第9話 遍転 了
※本作はフィクションです。
作中に登場する「本懐法」その他の法律・制度・行政手続等は作者による創作であり、実在する法律・制度ではありません。
また、実在する人物・団体・事件等とは一切関係ありません。
「申請は受理できません」
藤倉義史は病室に妻を残し、裁判所に本懐の申請に訪れていた。
ダンッ!
「おかしいだろう!」
デスクに両手を叩きつけ、職員に向かって吠える。
職員はその様子にも動じることなく、淡々と告げていく。
「受理できません。既にこの対象者への本懐は果たされ、対象者は死亡しております」
その言葉は、義史には理解ができないものだった。
「誰が?誰が実行した?」
「具体的な個人名はお答えできません」
「いや、親戚にも私が行くと言ってある。誰も申請には来てないはずだ」
「いえ、既に実行されています」
「いつだ?」
「対象者認定の翌日、二日前ですね」
その実行した人物の心当たりがない。
「どんな続柄だ?従兄弟か?叔父か?」
遠方に住む中でも動きそうな人物を、頭に思い浮かべながら挙げていく。
「お答えできませんが、今おっしゃった中には、該当する方はいらっしゃいません」
「いや、おかしい。それなら、誰も該当しなくなる………」
その様子に対応する職員は席を立ち、一度奥に行って何やら他の職員と話している。
そして、その話をしていた職員を連れて戻ってきた。
「申し訳ありませんが、担当がかわります。詳しくお話をお聞かせ願えますか?」
奥にいた職員が義史に鋭い視線で話しかけた。
義史はパーテーションで区切られた個室のようなブースに通された。
「それでは藤倉さん、確認です。こちらの記録では既に本懐は果たされています。」
「はい」
「しかしあなたは、それを知らなかった。」
「はい」
「そして、誰が本懐を果たしたのか心当たりがない、ということですね?」
「はい」
ふぅ、と溜め息をつき、職員は資料をめくって義史を見た。
「こちらの記録では、『婚約者』と続柄が書かれているようですが……」
婚約者──
それを聞いて義史は目を見開いた。
「いや!ちょっと待ってくれ!婚約者?あの女か!?」
「該当する方が、いらっしゃる?」
「いや!いない!………根岸、真琴さんですかね?彼女と翔は事件の二カ月ほど前に別れてます」
今度は職員が目を見開いた。
「どういうことです?こちらの記録では提出書類にも問題はないと……」
そこまで言って、職員は言葉を止めて天井を仰ぎ見た。
(二ヶ月前に別れた?提出された書類は事件の三ヶ月前に発行されたものばかりが記録されている………処理上は通る……なるほど、まぁ、こちらの落ち度はないか。それなら、いいか)
「はぁ………ちなみに、婚約者ではない、とすると、それは証明できるんですか?」
再び義史を見て言う職員に対し、
「結婚式場のキャンセル料は俺が払った。あと、翔からのラインで別れるって話も残ってる」
そう言ってスマホを取り出し、その画面を職員に見せる。
「ちょっと、下まで見てもいいですか?」
「ああ、全部見てくれ」
スクロールして確認すると、職員はある文で手を止めた。
「婚約指輪は返却されてない?」
そこには、
『何度言っても指輪は返さないらしい』
『これは勉強と思って諦めるよ』
『もう終わったことだから』
と書かれていた。
「確かに返ってきてない」
「かしこまりました。それでは、式場のキャンセル料の領収書や明細などはありますか?」
「わからない。家にあったかな?」
「探してもらえますか?式場がわかれば、こちらでも確認できますので」
そうして義史は一度家に帰り、領収書を探す。
タンスや戸棚、しまい込んでいそうな場所を探し、見つけた領収書を持って再び役所を訪れた。
「藤倉さん、ありがとうございます。それでは、これで『婚約者』の続柄が正しいかどうか判断させていただきます。ただし、あなたの対象者への本懐は果たされていますので、今回の申請に関して不受理のままです。ご容赦下さい」
職員は奥に戻ると、デスクに座って考えた。
(処理上は問題ない。だが、続柄が事実ではないことも確かだ。この場合は、そうだな。虚偽となるかどうかは私の判断の外だが、記載事項を偽ったのは事実だ)
──この翌日、根岸真琴のもとに警官が訪ねていた。
「根岸真琴さんですね?本懐に関することでお話を伺いたいんですが……」
その言葉を聞いて真琴は即座に激昂した。
「なによ!婚約者だったらダメって言いたいの!?」
「いや、そうじゃなくて……」
「私は!泣いてるだけじゃなくて!ちゃんと実行した!何が悪い!」
「まだ何も言ってないでしょう?」
「うるさい!私は婚約者なんだ!」
「おい!暴れるな!押さえろ!」
その揉み合いの最中に、はめていた婚約指輪が警官に引っかかり、傷を負わせた。
「公妨!」
「公務執行妨害で緊急逮捕!」
こうして警察署に連行された真琴は、結局さらに申請の虚偽記載も追加されて起訴された。
取調でも真琴は婚約者であることを主張したが、義史や翔の同僚などの証言により、婚約破棄の事実が認められると判断された。
〜本懐法 第28条〜
虚偽の申請の罰則
本懐申請の内容について、氏名、住所、続柄その他の事項に虚偽の記載があったと認められた場合、当該本懐実行者の資格は失効する。
2 前項の場合において、本懐を実行する前であるときは、第18条を適用する。
3 本懐を実行した後に前項の虚偽の記載が発覚した場合、当該本懐の実行は本懐法第10条による免責の対象とならず、通常の犯罪として処罰する。
これより資格は失効し、そもそも本来は資格を得る要件を満たしていなかったため、曽我部聖志の殺害は通常の殺人事件として処理された。
「翔は、私のもの……」
そうやって刑務所内で真琴は、左手を日に掲げて笑っている。
その薬指には、もう指輪ははめられていない。
指輪はその後、婚約解消に伴う費用を負担した藤倉家に所有権があると判断され、証拠品として長期保管の後、藤倉家に返還された。
真琴の指に指輪がはめられることは、二度となかった。




