第8話 悪縁
※本作はフィクションです。
作中に登場する「本懐法」その他の法律・制度・行政手続等は作者による創作であり、実在する法律・制度ではありません。
また、実在する人物・団体・事件等とは一切関係ありません。
「あー?見たことないねぇ」
傑は駅前の雀荘で、父・昭典の写真を見せながら尋ねていた。
「悪いね。結構、毎日いろんな人が来るからさ。いちいち覚えてないんだよ」
「……そうですか」
傑は写真をしまい、店を出た。
本懐実行者の認定証を手にしてからというもの、傑はホテルを転々としながら、昭典が生前に行きそうだった場所を訪ね歩いていた。
パチンコ屋。
場外馬券売り場。
雀荘。
夜の繁華街。
未成年であることを理由に普段なら立ち入れない場所でも、認定証の効果は絶大だった。
だが、未成年であれば条例等により補導される時間帯には出歩かない。
本懐法の認定証があっても、本懐法以外の法令は通常通り適用される。
特例的な措置は情報の開示に限られる。
店員たちは傑を客として扱う必要はなくても、本懐実行者として求められた質問には答えてくれた。
しかし、傑が求めている情報は、どこにもなかった。
〜本懐法 第26条〜
情報の開示
本懐実行者の認定証の交付を受けた者が、本懐の実行に必要な情報の開示を求めたときは、国、地方公共団体その他の機関、法人その他の団体は、本懐の実行に必要と認められる範囲において、当該情報を開示しなければならない。
やがて、調べる場所は昭典が生前に通っていたような場所から、事件後に剣持久良が立ち寄ったと思われる場所へと変わっていった。
質屋。
金券ショップ。
リサイクルショップ。
それらを一軒ずつ訪ね歩く。
その傑の腕には、事件後に遺族へ返還された昭典の腕時計がはめられていた。
決して高価なものではない。
それでも、昭典が気に入って、いつも身につけていたものだった。
ふと、傑は自分の財布に目を落とした。
中学生の頃、昭典に買ってもらった財布だった。
『おう!当たったから買ってきた!』
そう言って、当たり馬券を換金した金で買ってきたものだった。
傑には聞いたこともないロゴが入った、おそらく安物の財布だった。
それでも、傑は大切に使っていた。
(……やべぇ)
財布の中を確認する。
(そろそろ金がない)
ホテル代や交通費は、本懐遂行に必要な経費として後から請求できる。
それでも、16歳の傑が何日も外泊を続けられるほどの金を持っているわけではない。
高校一年生。
アルバイトすらしたことがない。
残っている金は、正月にもらったお年玉を貯めていたものだった。
『てめぇ!ズルしてねぇだろうな!?』
正月になるたび、ポーカーやブラック・ジャック、おいちょかぶ。
その他にも、よく分からない遊びまで持ち出して、昭典は傑からお年玉を巻き上げようとしていた。
そのたびに、傑は必死になって金を守った。
『金ってのは楽しく使わねぇとな!』
そんな昭典の言葉を思い出す。
(父ちゃんに怒られそうだ)
傑は小さく笑った。
そして、すぐに真顔に戻る。
もう一度だけ、昭典の会社へ行こう。
今回も何も分からなければ、残った金を考えても、もう剣持の収監先へ向かうしかない。
そこで何も分からなければ――もう諦める。
そう決めて、傑は会社へ向かった。
「すみません。岸本昭典の息子です。もう一度だけ、聞きたいことがあるんです」
受付でそう伝えると、受付の女性は一瞬だけ傑の顔を見つめた。
その顔はなにか異質なものを見るような、恐怖とは違った別の感情があるように見えた。
「……少々お待ちください。そちらにお掛けになってお待ちください」
「はい」
傑はロビーの椅子に腰を下ろした。
受付の女性が、どこかへ電話をかけている。
しばらくすると、エレベーターの扉が開いた。
一人のスーツ姿の男性が降りてくる。
年は昭典よりも少し若く見えた。
「君かい?岸本の息子さん?」
「はい」
