第4話 逼害
※本作はフィクションです。
作中に登場する「本懐法」その他の法律・制度・行政手続等は作者による創作であり、実在する法律・制度ではありません。
また、実在する人物・団体・事件等とは一切関係ありません。
高橋の運転する車は、高速道路を走っていた。
県外に向かっていることだけは分かる。
だが、どこへ向かっているのか、原にはまだ分からなかった。
「えーっとですね、原さんの事件でランダム票に選ばれた人たち。この三人ね、全員県外なんです。一人は東北、二人は関西の方ですね」
「……方向が真逆じゃねぇか」
「そうなんですよねぇ」
高橋はハンドルを握ったまま、楽しそうに笑った。
「だからまぁ、着くまでゆるゆると昼寝でもしててください」
「………はぁ……」
原はため息をつくと、窓の外を見た。
夏の空は、雲一つないほど晴れていた。
高速道路の防音壁が流れていく。
憎たらしいほどに晴れた空を見つめ、原は本懐の申請に至るまでを思い出していた。
(あの日もよく晴れた一日だった……)
──それは去年の春の出来事だった。
原は仕事を終えて電車の中にいた。
妻の美鈴のお腹には赤ん坊がいる。
もう臨月だ。
あと数週もしないうちに予定日を迎える。
入院の日程も決まっている。
電車を降りて駅近くのデパートに入り、ベビー用品売り場に立ち寄る。
特別なにか必要というわけではない。
ただなんとなく待ちきれない気持ちが、そこに足を向かわせていた。
小さな靴下を手に取る。
(この色の方が似合うか?違う色のほうが良いかな?)
そう思いながらも、原は笑っていた。
それでも買ってしまう。
生まれてくる子どもの姿を想像するだけで、財布の紐が緩んだ。
オムツも、お包みも、ミトンや哺乳瓶など、必要なものは用意してあった。
(二人目とは言え、足りないものがあったらまずい)
原は帰宅する前に、ベビー用品売り場へ立ち寄るのが習慣になっていた。
この日も日課のように足を運ぶそこに、原はいた。
プルルルップルルルッ
幸せの最中に、突然電話が鳴った。
ベビー用品売り場ということもあって、赤ん坊連れの客もいる。
原は慌てて電話を取った。
「はい。…………え?はい、私が原貞之ですが……」
その電話は警察からのものだった。
原は現実が受け入れられなかった。
火事──
まさか、そんなことが起こると予想もしていなかった。
霊安室に横たわる美鈴の顔は、ところどころ煤で黒くなっていたが、眠っているように見えた。
結愛もまた朝になれば起きて走り回りそうな顔で眠っていた。
『残念ですが、2人とも外に連れ出した時点で呼吸がなかったようで………』
沈痛な表情の警官が話すが、原の耳には届かない。
やがて一人の男が捕まる。
水島博道──
放火だった。
水島は仕事や親子間のストレスから近隣各所に放火していた。
公衆トイレや駅の駐輪場、アパートのゴミ捨て場。
それらは全て小火騒ぎで終わり、近隣住民には注意喚起が行われていた。
だが、その日は違った。
春のまだ乾燥した風が吹く日。
ゴミに付けられた火は瞬く間に大きくなり、風に煽られ、やがてゴミ捨て場の目の前にあった原の自宅を巻き込んだ。
『なんで……なんで……』
『こんな酷い話が………』
『水島を、殺して下さい』
『美鈴と結愛の復讐をして!』
妻の親兄弟は口々に言った。
『結愛のために………』
『よく考えて行動しろよ』
『早まるなよ』
原の親兄弟も好き勝手に言った。
(しばらく放っておいてくれよ)
その原の願いは叶わなかった。
近所の連中は仇討ちと囃し立てた。
事件はニュースでも連日取り上げられた。
『放火で母子二人死亡 妊娠中の妻の胎児も犠牲に』
『一家二人の命を奪った放火魔』
『家族を奪われた父親』
そんな見出しが、何度も原の目に入った。
テレビをつければ自分の家が映っていたこともある。
スマートフォンを開けば、知らない人間が水島への憎悪を書き込んでいた。
「もうやめてくれ」
その原の心から漏れた言葉は、誰の耳にも届くことなく、一人残された家の中に消えていった。
近所を歩けば、知らない人間から声を掛けられる。
『頑張ってください』
『仇を取ってください』
そのどちらも、原には同じ重さでのしかかった。
(やるよ………やればいいんだろ?)
ニュースは一週間もすれば落ち着いた。
しかし世間はそうもいかない。
対象者として水島が認定されると、また囃し立てる。
そしてそこに親戚の連中も加わる。
『本懐の申請をしてくれ』
『仇を取ってくれるんだろう?』
(俺が水島を殺したいって、いつ言ったよ?)
原に必要なのは、ただ悲しむ時間だった。
事件の後、裁判中、その後。
その全てが、本懐法による仇討ちという話題によって塗り固められた。
誰も原の悲しみを受け止めようとはしなかった。
(やるよ。満足だろ?)
悲しむ時間も無く。
悩む時間も無く。
泣いていることさえ許されない様な周囲からの圧力に、原は押し出された。
「俺はヒーローになんかなりたくないんだけどな」
その呟きを聞き入れる者は誰もいなかった。
あれだけ囃し立てたのに、本懐の申請に向かうときには、原の周りには誰一人いなかった。
近所の住民や親戚など、言うだけ言って、腹を決めて家を出るときには静かなものだ。
家に残された遺影は原を見つめている。
「………はいはい」
誰に向けた言葉というものではない。
ただ、たった一人残された家から出た原の口から出た言葉は、それだった。




