第5話 随転
※本作はフィクションです。
作中に登場する「本懐法」その他の法律・制度・行政手続等は作者による創作であり、実在する法律・制度ではありません。
また、実在する人物・団体・事件等とは一切関係ありません。
曽我部の対象者認定を受けて、真琴を取り巻く環境は一変した。
会社の中で誰と顔を合わせても、ついて回るのは翔の事件と『本懐法』の話題ばかりだった。
「根岸、対象者に認定されてもお前に権利はないんだぞ。」
「恨みを持ってる人が、きっと晴らしてくれるからね……」
「もう一人の被害者の方もいるんだし、根岸さんも辛いだろうけど、見守るしかないよ」
同情の言葉を数え切れないほどかけられた。
周囲の人間たちは、真琴の決意など知らずに、傷口に土足で踏み込みながら、それぞれ思ったことを言ってくれる。
真琴にとって、それは自分たちが外野にいるから口にできる言葉だった。
他人の雑音などどうでもよかった。
家に帰った真琴は、他人の意見などに耳を傾けず、ただ婚約指輪に誓いを立てていた。
「ねぇ、翔。私があなたの無念を晴らすからね。私たちはずっと一緒だから」
テーブルの上に置かれた婚約指輪。
あのレストランでもらった大切な思い出の品。
真琴には、それが翔との強い繋がりを示すものでもあった。
毎日それを眺めては翔を想って、曽我部への憎悪が増していた。
「翔は……あなたは……どうして、殺されたの?なんで?なんでいなくなったの?私の前から……どうして?」
もう涙も枯れたのかもしれない。
去年ならそんな言葉を口にすれば、自然と涙が溢れていた。
今はもう、その言葉を口にしながら、婚約指輪を触っても、そこには曽我部への殺意があるだけだった。
──ありがとう。
この指輪をもらったとき、どれほど嬉しかっただろうか。
この指輪をはめてもらったとき、どれほど涙が溢れただろうか。
たった五文字の感謝にどれだけの愛情を込めただろうか。
その自分の気持ちを踏み躙った奴を許すつもりはない。
必ず報いを受けてもらう。
必ずこの手で………
ここまでの一年半、長い長い結審までの間。
バラバラに弾けそうになる心を繋ぎ止めたのは、この婚約指輪だった。
『俺と結婚してくれないか?』
その言葉が何度も頭の中で蘇る。
希望に満ちた生活が始まるはずだったのに……
二人の空間で、二人だけの生活……
今さらどんなに想いを募らせても、どんな法律が適用されようとも、失われた命が戻ることだけは絶対にないのだ。
夜、一人残された部屋で、二人が選んだ家具たちが余計に孤独を演出した。
そのぽっかりと空いた心の隙間に、憎悪が入り込んで、熱く広げていく。
婚約指輪に反射した光が、静寂の室内で怪しく光っていた。
「ねえ…………」
その婚約指輪に真琴が声を掛ける。
室内の温度は下がったように思えるほど、その声は低かった。
「明日、私が申請する。朝一番、誰よりも早く申請して………そのまま刑務所に向かう………そこで必ず仇をとる……絶対に」
真琴は立ち上がるとキッチンへと向かった。
使い慣れた包丁を手に取り、刃毀れがないか確認する。
砥石を取り出し、シャッシャッシャッと規則正しい摩擦音を立てて、刃を滑らせる。
その瞳の奥にある狂気は、研ぎが進んでザァ、ザァという音になるにつれて増していった。
「殺す……殺す……殺す……殺す……」
いつしか剥き出しの殺意は、言葉に変わっていった。
愛する婚約者を奪われた心が、完全に変質して、狂っていく。
『愛してる』
そう言って笑う翔の顔が浮かんでは消える。
代わりに浮かんでくるのは、ニュースで見た曽我部の顔。
何度も思い返して、何度も憎んだ顔だ。
「明日……必ず……」
研ぎ終えた包丁を包んでカバンに入れ、明日着ていく服を用意する。
それは翔が買ってくれたお気に入りの服。
思い出の詰まった品を用意し、それらを身に着けて本懐の申請に向かう。
静まり返った室内でスマートフォンを開いて確認する。
画面の中で光っているのは、希望を示す法律の条文だった。
〜本懐法 第4条〜
本懐申請者の範囲
本懐の申請を行える者は、次に掲げる者の1名に限る。
1、被害者本人
2、被害者の配偶者及び三親等内の親族
3、被害者の婚約者その他書面をもってその関係性を証明できる者
「婚約者」その短い一言が、真琴に残された唯一の、そして想いを叶えるための条件だった。
自分が人殺しになってでも、必ず叶えたい強い誓いがある。
左手の薬指にはめた婚約指輪が、それを示すようにキラキラと輝いて見えた。




