第6話 背反
※本作はフィクションです。
作中に登場する「本懐法」その他の法律・制度・行政手続等は作者による創作であり、実在する法律・制度ではありません。
また、実在する人物・団体・事件等とは一切関係ありません。
父さん達が制定した本懐法。
巷では天下の悪法と騒がれ、数年前に行われたデモでは死傷者を出した。
コンコン──
江島康二は父の慶介の書斎のドアをノックして入った。
そこには椅子に座り、デスクで書類に目を通す父の姿があった。
「父さん、ちょっとごめんね。話があるんだ」
「おお、どうした?珍しいな。お前がうちに寄るなんて」
慶介は自分たちから距離を置いて、会社勤めをしている康二の訪問を笑顔で迎えた。
手元の書類から目を離し、明らかに嬉しそうな表情をしていた。
「いや、ちょっとさ、本懐法ってあるじゃん?あれってさ、どうなの?」
「どうって、なにがだ?」
ギィッと椅子を鳴らして、座っていた体勢から後ろに体重をかける。
「あの法律は、良くないよ。人殺しが許されるなんて……」
「そうは言ってもなぁ。あれは本来というか、そもそも成り立ちからして特殊なんだ。わかるだろう?」
それは理解している。
国が必要に応じて作る、というプロセスではない。
国民が望んだ結果、国がそれに応じて作った法律だ。
「司法の判断では納得できない。その声が形を成したものだ」
「でもさ、そのために社会的な地位とかその補償、申請した人に対する制限もさ、いろいろと──」
「それにも理由がある。望んだのは国民だ。ならば、その国民は協力すべきだ。それに殺人まで許容するんだ。ならば、厳しい制限は必要になる。無差別や無制限に人殺しを許可してるわけじゃない。それに人殺しを増やそうと思っていない」
慶介は康二を指さして答えていく。
「でも!……それでも、人殺しを認めるじゃないか」
「じゃあ本懐法を撤廃するか?して、国民は復讐心を抱かないのか?司法の判断に全国民が一様に納得するのか?そんな簡単ではないだろう?」
康二は答えられずに俯いてしまった。
時計の音だけが沈黙の中に響く。
慶介は溜め息をついて話し出した。
「なに、判決に納得できれば申請しなければいいだけだ。あの法律は、申請しない自由を奪ってはいない。選ぶのは、法を望んだ国民だ」
そう言うとデスクからある書類の束を取り出した。
「いいか?年間の犯罪件数、これに制定前後で変化はない。本懐法の対象となる重大犯罪の発生件数にも、制定前後で大きな変化はない。今年で制定から11年だ」
書類に書かれているのであろう数字をポロポロと口に出していく。
年間の裁判員裁判の件数、約800〜1000件。
つまり10年で本懐法の対象件数は、各年の平均値をとって約9000件。
そのうち対象者認定の否認となったのは16%、約1440件。
本懐法における実行が許された件数は約7560件ということになる。
そのうち申請したのが10年で4832件。
約63.9%が申請されている。
そして本懐を果たした件数は4523件。
これは本懐法による未実行のリスクが非常に高いことが起因している。
また、実行に至っていない件数も含めているため、差し引きが単純な失敗件数というわけではない。
それでも約93.6%が実行したことになる。
「数字の話じゃないんだ。というか犯罪の抑止に寄与しないなら──」
「そもそも犯罪抑止は目的じゃない。言っただろう?これは国民の声によって制定された法だ。被害者とその家族の心情の救済が目的なんだ」
「人を殺して救済なんて……」
「それを望んだのは国民だ。そんなコンテンツが溢れかえり、重大犯罪の裁判で泣いて納得できない、わかってくれないと言う。だから作られたものだ」
慶介は立ち上がって康二に歩み寄ると、その肩に手を置いた。
「これは数字の話だ。これは人殺しの数じゃない。救済の数だ」
「違うだろ……違うだろ!間違ってる!」
康二は肩に置かれた慶介の手を振り払った。
さらに慶介の肩をドンッと押した。
「なんで父さんはわからないんだ!国民を守るのが国の役目だろう!どうして国民が国民を殺すのを許可する!?」
「どうにもならんからだ。国民国民というが、人間だ。人の心はままならん。どうしても引くに引けない思いはある」
「それを法律にする必要があるか!?」
「間違えていると思うなら、お前が正せ。お前は慶一とは違う才能がある」
「話を逸らすな!」
「逸らしてない。いいか?人は人であるから間違える。これは仕方がない。そしてそれを正すのも人だ。もう一度言うぞ?間違えていると思うなら、お前が正せ。俺はこれでよかったと思ってる」
慶介は書斎から出ていこうとする。
ドアを開き、廊下を進み、階段の手すりに手をかけた。
──これでよかった?
本懐法が?
「いいわけないだろ!」
康二は声を張り上げて慶介に追いすがる。
「わからんやつだな!お前が正せと言っただろう!」
その先は康二の記憶は曖昧だ。
そこでも何か言葉を交わしたのだろうか?
だが、確かに覚えていることはある。
揉み合いになったことだ。
そしてその先はまた曖昧だ。
足を滑らせたのだろうか?
押したのだろうか?
ただ、階段の下で慶介は首をあらぬ方向に曲げ、頭から血を流していた。
それでも、康二との揉み合いの結果、今慶介は階段の下で倒れている。
そして、母の巴代は階段の下で、上にいる康二を見つめて固まっていた。




