↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
31/89

第4話 横道

※本作はフィクションです。

作中に登場する「本懐法」その他の法律・制度・行政手続等は作者による創作であり、実在する法律・制度ではありません。

また、実在する人物・団体・事件等とは一切関係ありません。



あの炎天下の惨劇から、半年という時間が流れていた。

楠本優は、『業務上過失致死傷罪』で起訴され、第一審の判決が下された。


業務上過失傷害罪、これは通常裁判となる。

裁判員裁判でのみ、本懐法は適用される。

つまり、それは司法の場において、本懐法の制度外であることを意味していた。


法廷の冷たい空気の中で、検察と弁護側の双方が並べ立てた内容は、どこまでも事務的で、どこまでも他人事だった。


・事件前日までに、天気予報で当日の気温が37度を超える酷暑になることは十分に予測可能だったこと。

・水分補給や体調管理の安全対策を一切講じず、すべて参加者の自己責任に丸投げしていたこと。

・主催者とされた優はSNSでデモへの参加を呼びかけてはいたものの、個人の拡散力において、これほどの大規模な群衆が集結することまでは法的に予測困難であったこと。

・初犯であり、警察にも協力的であったこと。


これらが天秤にかけられ、


「主文、被告人を懲役1年に処する。この判決確定の日から3年間、その刑の執行を猶予する」


優に下されたのは、この判決だった。


「ったくもう!本当にやんなっちゃう!」


裁判所を出て、冬の冷たい空気の中に飛び出すなり、楠本優は不快そうに声を荒らげて、隣を歩いていた矢木充彦の膝裏に、容赦なく蹴りを叩き込んだ。


「いった!痛てぇな!え、何?なんで俺が蹴られんの!?」


充彦は自分の膝裏を押さえ、派手に顔を歪めながら困惑の表情で優を振り返った。


「執行猶予ってことは何?どういうこと?めんどくさいんだけど!」

「あー……まあ要するに、しばらくの間は大人しくして、これ以上悪いことすんなってことじゃね?」


法律の知識など、朧気という言葉すら霞むほどに持ち合わせていない二人は、人が死んだ裁判の直後だというのに、まるで学校の居残りの帰りのように軽口を叩きながら歩いていく。


「悪いことってなによ?あたし、何か悪いことしたっていうの?」


優にとって、今回の一件はその程度の認識でしかなかった。彼女の頭の中にあるのは、自分のスマートフォンに遺された、あの間延びした過去の配信動画の記憶だけだ。


『おはよー!今度、国会議事堂の前で本懐法反対デモやりまーす!』

『当日はめちゃくちゃ暑くなるっぽいから、みんな水分補給は忘れずにねぇ~』

『みんなでいっぱい集まって、国会前を埋め尽くしちゃいましょー!』


そんな、呼びかけの画面に釣られて、勝手に集まって、熱中症でバタバタと倒れて死んでいった被害者たち。


「あたし、動画の中でちゃんと『暑くなるよ』って言ったしさ、みんなに『水分補給してね』って優しく注意してあげたじゃん。何が不満なわけ?」


そう言って口を尖らせて不満をぶちまける優の横顔に、亡くなった二人の命に対する反省の色など、最初から一欠片も見えなかった。彼女にとって、植木勉の命の重さなど、画面の向こう側の記号でしかなかったのだ。


「だいたいさ!もう本当にどうでもいいから!本懐法とか!あたしには賛成も反対も関係ないっつーの!」

「ちょっ、ちょっと優さん!声が大きいって!ここ裁判所!どこで誰に聞かれてるか分からないんだからさ!」

「うるさいわね!」


優は自分の不機嫌をぶつけるように、充彦の肩を拳で乱暴に殴りつけた。


「頼むからやめてよ、こんなみっともないとこ誰かに動画に写されたら、フォロワーが一気に離れるから!」


充彦がカメラを庇いながら必死にそう言って宥めると、優はチッと舌打ちをして、やっと拳を収めた。


「はぁ……もう最悪。あのデモの企画さ、あたしの中では、こんな予定じゃなかったんだけどな」

「まあでも、落ち込まないでよ優さん。ほら、これ見て。あの当日のデモの炎上動画、ネットでの再生数が過去最高を更新してるから」


充彦が、歩きながらスマートフォンの画面を優の目の前に突きつけた。


「知ってるわよ。あれから、あたしだって何度も何度も自分の動画チェックしたもん。……でも、もう数字の動きも止まってきたし、ぶっちゃけ見飽きちゃった」


他人の命が擦り潰され、家族が一生消えない傷を負った惨劇。

それが、この彼女にとっては、ただの「消費し尽くして飽きた過去のコンテンツ」に過ぎないのだ。


そんな軽口を叩きながら、笑って歩いていく二人の背中。

その様子を、裁判所のロビーの片隅、薄暗い柱の影から、傍聴に来ていた本間茜音が、全身の血が凍りついたような表情で唖然として見つめていた。


(あんな……あんなやつらのせいで……お父さんは………?)


茜音は真っ白になった頭の中を整理できずに立ち尽くした。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。