第6話 類縁
※本作はフィクションです。
作中に登場する「本懐法」その他の法律・制度・行政手続等は作者による創作であり、実在する法律・制度ではありません。
また、実在する人物・団体・事件等とは一切関係ありません。
しばらくの間、傑が歩き去った方向から、淳平は目を離せなかった。
なぜ、生徒の様子に気がつけなかったのか。
時間はあったはずだった。
事件が起き、裁判が進む中で傑の表情などに変化はあったはずだ。
「……岸本」
はっとして、後を追おうとするが、そこにはもう傑の姿はなかった。
慌てて周辺のコンビニや駅を探した。
だが、どこにもいない。
「どこに行った?家には戻らないはずだ。その割に、荷物は少なかった。まだ近くにいるはずだ」
日が傾いてきたことで、自分が学校へ何の連絡もしていないことに気づいた。
傑を探していて時間が経っていた事に気が付かなかった。
淳平は携帯電話を取り出し、学校へ連絡を入れる。
「すみません。井沢です。連絡が遅れました」
『井沢先生?教頭に代わりますね』
「お願いします」
すぐに電話が代わった。
『もしもし』
「井沢です。岸本の件ですが……すみません。申請はすでに受理されていて、認定証も持っていました」
『……手遅れか』
「申し訳ありません」
『親御さんは?』
「いえ……まだ、分かりません」
電話の向こうで沈黙が流れた。
教頭もどうしていいのかわからないのだろう。
未成年による本懐の申請という異常な事態、それが自分の勤務する学校で起こる事だと想像できるはずもない。
淳平は一度だけ息を吐くと、口を開いた。
「ちょっと、お母さんに話を伺ってきます」
『いや、井沢先生!やめておきな――』
「すみません。失礼します」
教頭の言葉を遮り、淳平は電話を切った。
そして、岸本家へ向かった。
その道中、淳平は考えていた。
八年前。
高校時代の同級生だった下川愛理は、大学に進学した後、強姦殺人によって命を落とした。
愛理と交際していたわけではない。
ただ3年生のときにクラスが同じだったことや、部活が同じだったこともあって、いい友人という存在だった。
愛理の家族もまた、本懐を申請した。
あの事件以来、家族は今も傷を抱えたままだ。
「日常ってなんだろうね」
たまたま愛理の姉の美冬と会った時に、そう漏らしていたのを覚えている。
どこか諦めたようなその表情を、今でも淳平は覚えている。
本懐を遂げれば、本当に救われるのか。
人々が求めた制度は、本当に被害者やその家族を救っているのか。
淳平には、どうしても分からなかった。
「本懐法に……本当に救済はあるのか」
その答えが出る前に、岸本家へ到着した。
郊外にあるマンション。
呼び鈴を押すと、しばらくしてドアが開いた。
そこに立っていたのは、傑の母親、翠里だった。
その顔は、今の今までずっと泣いていたように泣き腫らしていた。
「すみません。傑くんの担任の井沢です」
「……はい」
「傑くんのことで、お話できますか?」
「はい……。中にどうぞ。外に聞こえてほしくないので……」
リビングへ通された淳平は、腰を下ろすとすぐに口を開いた。
だが、その話は決して軽いものではない。
「傑くんは、本懐の申請をしました」
その一言で、翠里の表情が固まった。
「……そう、ですか」
「すみません。一歩……遅かったです」
淳平が頭を下げる。
すると翠里も頭を下げた。
「……いいえ。ありがとうございます」
二人とも、しばらく顔を上げられなかった。
自分が向かうと宣言したにも関わらず、間に合わなかったのだ。
責任、というものとは違うかもしれないが、なにか後ろめたい気持ちが淳平にはあった。
やがて翠里が、ぽつりと話し始めた。
「あの子にとって……主人は、ヒーローみたいな人だったんです」
「……はい」
「口が悪くて、すぐ手を出すし、ギャンブルもお酒もタバコも好きで……評判は、たぶんいいものでありませんでした」
翠里は口元を押さえる。
「でも、あの子にとっては……ヒーローだったんです」
声が震えた。
「上の子の航とは、あんまり仲が良くなかったんです。でも、傑とは……仲が良いっていうか、気が合うっていうか……不思議ですよね、親の私から見たら、航のほうが主人と気が合いそうなのに………」
「お兄さんは、本懐について何か?」
淳平が尋ねる。
翠里は涙を堪らえ、鼻を啜りながら話す。
「さっき、学校から電話をいただいたあとに、航にも連絡したんです」
翠里は涙を拭った。
「航は……止めないほうがいいって」
「……止めない?」
「はい」
翠里は、航から聞いた言葉をそのまま伝えた。
『止めれば、あいつも犯罪者になるんだろ』
『だったら、俺たちが決めることじゃない』
『あいつが自分で決めたなら、最後までやらせるしかない』
『こっちはもう待つしかない』
「……でも、それじゃあ」
翠里は俯いた。
その様子に、淳平の後ろめたさは大きくなり、背中に大きな重りを置かれているような気分になった。
「はい。傑は……帰ってきたとき、人殺しになってます」
その言葉が、淳平の胸に突き刺さった。
人殺し――
淳平は知っている。
資格を失えば、本懐は失敗扱いになる。
そして失敗した実行者には、対象者と同じ刑罰が科される。
つまり――
(やれば、人殺しになる)
(やらなければ、剣持と同じ刑罰になる)
(もう……進むことも、引くこともできない)
淳平は拳を握った。
親である翠里にも、兄である航にも決められない。
傑自身が選んだ。
だからこそ、誰かが止めなければならない。
生徒を人殺しにしたくはなかった。
「……でも」
淳平は顔を上げた。
「まだ、何かできるかもしれない」
翠里が顔を上げる。
「先生……?」
淳平は立ち上がった。
「俺が傑くんを探してきます」
「でも……」
「大丈夫です」
自分でも、何が大丈夫なのか分からなかった。
ただ、このまま待つことだけはできなかった。
傑が本懐を遂げるまで。
そして、もう一度この家に帰ってくるまで。
その間に、何か一つでもできることがあるのなら。
淳平は、岸本家を後にした。
その背中を見送りながら、翠里はただ呟いた。
「……先生」
閉じた扉の向こうへ届くはずのない声だった。
「傑を……お願いします」




