第3話 見害
※本作はフィクションです。
作中に登場する「本懐法」その他の法律・制度・行政手続等は作者による創作であり、実在する法律・制度ではありません。
また、実在する人物・団体・事件等とは一切関係ありません。
第二突堤──
高橋が指定した場所に到着し、原は車を停めた。
夏の日差しは、朝とはいえかなり強い。
外に出る気になれず、エンジンもエアコンもつけたままフロントガラス越しに海を見ていた。
(あぁ………向こうにいけば海岸がある)
美鈴と結愛を連れて、何度か訪れた海岸だった。
結愛が波打ち際で転ぶたび、美鈴が笑っていた。
そんな、どこにでもあるような家族の記憶。
あの時に戻れるなら、どんなこともしよう。
一夜にして奪われた幸せな日々を思い出し、二度と戻れない遣る瀬無さに打ちひしがれていた。
コンコンコン─
物想いにふける原だったが、窓をノックされて現実に引き戻された。
そこには昨日と同じニヤニヤとしたねちっこい笑顔の高橋がいた。
「いやぁ、遅れちゃいました?すみません。」
原がパワーウインドウを降ろすと、高橋は顔を近づけてきた。
「こちらから言ったのに8分も遅刻して申し訳ないですね。ちょっと俺の車に来てもらえます?」
どうやら高橋は遅刻してきたようだが、原はそれすらも気が付かずに海を眺めていた。
高橋の車に移動し、助手席に乗ると、高橋は海を眺めながら話し出した。
「昨日はすみませんでしたね。なに、あなたの本懐の邪魔をしようってんじゃないんですよ。ただちょっとその前に、確認というか、聞いときたい事がありましてね。」
「………勿体ぶるな。なんだよ?」
「ご興味ありません?これ?」
高橋はカバンを開けると、薄いクリアファイルを取り出した。
「これね、実名リストなんです。国民投票の」
「………はぁ?」
「本来は秘匿されるものです」
「………秘匿?」
「はい。ここに記載されているのは、国民投票のいわゆる『ランダム票』に選ばれた票。その実名と認定、否認の結果」
「………どういうことだ?」
「私も記者ですからねぇ……危ない橋を渡る時もありますよ」
〜本懐法 第23条〜
国民投票の秘密保持
国民投票の実名リストの閲覧は、別途省令で定める手続に従い、当該投票を取り扱う裁判所職員に限り、これを行う。
2 正当な理由なく前項の名簿を漏えいした者は、五年以下の懲役に処する。
3 前項の漏えいに関与した者は、三年以下の懲役に処する。
原にとって、そのリストが本物かどうかはどうでもよかった。
というより、そんなものが目の前にあることが信じられなかった。
「危ない橋って、お前!」
「おっと!暴れないでくださいよ。狭いんだ」
車の中で胸ぐらを掴もうとする原の腕を、高橋は払い除けておちゃらけてみせる。
「あのね、原さん。もう一度言いますよ。私は何もあなたの本懐を止めようとは思ってないんです。ただね、その前に、あなたの事件に投票した人たちの意見を聞きませんか?」
「バカ言え!親戚連中や近所の連中から散々聞いてる!」
「あぁ、違う違う。」
高橋は人差し指を立てて、原にさも分かったふうに言う。
「いいですか?全くの事件概要しか知らないような赤の他人の意見を聞きませんか?ということです」
「……はぁ?なんの意味があって─」
「意味はありますよ。あの事件が、当事者の周辺のさらに外からどう思われてるか?それを知るのも、私は大切だとおもいますけどねぇ?」
原は生唾を飲み込み、尤もな懸念を吐き出す。
「逮捕されれば本懐の実行者にはなれない。これを見たことがバレたら、俺は──」
「バレなければいいんですよ。というか、あなたは中身を見てない。見たのは私だよ、原さん?違うかい?」
「でも、結局は──」
「あなたは私に付き合ってるだけだ。興味ないんですか?赤の他人が何を思って対象者として水島を認定したのか?」
「俺は──」
「知りたくない?」
目を瞑ると今でも美鈴と結愛の笑顔が浮かぶ。
それを奪った水島の命を奪う。
本懐の前に世間がどう判断したのか?
自分の知らない誰かが、水島をどう見たのか?
妻や娘を一目も見たことのない誰かの意見。
それを知るのも悪くない。
原は頷いた。
「それは興味有りってことですかね?」
「……あぁ、そうだ」
「へへ、原さん。やっぱりあなた、なかなかのもんだよ」
高橋は嬉しそうに車のギアをドライブに入れ、その場を出ようとする。
「おい!車!俺の!」
置き去りになる家族との思い出の詰まった愛車を見て、そう騒ぐ原に対し、
「まぁ明日か明後日には戻ってきますから。大丈夫でしょうよ。」
気楽そうな返事を返した。
原は自分の車を見つめていた。
あの車にも、美鈴と結愛との思い出が残っている。
後部座席には、結愛がこぼした菓子の跡がまだ残っている。
あの事件から一年以上経っているが、そんなものでさえ思い出になって掃除などできなかった。
ダッシュボードには美鈴の化粧品が未だに入れられたまま。
それを置いていくことに、妙な不安を覚えた。
まるで、自分だけがあの頃から切り離されていくような気がした。
「原さん?」
高橋の声に振り返る。
「………」
原はもう一度だけ、自分の車を見た。
そこに美鈴も、結愛もいない。
それでも、あの車には家族で過ごした時間だけが残っている。
「……すぐ戻る」
誰に言うでもなく呟いた。
だが、高橋はもう車を走らせていた。
原は助手席から、遠ざかっていく自分の車を見つめる。
やがて、それも見えなくなった。




