第1話 還反
※本作はフィクションです。
作中に登場する「本懐法」その他の法律・制度・行政手続等は作者による創作であり、実在する法律・制度ではありません。
また、実在する人物・団体・事件等とは一切関係ありません。
あれから、六年が経った。
江島慶一は手元に残された一枚の紙を見つめていた。
六年前、自ら申請した本懐の認定証。
もう何度見たか分からない。
「親父。明日が七回忌だ」
慶一は、目の前に飾られた父の遺影へ目を向けた。
少し寂しそうに。
それでも、その目には恨みが残っていた。
全ては、七年前に始まった。
――いや。
思い返せば、もっと前からだったのかもしれない。
兄弟の間にあった確執が、あの日、初めて表面に現れた。
そして、その瞬間にはもう、破滅的なものへと変わっていた。
「今年も待ってるからな」
そう呟いて、慶一は遺影を見つめる。
父、江島慶介。
その遺影は、なぜか悲しそうに見えた。
父を殺された恨み。
それは確かにある。
だが、それだけだったのか。
七年という歳月は、怒りを薄めるには十分すぎるほど長い。
それでも、認定証だけは残っている。
本懐法──
申請し、認定された限り、本懐は遂げなければならない。
完遂すること。
これは絶対条件だ。
感情に任せて申請したつもりはなかった。
少なくとも申請してから数年は………
今はどうだろう。
長い年月を経て思うのは、正しい選択だったかどうか………
とは、少し違う。
少なくともあの当時は正しいと思っていた。
「どうしてくれようかな……」
慶一は、手元の紙切れを見つめる。
認定証。
弟に対して下した決断。
やらなければ、ならない。
「いつ、帰ってきてくれるかな?」
あの日以来、家族はバラバラになった。
父が死に、母は逮捕された。
父は政治家だった。
政権与党に所属していた。
父の地盤を引き継ぐはずだった。
あれ以来、政策秘書という立場も失った。
妻はそんな俺を見て出ていった。
すべてが崩れ去った一週間だった。
何もかも。
残ったのは、この認定証だけ。
普段なら仏壇に保管している認定証。
それを取り出して眺める。
発行の日付は六年前。
家も、地位も、金も………
何もかもがなくなった一週間。
1LDKの部屋には最低限の生活ができる道具と、場違いな程に大きな仏壇がある。
仏壇の周りは常に整理されている。
毎日水や米を変え、花は一週間ごとに取り換えている。
だが、いつも法要をお願いしていた連忠寺には、今年は頼めそうにない。
「せめて、七回忌はしてやりたかったんだけどな」
取り戻したい。
そう思っても、認定証が足枷になる。
もういらない。
そんなに簡単に割り切れるほど、徳の高い人間でもない。
そんな甲斐性も根性もない。
「再出発……認定証が、邪魔だな」
しかし破り捨てるわけにもいかない。
〜本懐法 第27条〜
証書の偽造破却等の罪
第8条の認定通知書、第9条の確定書面、第10条の書面化された事項に係る書面、第14条の規定に基づき交付された開示書面その他本法律の規定により交付され、又は書面化された本懐実行者の認定証を偽造し、又は変造或いは破却した者は、十年以下の懲役に処する。
2 第8条の規定により交付された本懐実行者の認定証を、その交付を受けた本懐実行者以外の者に、貸与し、交付し、又はその使用を許した者は、当該行為により認定証が行使されたか否かを問わず、五年以下の懲役に処する。
「こんなもんに縛られるとはね」
仕方がない。
これを申請した自分を責めるつもりはない。
少なくとも過去の俺にとっては……
「なぁ、親父………これでよかったよな?」
ここまで来たら仕方がない。
仕方がないんだ。
やるしかない。
俺が、弟を殺す。
そうしなければ、俺は永遠に捕らえられたままのような気がした。
「帰ってこいよ、康二」
仏壇から立ち昇る線香の煙は、ユラユラと揺れて天井に消えていく。
力なく呟いた慶一の言葉は、今まで何度も願い、呟いてきたものだ。
だが、この六年の間でそれが叶ったことはなかった。
「明日こそ、待ってるからな」
誰に聞かれることもなく、一人の部屋で慶一は仏壇に手を合わせた。




