第9話 千廻 了
※本作はフィクションです。
作中に登場する「本懐法」その他の法律・制度・行政手続等は作者による創作であり、実在する法律・制度ではありません。
また、実在する人物・団体・事件等とは一切関係ありません。
「なんで?お前も一緒にいる?」
手をつないでいる沼田夫婦を見て、思わず言葉に出た。
「なんでって……夫婦ですから。どちら様ですか?」
「いえ、なんでもありません」
果穂を殺すだけなら、家の外より中の方がいい。
彼らを無視して──
車に戻って包丁を──
「君は……確か裁判で……」
隆市が晶を指差して言った。
「傍聴人席にいたな……手塚の……親族として、証言も……」
晶がそのタイミングで振り返る。
「………ええ。手塚紗奈の兄です」
堪えられなかった。
その一言に尽きるだろう。
手元に道具はない。
全て車に置いてきてしまっていた。
「え?」
その晶が名乗ると、果穂の顔から血の気が引いていく。
それと同時に辺り一帯に響くほどの声量で怒鳴り出した。
「あんた!あたしを殺しに来たの!?やっと!やっとこの人を取り戻して!やり直そうとしてるのに!?」
(取り戻す?やり直す?)
「あんたのとこの阿婆擦れが!この人にしたことでどれだけの迷惑がかかったか!」
(阿婆擦れ?)
「あんたが!あのバカ女の借金肩代わりする!?お金返してよ!」
(結局金か?)
「売女の復讐?ふざけんな!こっちが復讐したいわ!」
(売女?紗奈が?)
「………おい。お前、それ本気で言ってんのか?」
晶の声は驚くほどに低かった。
それは、晶自身もこれまでの人生で出したことのない声だと認識できるほどに。
「あんなんでも大事な妹なんだ。人一人殺したお前が、よくそれが言えたな?」
その声に二人が一歩後ずさる。
「果穂、逃げろ」
隆市が果穂の前に立ち、玄関から家の中に入れようとする。
(こいつ、紗奈のときはこうはしなかったんだろ?黙って殺されるを見てたんじゃないのか?)
外で殺すには逃げられたらマズい。
だが、道具がない。
(まぁ、いい。車に戻って──)
一度踵を返して車に乗り込む。
その様子を、見ていた隆市が大声で叫ぶように言った。
「尻軽の兄は腰抜けか!いい兄妹だな!出来損ないども!」
(出来損ない?尻軽?)
「あの女は!何度も中絶して!女としての価値がない!人としての価値もない!尻尾巻いてさっさと消えろ!」
「お前は………どうして、死んでからも足蹴にするか………」
エンジン音が住宅街に響いた。
車はタイヤを鳴らしながら、家へ向かって急発進した。
一瞬だった。
耳を劈くほどの轟音を立てて、車は家の玄関に突き刺さっていた。
隆市は逃げる間もなく車と家に挟まれている。
ボンネットの上に倒れ込む上半身は小刻みに痙攣していた。
晶自身もシートベルトをしていなかったため、頭をハンドルにぶつけて意識が朦朧としていた。
それでも殺意は途切れなかった。
「価値がない……そんなもの……お前が言う言葉じゃない」
やっと呟いたその一言が、晶の意識をやっと繋ぎ止める。
「…………死んで償え」
助手席のカバンを探すが、先程の衝撃で置いていた場所にない。
カバンを探すのを諦めて、車を降りると晶は崩れた玄関から家の中に入っていった。
「…………死んで償え」
うわ言のように繰り返す。
そのボロボロの状態の晶の様子は、まるでホラー映画のゾンビのようでもあった。
果穂は衝撃で玄関の中へと吹っ飛び、意識がハッキリしたときには、目の前に晶がいた。
「隆市!隆市!」
隆市を呼ぶが返事はない。
「…………死んで、償え」
晶は素手で果穂の顔面を殴りつけた。
馬乗りになり、何度も。
何度も、何度も、何度も。
「何をしている!」
奥から老人が二人、駆けつけてきた。
果穂の両親だろう。
彼らに一瞬だけ目を向けると、
「本懐の実行だ。邪魔をするな」
そう言い残して、家の中を歩き回って台所から包丁を持ち出した。
そして玄関に戻ると、もうそこには老人たちはいなかった。
家の奥から声が聞こえる。
電話をしているのだろう。
「これで、終わると思うな。お前も、死んだ後も屈辱を味わう」
晶は何度も包丁を突き刺した。
──それを止めたのは警察が到着して、晶を羽交い締めにした時だった。
晶は逮捕された。
本懐法違反。
〜本懐法 第11条〜
申告外の被害
本懐の実行によって本懐実行者が本懐申請書に記載された本懐の内容を超えて本懐対象者に危害を加えたときは、当該行為は通常の犯罪として処罰する。
2 本懐の実行に伴って本懐実行者が本懐対象者以外の第三者に危害を加え、又は第三者の財産に損害を加えたときも、当該行為は通常の犯罪として処罰する。
隆市は死亡していた。
果穂の遺体は損傷が激しく、とてもではないが、申請書に記載された内容だけを遂行したとは認められなかった。
手塚晶はなにも語ることはなかった。
だが、恨みは巡る。
巡り巡って恨みは廻る。
どこまでも。
「村山くん、申請の方が来たみたいだから対応してくれる?」
「俺ですか?」
「いいじゃん。暇でしょ?」
「全員暇でしょうよ」
「いいから。対応しといて!」
コンクリートの廊下に、コツコツコツ、と一定のリズムで鋭く大きな音が響き渡っていた。
一人の女が、高いピンヒールを履いて、派手な服装のまま裁判所の本懐申請窓口に向かって歩いてきた。
「ったく。はぁ………俺かよ」
村山は仕事を押し付けられ、やりかけのゲームを辞めて窓口に立つ。
夜の街で着るような派手なワンピース。
だが、その顔は服装に似合わず、ファンデーションが浮き、マスカラは黒く滲んで落ちかけていた。
「本懐の申請ですか?」
声をかけられた女は、案内係の職員にゆっくりと顔を向けた。
「そう。人を殺したい。本懐で」




