第3話 逆縁
※本作はフィクションです。
作中に登場する「本懐法」その他の法律・制度・行政手続等は作者による創作であり、実在する法律・制度ではありません。
また、実在する人物・団体・事件等とは一切関係ありません。
「君が、申請するの?」
本懐申請窓口の職員は、目の前に立つ少年を見ながら、思わずそう尋ねた。
「はい。そうです」
少年は迷いなく答えた。
「……歳は?」
「16です」
職員の手が止まった。
「……そう」
しばらく少年の顔を見つめる。
「申請に年齢制限はなかったと思いますけど?」
少年が先に言った。
「うん。ないよ」
「じゃあ、申請できますよね」
「できる。できるけど……」
職員は一度言葉を切った。
「君、本当に申請するの?」
「はい。お願いします」
「……そう」
職員は小さく息を吐き、机の引き出しから一枚の用紙を取り出した。
「じゃあ、これ。申請用紙ね」
その少年、岸本傑は、それを受け取ると、迷うことなく記入を始めた。
ペン先が止まることはなかった。
職員は、その様子をしばらく眺めていた。
本懐法に、申請者の年齢制限はない。
だから、十六歳であっても制度上は何の問題もない。
三親等以内の親族であること。
必要な書類が揃っていること。
加害者が対象者として認定されていること。
それらを満たしていれば、申請そのものを拒む理由はない。
それでも十六歳の少年が、自ら本懐を申請する。
そんな事例は、ほとんど存在しなかった。
「被害者との続柄は?」
「次男です」
「事件番号は分かる?」
「調べてきてます」
傑はすぐに答えた。
「ご家族には相談した?」
「一応は……」
「学校は?」
「言ってません」
「今日ここに来ることを知ってる人は?」
「いません」
職員は一瞬だけ顔を上げた。
「……そう」
それ以上は何も言わなかった。
傑は記入を続けた。
やがて、職員が書類に目を落とす。
そこには、傑の字で大きく、【殺す】と書かれていた。
職員は少し困ったように眉を下げた。
「ごめんね。ここね」
傑が顔を上げる。
「【殺す】じゃなくて、【殺害】に変えてくれる?」
「……はい」
職員は定規を差し出した。
「二重線で消して、横に書き直して。あと、訂正印もお願いね」
机の上に朱肉が置かれる。
傑は言われた通りに書き直した。
【殺す】
その文字が二本の線で消され、その横に、
【殺害】
と書かれた。
「うん。それで大丈夫」
「あと……」
「ん?」
「もう一つ、書きたい……」
「うん。じゃあ、それも書いてくれる?」
書き終わった書類を職員は確認していく。
「……はい。書類上は問題ないね」
「はい」
「これで申請は受理される。これから認定手続きに入るから、しばらく待ってね」
「分かりました」
職員は書類をまとめた。
そして、もう一度だけ傑を見る。
「……本当に、いいんだね?」
「はい」
返事に迷いはなかった。
職員は、それ以上何も言わなかった。
手続きが進み、傑の手元に一枚の認定証が渡された。
そこには対象者の名前とともに、はっきりとした文字で、
対象者 剣持久良
本懐 殺害 奪還
と記載されていた。
傑は認定証をじっと見つめた。
職員は、その横から説明を続ける。
「これから本懐完了報告をするまでは、ご家族との接触は禁止だからね」
「……はい」
「電話もダメ。直接会うのもダメ。家に帰るのもダメ」
「分かりました」
「偶然会った場合でも、接触したら資格を失うから気をつけて」
傑は黙って頷いた。
「それと、君が本懐を遂げる前に、対象者が別の実行者によって本懐を遂げられた場合も、君の資格は失効する」
「……はい」
「申請を取り下げたり、申請内容を変更した場合も同じ」
職員は淡々と続けた。
「資格を失効した場合は、本懐の失敗として扱われる。失効事由が本人の意思によるものかどうかは関係ないから、その点も覚えておいてね」
「……分かりました」
「大丈夫?」
「はい」
職員は傑の返事を聞いて、少しだけ間を置いた。
「じゃあ……」
職員は認定証を指差した。
「本懐完了報告をするまでは、これをなくさないようにしてね」
「はい」
「あと、身の回りのことなんだけど」
傑が顔を上げる。
「どっか行くところ、決めてる?」
「ホテルです」
「ホテルか。うん、それなら大丈夫だね」
職員は書類の端を確認する。
「本懐の遂行に必要な費用は、通常認められる範囲なら国から補償されるから」
「はい」
「宿泊費も対象になる場合があるから、領収書とかレシートはちゃんと取っておいてね」
「分かりました」
「本懐完了報告のときに必要になるから」
「はい」
それだけ言うと、職員は最後に頭を下げた。
「気をつけてね」
傑も小さく頭を下げた。
窓口を離れる。
認定証を握ったまま、少年は建物を出ていった。
16歳。
学校にも、家族にも知らせずに。
これから本懐を遂げるまで、誰にも会えない。
すべては法律に従って処理された。
傑は認定証をポケットにしまった。
そして、ホテルへ向かって歩き始めた。
〜本懐法 第20条〜
実行費用の補償
本懐の遂行に通常必要と認められる費用は、第10条の認定を受けた本懐実行者に対し、国がこれを補償する。
2 前項の補償は、本懐完了報告が受理された後に行うものとする。
3 資格を失効した本懐実行者については、実行費用の補償を行わない。




