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第7話 法縛

※本作はフィクションです。

作中に登場する「本懐法」その他の法律・制度・行政手続等は作者による創作であり、実在する法律・制度ではありません。

また、実在する人物・団体・事件等とは一切関係ありません。



「ではまず、こちらにお名前、生年月日、ご住所、本籍、連絡先……。それから、緊急連絡先もお書きください」


窓口のデスクを挟み、申請補助者を名乗る男から、慎介は手元の用紙に書き込むべき内容を一つ一つ事務的に指示される。

役所のペンのインクの匂い、蛍光灯がチカチカと小さく放つ電気音。

すべてが異様なほど現実味を欠いていた。


「その次が、被害者との関係ですね。続柄になります」


男の淡々とした言葉に、慎介のペンを握る手が、ピタリと止まる。


『次女』


文字にすれば、わずか二文字。

だが、その二文字を白い紙の上に刻みつけることが、これほどまでに重たいものだとは思いもしなかった。

これほど、喉の奥が焼け付くように辛く、胸が抉られるほどに悲しいものなのか。

ペン先が震え、紙に小さな黒いインクの染みを作った。


「あ、それから、事件番号などはお分かりですか?身分証明証と戸籍謄本などもお持ちでしょうか?被害者との関係を公的に証明していただく必要がございますので」


男の催促するような声に、慎介は思わず手元を隠すようにして、掠れた声を絞り出した。


「あの……ちょっと、待っていただけませんか」

「ん?申請は……されないのですか?」


男がわずかに眉をひそめる。その表情には、同情など一欠片もなく、ただ「作業が滞る」ことへの微小な不満だけが滲んでいた。


「いや、すみません。申請は、します。ただ、ちょっとまだ、そこまで心が追いついていなくて……書けていないので」

「ああ、そうですか。わかりました。それでは、すべて書き終えましたら、またお声掛けください」


そう言うと、男は数歩後ろに下がり、少し離れた位置で直立した。

なんというか、あくまでも事務的。

慎介の胸の内に、冷たい、けれどドロドロとした黒い感情が湧き上がってくる。

愛理の死は、もうこの事務的な手続きの束でしかなくなってしまったというのか。

愛理がどれほどの恐怖の中で命を奪われたかも知らない人間たちが、書類の不備だけを気にして並んでいる。

突如として、激しい怒りのような、暗く冷たい激情が慎介の身体を駆け巡った。


「……書けました。あと、これが書類です」


慎介は乱暴にペンを置くと、家から持ち出してきた戸籍謄本などの書類を手渡した。


「ありがとうございます。お預かりします」


男は表情一つ変えずに書類をチェックすると、再びデスクに身を乗り出してきた。


「それでは、ここは最も慎重に記述していただきます。『本懐の内容』です。ここには、あなたが対象者に与えたい危害の内容を、できるだけ細かく、具体的に書いてください」

「細かく、ですか?」

「そうです。本懐法第11条の規定により、事前に申告のなかった被害を対象者に与えた場合、それは通常の犯罪として処理され、刑事罰を受けます。法律による免責は一切されません」

「……どういうことです?」


慎介が問い返すと、男は感情の籠もらない声で、恐ろしい例え話を口にした。


「そうですね、例えば、書面に『左腕を切断する』と書いた場合、左腕を切り落とす行為は免責されますが、その際に『右腕も切り落とした』場合、右腕の切断については通常の傷害罪、あるいは重傷害罪としてあなたが逮捕されます」

「つまり?」

「書いた内容、その一言一句だけが、国によって免責されるということです。まあ、執行の過程でどうしても必要だったと事後裁判で判断されることもありますが、……原則は不可能です。……それでは、下川様。あなたの望む『本懐』は?」


そう真っ直ぐに見据えられて、慎介は一瞬、言葉を失って押し黙った。

静まり返った窓口で、脳裏に朝の光景が、妻の絶叫が木霊(こだま)する。


――アンタが殺せ!!殺せええええ!!


狂ったように晴海の、目を見開いた顔。


「……殺す……こと、です」


慎介の口から漏れたのは、覚悟というにはあまりにも弱々しい、けれど明確な殺意だった。


「承知いたしました。では、そちらの欄に【殺害】とお書きください。それと、今回の場合、遺体の損壊は申告外の行為になりますので、くれぐれもご注意をお願いします」


男の何の躊躇もない言葉は、慎介には人殺しを命じられたように聞こえた。


やっとのことで魂を削るようにして絞り出した自分の言葉が、こうも簡単に、インクの文字として処理されていく。

その軽さが、慎介には惨くて仕方がなかった。


「ここからは、最終的な同意の確認になりますので、私が読み上げます。復唱の必要はありませんが、しっかりとお答えください」


男は冷徹な声で読み上げを始めた。


「本懐を遂げた後に生じる、家族関係の断絶含めたあらゆる結果に対して、あなたはその責任をすべて全うしますか?」


「本懐法第9条により、一度国に受理された本懐内容について、今後の変更、および撤回は一切できませんが、よろしいですね?」


その言葉に、慎介は思わず身を乗り出して聞いた。


「……もし、途中で変更とか、撤回がしたくなったら?」


男は冷たい目で慎介を見つめて淡々と答えた。


「本懐法第13条の規定に基づき、本懐実行者としての資格はその場で失効となります。」


一呼吸おいて、さらに言葉を続けた。


「さらに第18条により、あなたが執行を放棄、または失敗したとみなされ、この事件の加害者が受けるのと全く同じ刑罰を、あなた自身も受けることになります」


男の声が、裁判所の高い天井に冷たく響く。


後戻りは、できない。


慎介は深く息を吐き出した。



〜本懐法 第9条〜

申請内容の確定

第5条の書面に記載された本懐の内容は、前条の認定をもって確定し、その後は変更又は撤回することができない。

2 前項の規定にかかわらず、確定された本懐の内容が第2条に規定する要件に適合しないことが新たに判明したときは、本懐実行者の資格は失効とする


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