第1話 染縁
※本作はフィクションです。
作中に登場する「本懐法」その他の法律・制度・行政手続等は作者による創作であり、実在する法律・制度ではありません。
また、実在する人物・団体・事件等とは一切関係ありません。
夜が深くなるほど、週末の繁華街は騒がしくなっていく。
ネオンが煌めき、酔客の笑い声が通りを行き交う。その一角に、数人の警察官が立っていた。
彼らが見つめているのは、一軒の高級クラブだった。
「中にいるのか?」
「はい。外には出てきてません」
「じゃ、行くか。令状は?」
「こちらです」
差し出された令状を確認し、先頭の警官が小さく頷いた。
「よし……入るぞ」
警察官たちは一斉に店へ入った。
「いらっしゃいませ……え?」
ドアを開けたボーイが、目の前に並ぶ警察官を見て固まった。
「お兄さん、ごめんねぇ。僕たちね、警察。オーナーさんか店長さん、いる?」
「えっと……ちょっと待ってください」
警察手帳を見せられたボーイは慌てて店の奥へ向かった。
ほどなくして、店長らしき男がやってくる。
「あー、警察の方?うちは法令遵守のいい店なんですけど?」
開口一番、店長は迷惑そうな顔をした。
「それは知ってるよ。おたくの店、長いもんね。風営法じゃないの。今日はね、これ」
警官は令状を店長に示した。
「今日は店の中にいる客に用があるんだ」
「それでもさぁ、面倒事は勘弁してほしいんですけどねぇ」
「あー、わかるよ。わかるわかる」
警官はそう言うと、パンッと一拍手を叩いた。
「用があるのは、客なんだよ」
そう言って、店内を見渡す。
店長もその視線を追った。
「……って言ってもねぇ?今日週末だし、結構お客さん入ってるんだよ?」
「わかってるけどね。こっちもようやく見つけたの。悪いね」
「店でやらないでよ。どっか外でやってくれない?」
「協力してくれないの?ねぇ、わかってる?ちょっとだけ、ね?勘弁してね」
そう言って警官が店長の肩をポン、と叩いた。
店長はしばらく警官の顔を見つめていたが、やがて小さく息を吐いた。
「……わかりましたよ」
しぶしぶ道をあける。
警察官たちは店内へ入っていった。
店の中がざわつく。
キャストたちは何事かと顔を見合わせ、客たちも酒を片手に警察官の姿を目で追っている。
そんな中、一人の警官が店内の奥へ視線を向けた。
そして、ある一角を見て顎をしゃくった。
「……あそこ」
そこでは、一人の客が女性キャストに絡んでいた。
「ちょっとお客さん、そういう触り方はダメ」
「じゃ、どういう触り方ならいいの?」
「ていうか、うちの店、そういう触ったりするとこじゃないですよ」
「えー?でも、お酒飲んだら楽しいしさぁ」
「わかるんだけどね。触りたかったら、そういうお店に行って」
「いいじゃん。ちょっとくらい」
そんなやり取りをしている。
男は、店内に警察官が何人も入ってきていることなど、まるで気にしていないようだった。
一人の警官が、そのテーブルへスタスタと近づいていく。
「お兄さん、ちょっといいかな?」
「なんだよ?……え?」
男は顔を上げた。
目の前に立つ明らかに店のボーイとは違う服装を見て、何かを察したようだ。
だが、その警官を見ても、状況の理解までは追いつかない。
「なに?触ったのがそんなに悪いわけ?みんなしてるだろう!」
「あー、いや。そっちじゃないんだよね」
「はぁ?」
警官は懐から令状を取り出した。
令状があるということは、何らかの事件の容疑者であるということだ。
つまり現行犯ではないのだ。
警官は令状を男の目の前に掲げる。
「剣持久良さんだね?」
男は令状を見た。
そして、警官の顔を見た。
ほんの一瞬だけ、表情が変わった。
「……ああ」
「うん、わかった?」
「……はい。……わかりました」
「うん。よし。行こうか」
久良は抵抗しなかった。
ゆっくりと立ち上がる。
警察官たちが周囲を囲む。
「剣持久良」
先ほどまでの軽い口調とは違い、警官の声が低くなる。
「湯島商事社内で岸本昭典さんを殺害し、金品を奪った強盗殺人の容疑で逮捕する」
店内の空気が、一瞬で変わった。
誰かが息を呑む。
久良は何も言わない。
ただ、前を見ている。
警官が続けて告げる。
「言い分は後で聞く。署まで同行しなさい」
久良は小さく頷いた。
「……はい」
手錠が取り出される。
金属が触れ合う乾いた音が、静まり返った店内に響いた。
「時間は?」
「22時53分」
「よし。22時53分、通常逮捕」
手錠が久良の手首にかけられた。
その瞬間、店内のあちこちから声が漏れた。
「マジか?人殺し?」
「あの人?」
「で、飲みに来てたの?」
「本気かよ……」
久良は、それらの声にも反応しなかった。
さっきまで絡んでいたキャストも、言葉を失ったまま久良を見つめている。
店長も、ただ迷惑そうな顔で立っていた。
警官の一人がそんな店長に近づいた。
「悪いね。迷惑かけて」
そう言って、警官はまた店長の肩をポンと叩く。
店長は何も言えなかった。
警官たちは久良を連れて店を出ていく。
外へ出ると、繁華街の喧騒が再び耳に入ってきた。
さっきまで店内で飲んでいたことが嘘のようだった。
久良は何も言わない。
パトカーに乗せられても、警察署へ向かう車内でも、俯くことはなかった。
泣くこともない。
喚くこともない。
言い訳もしない。
ただ、じっと前だけを見つめていた。




