第6話 孤道
検察への電話は何の変化ももたらさなかった。
(……何も、変わらない)
それからさらに数日が経った。
当然のように、検察庁からの連絡は一本たりともなかった。
控訴の期限も近づいてくる。
諦めきれない茜音は、何度も繰り返し同じ番号へ電話をかけ続けた。
だが、受話器の向こうから返ってくる答えは、いつも一言一句同じマニュアル通りの言葉だった。
『現在、確認中です』
『担当者からの連絡をお待ちください』
『現時点ではお答えできません』
何度電話をしても、何も変わらない。
やがて限界を迎えた茜音は、自宅を飛び出し、直接、検察庁の重い庁舎へと向かった。
受付のカウンターで、自分の名前を告げ、半年前のあの国会前のデモの熱中症事故について、早口で捲し立てた。
「以前、こちらに控訴を求める上申書を郵送したんです。それについて、ただの事務処理じゃなくて、担当の方から直接、今どういう状況なのかお話を伺いたくて………」
「申し訳ありませんが、個別の事件について、担当検察官との面会をこちらでお約束することはできません」
「でも、私、被害者の家族なんです」
「はい」
「父が死んだんです」
「……はい」
「どうして、何も教えてもらえないんですか?」
職員は困ったように眉を下げた。
「申し訳ありません。ですが、検察官がどのような判断をするかについて、こちらからお答えすることはできません」
「じゃあ、私が送った上申書はどうなるんですか!?ただのゴミとして捨てるんですか!?」
「受領され、所定の手続きに従って取り扱われます」
「それだけですか?紙切れ一枚として処理して、それだけなんですか?」
「……申し訳ありません」
茜音は突如として、激しい脱力感に襲われて黙り込んだ。
目の前にいる職員に怒鳴ったところで、何かが変わるわけではない。
それでも、どうしても納得できなかった。
「……まだ終わってないんです」
思わず口から出た。
職員は少し困ったような、哀れむような複雑な顔をして茜音を見つめた。
「……はい」
「父は死んだんです。まだ終わってないんです」
「……本間様。あのですね」
「なのに!どうしてみんな終わったことにするんですか?」
茜音は職員の制止の言葉を完全に遮るように言葉をまくし立てた。
ロビーにいた人たちが、関わり合いになりたくないという目で、ヒソヒソとこちらを見つめる。
職員はしばらくの間、何も言わずに黙って茜音を見つめていた。
そして、これ以上この押し問答を続けても無駄だと判断したように、静かな声で決定的な一言を放った。
「……お気持ちは、本当によくわかります」
「わかるなら!」
「ですが!」
職員も思わず声を強めた。
「刑事手続きとしては、すでに判決が出ておりますので」
その冷たい言葉の刃が、茜音の胸に突き刺さった。
刑事手続きとしてはもう判決が出ている。
それだけだった。
お父さんがどれだけ苦しんで死んだかも。
優が裁判所の外でどれほど軽薄に笑っていたかも。
あの日の地獄のような炎天下で、何が起きたのかも。
すべてが、行政の手続きの束の中に、綺麗に整理されて仕舞い込まれていた。
「……終わったんですか?」
職員は、ほんの少しだけ視線を下に目を伏せた。
「……はい。こちらとしては、すでに終了した事件として扱われています」
茜音は、もう何も言い返す言葉を持たなかった。
力なく踵を返し、検察庁の巨大なコンクリートの建物を脱出する。
一歩外へ出ると、そこは、あのお父さんの命を奪ったまばゆい真夏の太陽の光などどこにもない、皮膚を刺すような冷たい冬の風が吹き荒れる世界だった。
頬に当たる乾いた風が痛い。
茜音は、他人の波に紛れ、誰も自分の悲しみなんて知らない冷たい道を、独りきりで歩き続けた。
(終わった……?)
お父さんは死んだ。
家には、もうお父さんはいない。
仏壇には、父親の写真が置かれている。
それなのに。
(……まだ終わってないのに)
茜音は、誰にも聞こえない声で、そう呟いた。




