第9話 瞋害 了
※本作はフィクションです。
作中に登場する「本懐法」その他の法律・制度・行政手続等は作者による創作であり、実在する法律・制度ではありません。
また、実在する人物・団体・事件等とは一切関係ありません。
「なぁ、高橋………逮捕されたらさ、本懐の申請できないんだよな?」
高橋はその振り向いた顔を見て、尻もちをついた。
降り込んだ雨に濡れることも構わず、そのまま後ろにズリズリとゆっくり下がる。
「なぁ、高橋。黙っててくれないか?」
原はゆっくりと、しっかりとした足取りで高橋に近づく。
その顔は小屋の電気の逆光になってよく見えない。
声のトーンはいつもの原と同じに思えた。
だが、高橋はその『いつもの』原の声のトーンであることが怖かった。
「なぁ?お前さえ何も言わなければ、それでいいんだ」
しゃがみ込んで高橋の顔を覗き込んだ原が、息が届くほど顔を近づけて話す。
先ほどまで見えなかった原の表情が、今度はよく見える位置にある。
目は黒く見えた。
若干汗ばんでいるようだ。
口元は少しだけ口角を上げて、普段なら優しそうな印象だ。
「なぁ?頼めないか?」
「あ……あの、原さん……」
高橋はうまく言葉を出せない。
類家の動かなくなった体が、原の後ろに見えている。
まだ熊手は刺さったままだ。
(殺された………殺した……)
「高橋。なぁ?ダメか?」
(そんな……こんなはずじゃ……)
「無理か………そうか………」
原は溜め息を一つつくと立ち上がり、類家の体から熊手を引き抜いた。
「そうか……」
一歩、また一歩と熊手を持った原が高橋に近づいていく。
高橋は身を強張らせて動くことができない。
「ひっ…」
それが高橋が唯一発した喉から漏れた音だった。
「俺は………本懐を果たす」
そして、これが高橋の聞いた最後の言葉だった。
──あぁ、こんなはずじゃないんだ。
私は特ダネを掴んだんだ。
本懐に向かう原さんを連れて……
その背景を調べて……
本懐実行のドキュメンタリー記事を書いて……
売るなら社会部かな?
どうだろう?
政治ネタにもなるかなぁ……
あぁ、有名になったらどうしよう……
ペンネームがいるなぁ………
下山……四郎……
親の旧姓と名前を借りようかなぁ……
へへ……
だが、その答えを出す時間は、高橋にはもう残されていなかった。
原は倒れて動かない高橋を置いて車に乗り込んだ。
「……………」
返り血を浴びたまま無言でエンジンをかける。
そのエンジン音は雨音にも雷鳴にも負けず、夜の田舎道に響き渡った。
原の目には、もう高橋も類家もう映らない。
六角の話も、関の話も、もう原には関係のない話だった。
あるのはただ、本懐を果たす。
その意思だけが原を突き動かした。
──それから三日後、原は逮捕された。
容疑は二件の殺人。
高橋の車で高速道路を走っている姿を撮影されていた。
裁判所に出向いて本懐の申請をしようとした所も映っていた。
堂々と、粛々と申請にやって来た原は逮捕された。
暴れることなく、原は淡々とした様子で手錠をかけられた。
取り調べにも、裁判にも、聞かれたことはすべて包み隠すことなく話した。
ただ、類家を殺した動機だけは、決して話すことはなかった。
「被告人、原貞之を無期懲役に処する」
原は控訴しなかった。
原の無期懲役刑が確定する。
そして……原は本懐の対象者に認定された。
「ああ、やっと何も考えなくていい」
原はそう呟くと、ハハハと笑ってそれ以降何も喋らなくなった。
刑務所内でもずっと無言だった。
「……なぁ?……お前も悩んだのか?」
それが目の前に本懐実行者が現れた時、原が発した最後の言葉だった。




