第8話 弊害
※本作はフィクションです。
作中に登場する「本懐法」その他の法律・制度・行政手続等は作者による創作であり、実在する法律・制度ではありません。
また、実在する人物・団体・事件等とは一切関係ありません。
倉庫の中には雨の匂いと、湿った土の匂いが入り混じっていた。
屋根を叩く雨音が響き、時折、遠くで雷が鳴る。
類家は近くなる雷の音に合わせるように、発する声が大きく荒くなっていった。
「別に俺は何も犯罪者がいてもいいとは思ってない」
「だがな、根っからの悪人で、生かしておくことそのものが悪っていう極悪人は、俺はかなり少ないと思ってる」
「あんたらは生まれついての極悪人って奴に会ったことがあるのか?」
類家の口は止まらない。
高橋もその様子に言葉がない。
原は何を言っているのか理解できない。
(………極悪人はいる)
「だいたいな、人殺しにしたって、その理由は千差万別だ」
「それを裁判でそれぞれ判断するんだ」
「素人が口出す範囲を超えてるだろうと思わないのか?」
(………わかったようなこと言いやがって)
「全部が全部悪人なんてこと、世間が判断するのか?」
「素人が感情に任せて?」
「殺される側に理由があるときだってある」
(美鈴に……結愛に……理由があったか?)
「人を殺した。だから殺されて当然だ。そんな単純な話じゃないだろう」
「犯人にも事情がある。被害者にも事情がある。だから裁判で全部調べるんだ」
「それを十行程度の概要を読んで、こいつは殺していい、こいつはダメだって決めるのか?」
(こいつに何がわかる?)
「バカにしてるだろ?」
その時、原の中で何かが弾けた。
「何がわかる!?お前は!美鈴の!結愛の!何を知ってる!?」
突然の原の大声に高橋の体が揺れる。
類家も驚いた表情で原を見た。
倉庫の狭い空間で、原の声だけが異様なほど大きく響いた。
「お前は家族を殺されたことがあるか!?ないだろう!?妻の!娘の!黒く煤にまみれた死に顔を見たことがあるかぁ!?」
それは絶叫だった。
薄暗い倉庫に響いたその声は、雨音をかき消すかのようだった。
「………あんた、誰だ?」
そこで初めて類家は原が記者ではないと気がついたようだ。
「被害者の………家族か?」
何か見てはいけない様なものを見た風に、後ろに後ずさる。
「お前の御託なんていらない。殺される理由?言ってみろ。美鈴と二歳の結愛、腹の中の子ども。三人の理由を言ってみろぉ!」
原は類家に詰め寄るように前に出た。
その様子に高橋がハッとして動き出す。
「原さん!ちょっと!落ち着いて!」
腕を掴み、制止しようとするが、原は高橋を払い除ける。
「おかしいだろ?なぁ?お前の言ってること!おかしいだろぉ!?」
原の目から涙があふれ、肩で息をしている。
その様子は明らかに今まで見たことのない『人の怒り』であり、それを止める術を高橋も類家も知らなかった。
「二歳の娘に!殺されるほどの悪事ができるかぁ!?生まれる前の腹ん中の子が!できると思うかぁ!?」
美鈴の顔。
黒く煤けた頬。
開いたままの目。
その隣にいた結愛。
小さな身体には、まだ昨日までの生活の痕跡が残っていた。
「パパ」と呼んでいた声が、頭の奥で一瞬だけ蘇る。
類家は震える唇でやっと言葉を口にした。
「それでも裁判が終わったらそこまでだろ!」
それまで饒舌に話していた類家は、明らかに原の態度に気圧されている。
威圧とは違う雰囲気に、完全に飲まれていた。
「美鈴や結愛を!また侮辱するつもりか!」
原の視線が、倉庫の隅に置かれた農機具へ向いた。
視界は狭まり、音も何もない。
ただ、それだけが目に入った。
それを見た瞬間、何をしようとしているのか、原は自分でも分からなかった。
ただ、手が動いた。
「原さん!それは──!」
高橋が再び原にしがみつこうとするが、間に合わない。
「うあああああああぁ……」
その声は誰のものだったか分からない。
だが、そこには熊手が顔から腹まで縦に突き刺さった類家が倒れていた。
肩で息をする原が立ったまま動かない。
青い顔の高橋もそのまま動けない。
「原さん。あんた……あんた……」
高橋は原と動かない類家を交互に見ながらそう呟いた。
「なぁ、高橋………逮捕されたらさ、本懐の申請できないんだよな?」
振り向いた原の顔は、酷く冷静に見えた。
本懐法7条の2
2項1号のイによる不受理事由
Case4 第2話 掲載




