第2話 復反
※本作はフィクションです。
作中に登場する「本懐法」その他の法律・制度・行政手続等は作者による創作であり、実在する法律・制度ではありません。
また、実在する人物・団体・事件等とは一切関係ありません。
あの日の母の顔を覚えている。
思い出さない日はない。
悪夢のような、それでいて温かみのある、最後に見た笑顔は涙に濡れていた。
明日であれから六年がたつ。
遠く離れた異国の地で、江島康二は目を覚ました。
「はぁ……明日か……」
康二はカレンダーを見つめてため息をつく。
七年前の明日、康二は父親を殺した。
事故だったとは言わない。
だが、殺意はあったのだろうか?
なかったとは言わない。
だが、確実に殺そうと決意していただろうか?
父を殺害した後、逮捕勾留を経て裁判。
そして執行猶予を勝ち取ったものの、対象者として認定された。
逃げなければ、殺されていた。
兄によって………
「七回忌か……」
今住んでいる国の宗教に、そのような文化はない。
だが、日本育ちの康二には、なんとなく意識してしまうものがあった。
「父さんは、俺を許さないだろうな」
常に兄と比較されてきた。
兄の慶一は優秀だった。
勉強でも、運動でも、何をやらせても兄が上だった。
テストでは常にトップクラス。
90点を取れば、「あと10点分努力が足りなかった」などと言っていたような優等生ぶりだ。
陸上競技では全国大会に出場し、絵画や音楽なども妙に詳しかった。
『少しは慶一を見習いなさい』
それが父の口癖だったように思う。
常に兄が上、俺が下。
それはそれで良かった。
兄さんは努力家だった。
少なくとも、子供の頃はそんな兄が自慢だったし、誇らしかった。
「慶一」と書いて「何でもできる」と読み仮名が振れるとさえ思っていた。
思い出すのは懐かしい思い出ばかりではないが、それでも兄さんへの思いは憧れが強かったように思う。
それが狂い出したのはいつだっただろうか?
やはり本懐法だろうか?
いや、もっと前かもしれない。
高校に入るくらいから、兄さんは俺に対して冷たくなったように思う。
その理由はわからない。
単に年齢的なものだったのだろうか?
一人になると、自分が何かしてしまったのではないかと考えることもある。
だが、思い当たるところはない。
俺は兄さんとは違い、勉強でも、運動でも、他のことも含めて、早々にいい成績をとることを諦めた。
できるできないではなく、やりたくなかった。
それでも高校は兄さんの後を追うように、同じ高校を選んで受かった。
あのときばかりは必死に勉強したように思う。
一生懸命だった。
必死に追いつこうと追った背中に、やっと追いついた気分だった。
やってできないことはないな、という自信にもなった。
大学は流石に同じところには進学できなかった。
やはりデキが違うということだ。
父さんは冷たかったが、兄さんは気にしていない様子だった。
大学に進学してからは、一人暮らしをしていたこともあって、兄さんと顔を合わせる機会も減った。
たまに実家へ帰れば顔を合わせることもあったが、昔のように話すことはなくなっていた。
それでも、俺から話しかければ返事はしてくれた。
「兄さん、最近どう?」
「ああ。まあ、普通だよ」
それだけ。
昔なら、学校であったことや、くだらないテレビの話までしていた。
いつからだろう。
兄さんと話すことに、こんなにも気を遣うようになったのは。
俺が何かしたのかもしれない。
そう思って何度考えてもわからなかった。
父さんに比べれば、兄さんはずっと優しかった。
だからこそ、余計にわからなかった。
嫌われたのなら、まだ納得できた。
何か理由があるはずだから。
でも兄さんは、俺を嫌っているようには見えなかった。
ただ、距離を置いている。
そんな感じだった。
その距離は年々、日に日に離れていくように感じていた。
「兄さん……」
六年前、最後に見た兄の顔を思い出す。
あれは怒りだった。
憎しみだった。
それとも――悲しみだったのだろうか。
今となっては、もう分からない。
それでも、母さんだけはいつもと変わらなかった。
「母さんは、元気かな……」
日本語など通じない土地だ。
道端に座って呟いても、誰も気にしない。
というより、叫んだとしても日本語なら、ほとんど通じない。
それは有難いようで、淋しくもある。
「帰りたい……けどなぁ………」
康二はあの日の兄の顔を思い出した。
『逃げるなぁぁぁあ!』
鬼気迫る表情でこちらを睨み、腹の底からの絶叫は今でも耳に残っている。
「はぁ………終わらない、かぁ」
康二の言葉は異国の地で誰にも聞かれることなく、青い空に消えていった。




