第1話 能害
※本作はフィクションです。
作中に登場する「本懐法」その他の法律・制度・行政手続等は作者による創作であり、実在する法律・制度ではありません。
また、実在する人物・団体・事件等とは一切関係ありません。
「あ、すみません。ちょっとお話いいですか?」
そう言って裁判所の前で車から降りた男性に声をかけたのは、高橋亮司――いわゆる新聞記者だった。
朝から広がっていた曇り空は、昼を過ぎるととうとう雨を落とし始めた。
夏の暑さと相まって、傘を差していても肌にまとわりつくような不快な湿気がある。
高橋は傘を差しながら男性へ近づき、安っぽい笑顔を浮かべた。
「いや、すみませんね。申請に来られた方ですか?それとも裁判の傍聴?」
湿気にも負けないしつこさで、男に話しかける。
バサバサと打ち付ける雨粒の音など、全く効果音にもならないほど、高橋の声はよく通った。
「……………」
迷惑そうにして、それを無視して歩く男に、高橋は食い下がる。
バシャっと水溜まりに足を突っ込み、思わず「しまった」という顔の高橋だったが、一呼吸つくとその顔はもうどこにもなかった。
「あ、あの僕ね、こういうもんなんです」
高橋が取り出したのは名刺だった。
そこには、スポーツ新聞社の記者という肩書きがしっかりと記されている。
「新聞記者してましてね。ちょっと、お話聞けたらと思いまして」
「…………」
男は一向に取り合おうとはしない。
「今日の裁判はもう終わりそうだし………なんでしょうね?最近この辺では、話題になりそうな事件もないですから………申請ですか?」
無視して歩いていく男に纏わりついて一方的に話している。
その様子はまるで男に対してグルグルと這い回る蛇のようでもあった。
「申請ねぇ………ほぉ~ん。よかったらお名前だけでも、教えてもらえませんかね?」
やがて高橋は腕を組んで男を通さないように前に立ち塞がった。
仁王立ちの高橋は、入口に通じるの階段の上で男を見下ろしている。
その二段ほど下で男は立ち止まり、屋根から滴る雨に濡れた階段を挟んで高橋を見上げた。
「いい加減にしてくれ!放っておいてくれ!」
「お!やっとお声を拝聴できましたねぇ。ついでにお話なんて、いかがです?」
軽薄な返事の高橋を強引に払い除け、男はスタスタと足を速めて入り口に向かう。
「そんな素っ気ない。いいじゃないですか?相手は逃げないんでしょ?」
高橋は尚も食い下がり、男の腕を掴む。
「最近対象者認定されたといえば、平野……力石……水島に……えーっと?」
男がその言葉に振り返る。
男は一人の人名に反応して怒りの表情を浮かべていた。
「あぁ………ね、水島?」
高橋が男を指さしながら、嬉しそうに眉を上げる。
その口角は明らかに上がっていた。
「はは〜ん。水島が相手?なるほどね。近いもんね、現場。てことはぁ?」
男は高橋を睨みつけ、高橋の胸ぐらを掴んだ。
それでも高橋が動じる様子はない。
「当たりですねぇ。原さんでしょ?あなた」
「なんなんだ!?あんたは!」
原と呼ばれた男は激昂するが、高橋はなにも気にすることなく続ける。
その顔はニヤニヤと笑っていた。
「いやね、ちょっとお話伺いたいんですよ。原さん?」
傍聴を終えた群衆が次々と裁判所をあとにしていく。
その中で2人の様子は明らかに異様であり、人々の目を引いた。
ジロジロと目線が集まり、高橋はそれを面白そうに観察している。
「場所変えましょうよ。近くに喫茶店ありますから。どうです?」
「…………」
原はなにも答えない。
ただ高橋の胸ぐらを指先が白くなるほど力いっぱい掴み、睨みつけている。
「ねぇ、原さん。ちょっとだけ、お時間よろしいですか?」
「…………」
「是非、申請前にお耳に入れたい話がありましてね。なに、この話を聞く時間くらいで相手は逃げませんよ。ねぇ、原さん?」
これがこれから起こる凄惨な事件の幕開けになるとは、このとき二人は予想もしていなかった。
「ふふふ……ねぇ?原さん。既に水島は収監済み。対象者の認定もされた。いつでも殺しにいけますよ」
高橋はニヤニヤと笑っているが、その目はしっかりと原を見ていた。




