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第5話 縁廻

※本作はフィクションです。

作中に登場する「本懐法」その他の法律・制度・行政手続等は作者による創作であり、実在する法律・制度ではありません。

また、実在する人物・団体・事件等とは一切関係ありません。



紗奈は、昔からどうしようもない妹だったわけじゃない。

昔は俺の後ろをついて回って、ずっと俺の影に隠れているような、気弱な性格だった。

外に出れば俺の服の裾を掴んで離さない。


夏祭りの日だった。

人混みの中で、紗奈の小さな手が俺の服をぎゅっと掴んでいた。

少しでも俺が先に歩くと、慌てて駆けてくる。


「お兄ちゃん、待って」

「ちゃんとついてこいよ」

「うん」


そう答えて、また俺の背中に隠れる。


「お兄ちゃん、待って」


昔からの口癖。

今はもう聞くこともできないが、鮮明に思い出せる。


だが、高校に入ったくらいから、あまり良くない連中と付き合いだした。

それはまぁ、別にいい。

巷に溢れるよくある話だ。

この頃からか、紗奈は手に入った金銭を短期間に使い切るような金銭感覚になったのは。

小遣い程度なら一日。

お年玉でも学校の冬休みが終わる頃には残っていない。


まぁ、これもよくある話ではある。


ただ、紗奈の場合は、それが短大卒業後も続いていたのが問題だった。


「バイト代足りない!」

「携帯代で死ぬ!」

「ご飯奢って!」


高校を卒業して就職し、一人暮らしを始めると、すぐにそんな状況になった。

そのときは、


「初任給なんて、期待したほどじゃないしな」


くらいに思っていた。

だから、金を貸した。


一度ついた浪費癖は、簡単に消えるようなものじゃなかった。


「ガス止まったから風呂貸して!」

「電気止まったから泊めて!」

「カードの支払いがぁ!」


毎月、何かが足りない。


「お前いい加減にしろ!」


ある日、とうとう俺は怒鳴った。


「ライフライン止まるって、生活そのものがおかしいだろ!」


紗奈は俯いたまま、何も言わなかった。

怒られているというのに、泣きもしない。

ただ、しばらくして小さな声で、


「……ごめん」


と言った。

俺はため息をついた。

そして結局、その月も金を貸した。


もはや誰かが管理しなければ、こいつの生活は成り立たない。

そう確信した。


そうしてどうにかしようと考えている矢先、父さんに金を借りに行ったことを聞いた。

父さんは紗奈を叱りつけ、消費者金融などから借りないよう言い聞かせた、と言っていた。


しかしそれも無意味だった。


紗奈は消費者金融を回って金を借りて回り、既に借金まみれだった。


「お前マジで考え直せ。かなりヤバいから」


そう言っても聞く耳を持たなければ、どうにもならない。


それでもしばらく金の無心は減った。

かなり減った。

その理由は、俺たちも死後に知った沼田隆市との関係だ。


沼田が金を貸していた。

というか、紗奈に入れ込んで、金を引き出されていた、と言い換えられるか。


「本当にどうしょうもないな」


そうやって思い出に浸る。

もうすぐ職場に着く。

裁判所だ。


「仇は討ってやる」


俺の妹は、確かにどうしょうもないが、それでも頼ってくる時の顔は、俺の服の裾を引っ張っていた頃と変わらなかった。


「なんとかしてやれなかったからな」


裁判所の正面玄関をくぐる。

いつもなら何も考えずに通り過ぎる場所だ。

今日は違う。

今日は、ここで妹のための本懐を申請する。


いつも座っている自分の席。

その隣に、申請者用の椅子がある。

今まで何度も見てきた椅子だった。

そこに座る人間を、俺は職員として見てきた。

今日は俺が座る。


(今更だけど、俺にやれることはしてやる)


それが俺の誓いだった。

窓口について、先輩に声をかける。


「緒川さん、おはようございます」

「おお、手塚。休みじゃないの?」

「今日は申請に………」

「あ、妹さんの件?」

「はい、そうですね。今日はこっち側で………」

「わかった。一応さ、君は職員だけど、手続き通りにしてもらうからね」


緒川さんは申請用紙を取り出し、説明をする。


「じゃ、書いたら教えてね」

「了解です」



〜本懐法 第5条〜

本懐の申請

本懐の申請は、別途省令で定める書面の提出によって行う。

2 前項の書面には、次に掲げる事項を記載しなければならない。

 一 申請者の氏名、生年月日、現住所、本籍、連絡先電話番号及び緊急連絡先

 二 申請者と被害者との関係

 三 申請者から被害者への関係を証明する書面及びその目録

 四 事件番号

 五 本懐の内容(当該内容に人命を剥奪する罰が含まれるときは、その旨並びに当該罰の対象及び理由)

 六 本懐申請を撤回しない旨の同意、本懐の内容を変更し、又は補正しない旨の同意、第10条の規定により刑法の規定が適用されない旨の同意、申請者自らの意思により網羅的に記載した旨の同意及び第22条に定める場所への立入を自らの意思で控える旨の同意

 七 申請者の心身の状態、既往歴、診療情報その他の本懐の達成の蓋然性を判定するため本懐確認者が必要と認める事項一切

3 第1項の書面には、次に掲げる文書を添付しなければならない。

 一 申請者の身分証明書、戸籍謄本及び住民票の写し

 二 申請者と被害者との関係を証明する書面

 三 申請者の生活基盤を確認することができる書面

 四 申請補助者が本法律の規定を書面で説明し、申請者が各条文について理解した旨の記載のある書面



申請用紙を受け取り、自分の席に戻る。

いつもなら、窓口の向こう側に座っている申請者を見ながら、必要事項を説明する側だ。

今日は違う。

ボールペンを握り、申請者の欄に自分の名前を書く。


普段なら何とも思わない項目なのに、今日は妙に重かった。

そして、被害者との関係。


「妹」


紗奈。

あの夏祭りの日、俺の服の裾を握っていた小さな手。


「お兄ちゃん、待って」


あの声が、また頭の中に蘇る。


「……待ってろよ」


小さく呟いて、次の欄へ進む。


そして、本懐の内容。

ここだけは、すぐには書けなかった。

何をするのか。

どこまでやるのか。

本懐法第5条。

職員として何度も説明してきた条文だ。


申請内容は、後から変更できない。

撤回もできない。

つまり、ここに書いたことが、俺の意思になる。

俺はしばらく白紙の欄を見つめた。


「……俺、こんなこと書くんだな」


隣の席では、緒川さんが別の仕事をしている。

誰も急かさない。

静かな窓口だった。


「つーか、こんなこと書かせてたんだな、俺。えげつないな」


自分の仕事が、如何に他人に対して重圧を与えていたか、それを再認識した。

そして俺は、ゆっくりとペンを動かした。


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