第6話 輪転
※本作はフィクションです。
作中に登場する「本懐法」その他の法律・制度・行政手続等は作者による創作であり、実在する法律・制度ではありません。
また、実在する人物・団体・事件等とは一切関係ありません。
「ではまず、こちらにお名前、生年月日、ご住所、本籍、連絡先……。それから、緊急連絡先もお書きください」
窓口のデスクを挟み、申請補助者を名乗る女性職員から、真琴は手元の用紙に書き込むべき内容を一つ一つ事務的に指示される。
役所のペンのインクの匂い、蛍光灯がチカチカと小さく放つ電気音。
その用紙に力を込めて書いていく真琴の姿は、何件かの申請を処理してきた職員から見ても異様に見えた。
「その次が、被害者との関係ですね。続柄になります」
女性職員の淡々とした言葉に、真琴のペンを握る手が、ピタリと止まる。
『婚約者』
文字にすれば、わずか三文字。
しかし、その文字を『妻』の一文字に変えることは、もうできない。
それがどれほど、胸が締め付けられるように辛く、心が抉られるほどに悲しいものなのか。
ペン先が震え、紙に小さな黒いインクの染みを作った。
「婚約者……ですか?はぁ、そうなりますと提出していただく書類が増えますね。住所が同一であることの証明、それに加えて生計が同一である証明が必要になります」
女性職員の珍しいものを見たような声に、真琴は思わず顔を上げた。
そしてニヤリと口角を上げて声を出した。
「大丈夫です。ちゃんと持ってきてますから」
「あ、そうなんですね。それでは、他の書類と一緒に拝見しますので、合わせてこちらにいただけますか?」
女性職員はその真琴の表情に若干ビクつく。
申請に来る人は何人か対応しているが、大抵はまだ迷っているか、既に覚悟を決めた表情をしている。
口角を上げた顔が正面にあるのは、初めてだった。
「わかりました。えーっと、戸籍謄本と住民票、それと公共料金の支払い明細がこれ。事件当時のもので彼名義のもの、私名義のもの──」
「あ、ありがとうございます。婚約されていたお相手の方の当時の住所は、こちらで調べられますので、少々お待ちいただけますか?」
そう言うと、女性職員は後ろに下がり、情報をパソコンで調べているようだ。
チラチラとこちらを見る女性職員。
それに真琴は気が付いていたが、あえて気が付かないふりをして、足を組んで指にはめた婚約指輪を見せつけるように眺めていた。
その仕草は、まるで本懐の審査が通ることが間違いないと確信しているかのようだった。
早く認定証を寄越せと言わんばかりの態度とは対照的に、女性職員は書類に不備がないかとゆっくり確実に確認する。
しばらくして女性職員が戻ってくる。
「お待たせしました」
真琴は身を乗り出し、パーテーションに顔を近づけて言う。
「ちゃんと確認できました?」
「ええ、提出いただいた書類に不備はございませんでした」
女性職員は表情をなるべく変えずに再び書類をチェックすると、一度姿勢を直して真琴に話しかけた。
「それでは、ここからは『本懐の内容』です。ここには、あなたが対象者に与えたい危害の内容を、できるだけ具体的に書いてください」
「具体的に?」
「そうです。本懐法第11条の規定により、事前に申告のなかった被害を対象者に与えた場合、それは通常の犯罪として処理され、刑事罰を受けます。法律による免責は一切されません」
「わかってるわよ。それで?なんて書いたらいい?」
真琴が問い返すと、女性職員は書類に目線を落として、落ち着いた声で話し出した。
「婚約者の藤倉翔さんはお亡くなりになってます。加害者の曽我部聖志によって殺害されています」
「そうね……」
「では、本懐の内容を記載してください」
「殺します」
「……【殺害】、でよろしいですか?」
「はい」
「方法の指定は?」
「いりません」
「承知しました」
そう真っ直ぐに見据えられて、真琴はまたニヤリと口角を上げた。
静まり返った窓口で、脳裏にこれまでの二人の日々が蘇ってくる。
(やっと………やっと、翔が帰ってくる)
あの日、自分の手から滑り落ちた幸せが戻ってくる。
そんな気持ちで一杯だった。
「じゃあ、【殺害】っと」
真琴の口から漏れたのは、覚悟というよりも、そのニヤリとした表情からは想像もできない、明確な殺意だった。
そして、その殺意を申請用紙に書き付ける。
女性職員は、何度も上がる口角を見て、やはり初めて見るタイプだと認識し、冷や汗をかいた。
「では、そちらの欄に【殺害】とお書きになりましたら、用紙をこちらにお渡しください」
女性職員の何の躊躇もない言葉に、真琴は人殺しを許可を、既に得たような気になった。
(ああ、私は翔の婚約者……今も、これからも翔は私だけのもの……その翔を殺した奴を、私が殺しに行く)
「ここからは、最終的な同意の確認になりますので、私が読み上げます。復唱の必要はありませんが、しっかりとお答えください」
女性職員は真琴の様子を気にすることなく、読み上げを始めた。
「本懐を遂げた後に生じる、家族関係の断絶含めたあらゆる結果に対して、あなたはその責任をすべて全うしますか?」
「本懐法第9条により、一度国に受理された本懐内容について、今後の変更、および撤回は一切できませんが、よろしいですね?」
その言葉に、真琴は思わず身を乗り出した。
「撤回なんてしないわよ!絶対に!」
女性職員は一瞬大きな声に驚いたが、一つ息を吐くと淡々と言った。
「その様子ではそうでしょうね。……ただの確認事項です」
さらに一呼吸おいて、言葉を続けた。
「万が一にもあなたが執行を放棄、または失敗した場合、この事件の加害者が受けるのと全く同じ刑罰を、あなた自身も受けることになります」
真琴は前髪をいじり、確認事項を聞く様子がない。
(いいから早く寄越しなさいよ)
真琴は深く息を吐き出した。
〜本懐法 第4条の2〜
婚約者の証明
申請者の続柄が婚約者である場合、申請者は以下に示す書面をもって、その関係を証明しなければならない。
一 被害者と住居が同一であることを示す書面のうち、その事件当日を起算日として三カ月以内の公的機関発行のもの
二 被害者と生計を同一にすることを証明する書面(公共料金の支払い明細等)のうち、その事件当日を起算日として三カ月以内の公的機関発行のもの
三 その他、婚約の事実を裏付ける書面(結婚式場の契約書・領収書、指輪の購入証明書等)があるときは、これを提出することができる




