第7話 痴害
※本作はフィクションです。
作中に登場する「本懐法」その他の法律・制度・行政手続等は作者による創作であり、実在する法律・制度ではありません。
また、実在する人物・団体・事件等とは一切関係ありません。
翌日、原と高橋は一路東を目指した。
向かう先は福島県。
東北の入口にある街だった。
朝早くに神戸を出て、途中休憩挟みながら進み、着いた頃にはもう日は落ちかけていた。
「長い……疲れた……代わってくれてもいいのに……」
ずっと運転していた高橋が愚痴をこぼす。
その横で原はまた終始無言で窓から外を眺めていた。
福島県に入った辺りから雨が降り出し、ポツポツと路面を濡らしている。
「ふぅん。同じ無言でも、ちょっと顔つきが違いますね。いいんじゃないですか?」
原の顔を覗き込むように見た高橋は、何やら愉しげに言った。
あのニヤニヤとした笑みを浮かべ、原の様子を伺う。
「へへ、じゃ、ラスト。三人目です」
車を降りた二人は、田舎の農家らしき家に向かう。
見渡せば田園風景、というより一面田んぼだ。
家は三軒ほどがポツリとある程度。
そして田んぼを何枚か挟んで向こう側にまたポツリと数軒。
「結構な農村ですね。というか田舎の集落かな?」
山にかかる雨雲は、夕暮れ時と相まって余計に黒く重く見えていた。
「本降りになる前にいきましょうか」
二人は小走りで駆ける。
「一昨日もこんな雨でしたねぇ。あの日は傘があったけど、今日は持ってきてない」
へへ、と笑う高橋を見て、原は何がそんなに楽しいのか理解できなかった。
そもそも何の目的でこうして連れ回されているのか、それすらも分かっていない。
「なぁ、お前、なんで──」
「御免下さい!」
話しかけようとする原を遮って、高橋が大きな声をあげる。
それは一昨日と同じ、雨の中でもよく通る声だった。
ガシャン……
何か物音がして、倉庫のような建物から一人の男性が出てくる。
「誰だ?あんたら……」
怪訝な顔をしている男性に対し、
「私、新聞記者の高橋と言います。ちょっとだけ取材いいですかね?」
「取材?新聞?なんの?」
「あ、これ名刺です。ちょっと本懐法の投票について聞いてる最中でして……」
男性はそれを聞くや否や踵を返した。
そして右手を上げて手を振り、明らかに「帰れ」というジェスチャーをした。
その背中に向かって高橋はニヤニヤした笑みで声を掛けた。
「類家辰郎さんですね!」
名前を呼ばれた類家はピタリと止まり、ゆっくりと振り向いた。
その表情は明かりの少なさでよく確認できなかったが、動揺しているように思えた。
「あなたに質問です。あなたは、なぜ否認するんですか?」
どの事件、とは言わない。
ただ、「否認」ということだけを伝える。
原はもちろん自分の事件だと思った。
思わず足が前に出る。
それを高橋が制止した。
「もう一度質問します。あなたは、なぜ否認するんですか?」
ポツポツポツ──
雨の音だけが静かに聞こえている。
類家は何も答えず、ただこちらを見ている。
「どういう意味だ?」
「あなたは、本懐の否認票を入れた。なぜです?」
やはりどの事件、とは言わない。
だが、類家は反応した。
「お前たちは、何も考えないのか?」
それが類家の質問への回答だった。
何も考えない。
そんなことはないだろう。
これまで話を聞いてきた六角にしろ、関にしろ、何かしら考えて投票している。
その他の赤の他人たちでさえ、投票するときには何かを考えているはずだ。
たとえその後に忘れてしまっても──
「意味がわかりませんね。何の考えも無く投票する人は僅かだと思いますよ」
高橋は少し不機嫌になって食って掛かった。
「いいや、考えてない。断言できる」
「何を根拠に?」
「裁判の結果が出た後で、なんで素人がもう一度判断する?」
「それでも考えて投票してると思いますけどね」
「考えてるなら、投票そのものをしないだろう?」
「どういう意味ですか?」
「司法の判断に首を突っ込むな」
遠く山の向こうで雷が鳴る。
雨足は強くなり、傘のない2人はだんだんと服に雨の跡がついていく。
「お前ら記者だよな?ちょっと来い」
類家は顎をしゃくって、先ほどまでいた倉庫のような建物に来るように言う。
二人は雨に濡れたままの立ち話よりは、と言われるがまま倉庫に入る。
そこは農作業に使うのだろう大きな機械が入る倉庫だった。
雨音はザーザーにかわり、倉庫の屋根に打ちつける雨の音が倉庫の中で響いていた。
「いいか?よく聞けよ──」
類家は倉庫に二人が入るのを確認して話し始めた。
「俺はな、どんな事件でも否認する。どんな凶悪犯と呼ばれる奴でも」
「なんでですか?」
「素人が判断することじゃない」
「世間が判断するんです」
「素人の集まりだ」
「そう思うなら、投票そのものをしなければいい」
「安易に投票する奴がいるから否認するんだ」
類家と高橋が交互に言葉を交わす。
湿った空気の倉庫の中で、原は完全に置き去りにされていた。
「では、あなたのご家族が何らかの事件に巻き込まれた場合も否認しますか?」
「ああ、するだろうよ。俺は司法の判断に委ねる」
(否認?なんで?そんなこと……)
「いいか?人の命に関わる選択を素人がする?おかしいと思わないのか?」
(それでも……そんな言葉よりも……)
「ゲームじゃないんだ。ボタン一つで、おかしいと思わないのか?」
(こいつは、なにを言ってるんだ?)
「自分の家族なら認定する、他人なら否認する。そんな判断のどこに公平性がある?」
類家は高橋に詰め寄るように言葉を繋いでいく。
「裁判というのは公平な第三者が、法に従って犯罪者を裁くんだ。当事者や感情に流された人間が口を挟むのは間違いじゃないか?」
「じゃあ、あなたは裁判員裁判も否定なさるんですか?」
「バカ言え。裁判員は裁判官と一緒に判断する。少なくとも、スマホのボタン一つで勝手に無責任に判断する制度とは違う」
原には類家の言葉が理解できなかった。
妻も娘も、そして生まれてくるはずだった子どもも奪われた。
その事実を知った人間が、水島を認定することすら間違いだと言う。
では、誰なら判断していいというのか。
裁判官か。
裁判員か。
それとも、誰にも判断できないのか。
原には分からなかった。