「俺ね、小林って言うんだ。お父さんの同期なんだけどね」
そう言って、小林友幸は傑の隣に腰を下ろした。
「名前は?」
「岸本傑です」
「うん。で、君は本懐の申請をしたの?」
傑は黙って頷いた。
「そうか……」
残念そうに何度もそう呟く友幸は、大きく息を吐くと天井を見上げた。
しばらくの沈黙のあと、友幸は傑の顔を見る。
「それで、何を聞きたくてここに来たの?」
「父の持ち物で、まだ返ってきてないものがあるんです」
「返ってきてない?」
「はい」
「何だい?」
「分かりません」
友幸が眉を寄せる。
「分からない?」
「父が持っていたものです。事件の後、返ってきていないものがあるはずなんです」
「それを探してるのか?」
「はい。どうしても仇討ちの前に見つけたくて」
傑は頷いた。
「仇討ちって……意味、分かってる?」
「はい」
傑は友幸を真っ直ぐ見た。
「あいつを殺します」
その言葉に、友幸は黙った。
その顔には、迷いも恐怖もなかった。
(これを世代の差って言われてもね……)
友幸が若い頃には本懐法はなかった。
だが、傑の場合は幼少期に本懐法が制定された世代だ。
規範意識や価値観、倫理観のハードルの違い。
本当にそれが、たった一つの法律で変わるものなのか?
友幸には理解できなかった。
それでも、友幸の目の前にあるのは、決意を固めた人間の顔だった。
「お父さんはね……」
友幸は少し言葉を探した。
「まぁ、嫌われ者って言ったら……うーん、まぁそうだね。あんまり好かれてはいなかった」
傑は何も答えない。
ただ、
(……違う…そんなはずない)
そう心の中で思った。
傑はどこまでも昭典を信頼し、尊敬していた。
無茶苦茶でも、あの大きな背中が嫌われるはずがないと信じていた。
「だからって、殺される理由にはならないとは、思うよ」
「…………」
「でもね」
友幸は小さく息を吐いた。
「それで君が人殺しになるのは、それもまた、違うんじゃないかって思ってる」
傑は俯いたままだった。
友幸は、そんな傑を見ながら続けた。
「お兄さん、いるよね?」
「はい」
「君たちのことはね、お父さん、いつも自慢気に話してたよ」
傑の顔が、ほんの少しだけ動いた。
「亡くなるちょっと前だったかな……なんか、息子の誕生日がどうのこうのって言ってたんだよな」
「……誕生日?」
「ああ。サプライズで何かするって」
傑が顔を上げる。
「何を?」
「いやぁ、そこまでは聞いてない。ただ……」
友幸は記憶を探るように、天井を見上げた。
「『待っとけって言ってある』って笑ってた」
「……父ちゃんが?」
「ああ」
傑は黙り込んだ。
確かにそう言われた記憶はある。
だから待ってたのに、死んでしまった。
それが何なのかもわからない。
だから、探していた。
「何か……知りませんか?」
「いやぁ……」
友幸は腕を組み、しばらく考え込む。
「そういや、あいつ、野球がどうとか……」
「……野球?」
「うん。完全にあいつの趣味じゃねぇかって思うんだけど――」
「ありがとうございます」
傑は立ち上がった。
「おい、ちょっと!」
友幸の呼び止める声を聞きながらも、傑はロビーを出ていった。
会社の外へ出る。
一人になった傑は、駅へ向かって歩き始めた。
(父ちゃんは、誕生日のプレゼントを用意してくれてた)
目に涙が浮かぶ。
(俺との約束を、守ろうとしてた)
傑は、袖で目元を拭った。
(なのに……)
胸の奥が、締めつけられる。
(あいつが父ちゃんを殺した)
父親が残したはずのものは、まだ傑の手元にはない。
約束も、プレゼントも。
そのすべてが、途中で途切れてしまった。
(あいつが……約束を壊した)
傑は涙を拭い、顔を上げた。
(殺す前に、必ず聞き出してやる)
何を奪ったのか。
父親が何を残そうとしていたのか。
それを確かめるまでは、終われない。
傑は駅へ入り、電車に乗った。
向かう先は、剣持久良のいる場所。
刑務所だ。




