第3話 惑転
「藤倉さんのこと、聞いたよ………」
「大丈夫?何かできることあったら言ってね………」
「結婚する予定だったんでしょ?」
「きついよなぁ……」
「私もね、何日か前にあの辺の道通ったんだよね……」
「あの辺りは飲み屋さんも結構あるし、遅くまで営業してる店も多いしねぇ…」
「あっちに行くときは私たちも気をつけないとね」
藤倉翔の死を知った翌日から、会社では哀れみの目を向けながら同僚たちが口々に言う。
その言葉の端々には、同情の裏に張り付いた「自分じゃなくてよかった」という外野にいる安堵と、どこか好奇の視線が混ざり合っているように思えてならなかった。
それからの数週間、真琴は頭が痺れたまま、ただ淡々と仕事をこなした。
誰ともほとんど言葉を交わすことなく、誰も近寄るなという態度で、まるでロボットのように動いていた。
同僚や上司は、その様子を見てショックが大きいのだろうと考えていたようだ。
そのため誰も真琴に必要以上に話しかけず、真琴の口数は日に日に、目に見えて減っていった。
「おい!大丈夫か?辛いよなぁ?こういう時はさ、俺らみたいなデリカシーのない奴らが必要だと思うんだ!」
一人で昼休みにコンビニに歩いていた真琴の背中に、社内でも仲の良い同期たちが声を掛けた。
それは真琴の様子を見た彼らなりの配慮だった。
翔が生きていた頃と明らかに違い、化粧っ気がなく、フラフラと歩く姿を心配してのことだった。
彼らの配慮は間違いではなかった。
ドサッ─
真琴は食事もまともに手につかない状態で過ごしていた。
既に体力は限界を迎えていた真琴は、その場で倒れた。
ただ何をするでもなく、それまでと変わらず体を動かしていただけの抜け殻のようなものだった。
すぐに救急車が呼ばれ、真琴は病院で点滴に繋がれた。
栄養失調。
それが真琴に下った診断だった。
日々家に帰っては食事も取らずに膝を抱えていた。
時折ニュース映像を見て、曽我部の顔を忘れない様に頭に叩き込んだ。
そして二人が写る写真を抱えて眠った。
『なんで!?どうしてわかってくれないの!?』
『いや!そうじゃないだろ!?会社の飲み会くらいいいだろ!?』
『だからってこんな時間まで飲み歩く必要ないじゃない!一次会で帰ってきてよ!』
あぁ──
なんでそんなくだらないことで喧嘩なんてしたんだろう?
私だってそういう席が必要な時があるって知ってたのに………
『無理だ!今日のは接待だぞ?真琴だって知ってるだろう?うちの一番の取引先だ!』
『それでも!私は嫌なの!二次会や三次会ってことは、キャバクラとかそういうとこでしょ!?』
『なんでそうなるんだよ!全部が全部そういう場所だけじゃないだろ!?』
『だいたい男の考えてることなんて一緒じゃない!翔だってそれがわかってるから、そういう場所を選んで接待するんでしょ!?』
今にして思えば、あんな喧嘩さえも幸せだった。
そうやって思い出す日々は、その時どれだけモヤモヤとしたものだったとしても、どれも幸せな日々だった。
病院のベッドで横になって過ごす時間に思い出すものは、その全てが真琴を孤独にしていった。
点滴が終わり、医師の診察を済ませて帰宅する。
食事を摂るよう言われたが、すぐに食べ物を食べたいとは思えなかった。
家に帰り、ふと目につくのはテーブルの上に置かれた化粧品たち。
(あぁ、あんなに頑張ってたのにな……)
そう思って整理し、並べ直していく。
(動画とか見て練習したなぁ……)
ふと一つの化粧品が目に留まる。
「これ、翔が買ってくれたやつだ……」
それは翔が真琴に買ったもので、特別高いブランド品というわけではなかった。
だが、真琴にはどんな高級品より大切に思えて、なかなか普段使うことがなかったものだった。
(翔………死んじゃった…)
一人で過ごす部屋で、真琴は翔が死んだことを自覚した。
「───!!!」
声と呼ぶには相応しくないほどの絶叫で泣いた。
翔が死んだというニュースを見てから、涙が流れることはあっても、これほど声を上げて泣くことなどなかった。
その涙は声が枯れても止まることはなかった。
「もう大丈夫なの?」
「倒れたって聞いたけど?」
「無理しないで休んでてよかったのに」
翌日に出社すると同僚たちは心配そうに声を掛けた。
(やっぱり藤倉さんのこと……)
(そうよね……突然だったしね……)
(でも、あの人ってさ……)
何も事情を知らない同僚が噂話をしている。
だが、真琴には関係ない。
翔が死んでからというもの、化粧もまともにしなかった真琴が、その日から化粧をしていた。
翔に褒められたいがために、動画を見漁って学んだメイク。
それは彼女なりの決意だったのかもしれない。
食事も摂るようになった。
こんな所で倒れていては仇討ちなどできるはずもない。
日々膨れる憎悪が彼女を突き動かした。
「…………絶対、私が仇を討つんだ」
誰も、翔との思い出を知らない。
誰も、翔との未来をどれだけ望んでいたか知らない。
それを全て壊した曽我部。
こいつが本懐の対象者に認定されるまで、倒れるわけにはいかない。
泣き続けるわけにはいかない。
「…………絶対、私が仇を討つんだ」
鏡に向けて何度も口から漏れた言葉は、まるでそれまでの自分を鼓舞しているようでもあった。
涙と憎悪の歯車が動き出す。
鏡の前に置かれた二つのお揃いのカップは、片方の色だけがやけにくすんで見えた。




