6/10/02:26
だがもし、君の傍にエルンスト・エックハルトがいるとするなら
アキヨシ:2023/6/10/02:26
絶対に刺激したりするな。可能な限り接触は避けろ
当時のことは、なかなかよく思い出すことはできなかった。アキヨシの語り口にも苛立っていたし、思考に薄靄がかかっているような感じだ。
何度読み返しても、彼の目的は分からない。ニュースサイトの記者といった雰囲気でもないし、そうだとするならエックハルトという特ダネをネタにすればいいじゃないか。少なくともアキヨシは、著名人というわけでもないエックハルトが死んで、異世界に転生している可能性を知り得ているわけだ。だったらそっちに取材でも何でもすればいい、わざわざ人気動画投稿者ってわけでもない僕のご機嫌取りなんかする必要はまったくない。
それとも、危険人物であるエックハルトに向かっていくよう、僕みたいな人間を焚きつけて廻っているのだろうか。これはさすがに邪推がすぎるか。回りくどいし、計画としてはあまりに杜撰だ。そんなことをしなくても、エックハルトなる人物の個人情報にあることないこと炎上しそうな風評をへばりつけてネットのふきだまりに流してしまえば、血気盛んなAtuberたちが数字欲しさに大捜索を開始するだろう。そんな様子は一切ない。三流ライター説は却下していいだろう。
しかし仮にアキヨシが悪意ある人間でないにしても、彼が幸島千彰の名前を出した件については、やはり不審を抱かざるを得ない。僕の身元をある程度掌握していることに他ならないが、さっき考えた通り、アキヨシが僕に媚びを売って得られるメリットなどたかが知れている。
だとすると、おのずと答えは絞られてくる。アキヨシは、生前の僕に近しい人間なんじゃないだろうか。自慢じゃないが、生前の僕の交友関係は大して広くない。オタク野郎の僕には親友と呼べる人間はいなかったし、彼女だってできたためしはなかった。そして、アキヨシはある程度ネットや情報機器に精通した人間。
これを踏まえて考えると、浮かび上がってくるのは僕の妹。すなわち幸島千彰本人ということになる。妹とはあまり会話をすることは多くなかったし、僕は彼女の通っている学校だって知らない。でも、僕とさして年の離れていない女の子が、スマホの一つも使えないなんてことはさすがにないだろう。なんたって幸島千彰って人間は――――
「幸島千彰っていうのは――――」
僕の妹。幸島家の第二子にして、長女。
それだけしか、思い出せなかった。
記憶の中の顔かたちや輪郭は辛うじて思い出せる。僕にそっくりな、頭は寝癖でいっぱいの汚らしいオタク女だ。耐えがたいほどの悪臭を常日頃から放っていて、顔は二度も見られないほどの不細工で、性格に逃避癖のある卑怯で情けない、度し難いほどの軟弱者だ。他人を妬み、羨み、憎むことしかできない愚か者だ。強者に媚び諂い、弱者を足蹴にする厭らしいまでの雌犬だ。得意な学問もなければ運動にも秀でたところはない。社会のお荷物だ。幸島家の恥だ。汚物だ。髪の色も、瞳の色も、声色も、他人の神経を逆撫ですることしかできない、僕に勝るとも劣らないような人間の屑だ。
それだけ。
その文字列だけが、僕の頭に浮かび上がってきた。
あらかじめ用意された文面が機械的にプリントアウトされてきたみたいだった。
実際に彼女という存在が動いて、喋っているところを、僕は思い出せなかった。それなのに、どうして唾棄すべき幸島千彰という女の情報だけが、こうも素直に連想することができるのだろう。どうしてこうも、現に僕が体験して、見知っているはずの事柄が、まるで夢か幻みたいに朧げに感じるのだろう。
「じゅ、十五年以上も前の出来事だから……しょうがない、よな」
よくあることだと、僕は溜飲を下げようとした。十余年も顔を見ていない一族の遠縁の顔が思い出せないのと同じだと、僕は思い込みたがった。思い込まねばならない。なにせ、それ以外に答えが見当たらなかったからだ。
鮮明な記憶があったとしても、それが真実とは限らないんだ。夢で済まされることだってある、つい最近経験したばかりじゃないか。
僕は深呼吸して、高揚しかかった気分を鎮めようとした。埃っぽさの中に、僅かにモルペリアの纏う香気を僕は感じた。そうさ、僕にはモルペリアがついているんだ。何なら、この世界の連中まとめて相手にしたってお釣りが来るくらいの魔術だって練られるんだ。四象の槍が破られることなんてありえない、あんなのはただの夢だとすればそれで全部片が付くじゃないか。
ニセルミナなんていうのは、Atuberの惨事に掛りきりになっていた寝不足の僕が見た、悪趣味な幻覚に過ぎないんだ。きちんと病院で診察してもらって、然るべき措置を受けて、薬を飲んで安静にして、生活リズムを正せば済むことだ。
大体なんだよニセルミナって。どの話ともまるで関係性がないのが、いかにも夢らしいじゃないか。愛情ルミナを面白半分に冒涜したことに対する、僕のささやかな良心の呵責が産んだ幻覚だ。それ以上にどんな説明がいるというんだろう。
思考を整えることができた僕は、アキヨシに向けてメッセージを打ち込んだ。
アクセル:2023/6/11/16:12
ヘタクソな煽りカスやめちくり^~(煽り)
アクセル:2023/6/11/16:12
宗教の勧誘だったら間に合ってるんだよなぁ……
アクセル:2023/6/11/16:13
【悲報】エックハルト松、ググっても出てこない
これでよし。僕がアキヨシに求めているのは、エックハルトについてだけだ。僕一人をハメるのに、あの気色悪いプロモーション映像を用意するなんてまず考えられないから、インチキカルト陰謀論者エックハルトという人間自体は間違いなく実在するのだろう。無論エリオットとの関連は謎のままだし、転生者の疑いがあるジルケ・ヘラーの調査をやめるつもりもまたない。
アキヨシがおかしな宗教にズブズブの狂信者とした場合、これでそれなりの情報を送ってきてくれるはずだ。我々は味方だ、なんて薄気味悪い言い方するんだ、この可能性は捨てきれないだろう。
アクセル:2023/6/11/16:13
あと幸島千彰の話なんだけど
アクセル:2023/6/11/16:13
あいつどっかで炎上でもしてんの?
と、ここで書き込みを区切った。先日シラを切った僕が再び話を蒸し返す仕草をすることで、撒き餌の効果を狙ったつもりだ。これで少しでもアキヨシから情報を引き出せればいいのだけれど、そろそろ奴との付き合いも打ち切ってやる頃合いかとも思い始めてきた。不憫だから、もう少し相手してやる気ではあるけどね。
僕はスマホをポケットに滑り込ませると、ソファから立ち上がってデスクの横のキャビネットへ向かった。引き出しの中から、防犯のために使用しているワイヤーやダイヤル錠を取り出してリュックの中に放った。この廃病院でも使っている、モルペリアの特別製だ。レインコート野郎の正体が分からない以上、寮で寝泊まりするにしても施錠はきちんとしておくに越したことはない。
僕は戸締りをして、それから廃病院を後にした。




