第8話 相反
※本作はフィクションです。
作中に登場する「本懐法」その他の法律・制度・行政手続等は作者による創作であり、実在する法律・制度ではありません。
また、実在する人物・団体・事件等とは一切関係ありません。
兄さんは完璧だと思っていた。
子供の頃からそうだ。
二つ歳上の兄、慶一。
全てを卒なくこなす、完璧な兄。
そう思っていた。
兄のようになりたい。
そう思っていた。
「兄ちゃんすげぇ!」
二人ではしゃいで、庭先で跳ね回っていたのは、もう遠い昔の記憶だ。
それでもあの頃は何も考えずに、ただ兄の後ろをついていればよかった。
何も考える必要がなかった。
後ろにいること。
それだけでいいなんて、なんて幸せだったんだろうか。
小学生になる頃、兄さんに憧れて必死に勉強した。
兄さんに追いつきたい。
その一心だった。
やっぱり兄の背中を目指したかったんだと思う。
ずっと後ろについていたかったんだ。
「おお?すごいな。慶一より良く出来てるんじゃないか?」
父さんに褒められたとき、俺は褒められた事実より、兄さんに追いついたような気がして浮かれていた。
この時からだろうか?
いつの間にか後ろについていればいいというものから、追いつきたいに変わったのは。
それがいけなかったのかもしれない。
後ろについていたいと思っていたときは目標だった。
だが、褒められてからは追いついたと感じたのかもしれない。
小学校四年になる頃から、俺は手を抜き出した。
「大丈夫。ちゃちゃっとやったらできるし」
そう高を括っていた。
どうせ簡単だ。
そう思っていた。
なんとなく、自分ならできるという感覚を得てしまった。
傲慢というべきだろうか。
自信過剰だったのかもしれない。
当然成績は伸びなくなった。
ただ、友達は増えたし、スポーツは楽しいから問題なかった。
それでも中学生になる頃には兄との差は歴然だった。
兄さんは中学三年、俺は一年。
兄さんは生徒会長、陸上部の部長、テストは常に学年トップ。
何でもできる完璧な兄。
「やっぱり兄さんはすげぇなぁ」
自慢だった。
兄さんに追いつきたかった。
兄さんは再び俺の目標として立った。
兄さんは進学校に進み、そのまま優等生街道を進んでいく。
俺は取り残されたくなかった。
やっぱり兄さんの背を追いかけたかった。
だが、思いの外できてしまった。
中学で習う教科で躓くことはなかった。
真面目ではなかったかもしれない。
でも、成績が落ちなければ誰も何も言わない。
だから遊んでいた。
高校に入学すると、帰るのは夜になってからになった。
学校はちゃんと行っていたし、酒もタバコもしてない。
でも夜更かしは常になった。
やはり傲慢だったのだろう。
やればできてしまう。
やってしまえば、目標に追いついてしまう。
そんなふうに考えてしまった。
目標に追いついたら目標じゃなくなる。
それなら追いつかないほうがいい。
そんなことを考えていた。
ふと、夜中に兄の部屋を覗くと、勉強机でガリガリと勉強する兄がいた。
必死に、黙々と分厚い本を片手に勉強している。
そこで俺は思った。
──俺は兄さんみたいにはなれない
あんなに一つのことに集中して頑張れない。
あれは才能だ。
あの人は完璧だと思ってた。
憧れだった。
追いついてはいけない目標だった。
でも、あの勉強する姿を見て、兄さんは努力の人だと思った。
努力の天才だ。
完璧な人が、それ以上に完璧になろうとしている。
俺なんかが手の届くタイプの人じゃない。
そもそも目標にすること自体が烏滸がましいんだ。
俺なんかが比べていい人じゃない。
追うのはやめよう。
大学は兄さんと違う大学に進んだ。
父さんは反対したが、どうにか押し切った。
「俺は兄さんとは違うんだ!」
その一言が効いたのかもしれない。
大学で違う世界を見た。
誰も俺が議員の江島慶介の次男だとは知らない。
それだけでも新鮮だった。
兄さんと同じ道を歩めば、いつも兄さんの背中を見てしまう。
もうそんなのはたくさんだった。
そこで知り合った後輩の辺見葵。
本懐法反対のデモに参加するという。
「江島さんも一緒に行きませんか?」
カラオケでも誘うように言われ、特別予定もなかったから参加した。
そこには思った以上の人が集まっていた。
「本懐法を、撤廃しろー!」
「「「撤廃しろー!!!」」」
「天下の悪法を、撤廃しろー!」
「「「撤廃しろー!!!」」」
その熱気は凄まじく、圧倒された。
その一体感がどうしようもなく、心地よく感じた。
兄への憧れを捨て、新しい居場所を得たような気になった。
父親の職業などは隠した。
というか言わなかった。
制定した側なんて言えるわけがない。
最初はただの興味だった。
葵への恋心や下心もない。
その後彼女と交際することもなかった。
だが、本懐法反対デモに参加し、他の参加者と仲良くなり、いつしか考え方は反対派になっていた。
それが間違いとは思わない。
でも、間違いなく、家族との間に溝ができた瞬間だった。




