第3話 孝道
※本作はフィクションです。
作中に登場する「本懐法」その他の法律・制度・行政手続等は作者による創作であり、実在する法律・制度ではありません。
また、実在する人物・団体・事件等とは一切関係ありません。
ポクポクポクポク――。
静まり返った斎場に、一定の狂いのないテンポで木魚の音が響き渡り、厳かな読経の声が続いていく。
急逝した植木勉の葬儀は、親族とわずかな近所の人々だけを集めてしめやかに執り行われていた。
祭壇の中央で、生前と変わらない穏やかな笑みを浮かべる父親の遺影を、茜音はただ、涙の枯れ果てた目で見つめ続けていた。
だが、そんな厳粛な空間であっても、参列者たちの好奇の口を完全に塞ぐことはできなかった。
焼香を待つ列のあちこちから、頭を寄せ合うようにして、小さく、けれど確実に茜音の耳に届く音量で、コソコソとした小声での会話がチラホラと聞こえていた。
(ほら、例の国会前の事故だって。大変だったねぇ)
(なんかあったの?事故って?)
(あんた知らないの?熱中症で人がバタバタ倒れたって、テレビのニュースでやってたじゃないよ)
(うちはテレビないから、全然知らなかったわ)
(ネットニュースでも何でもいいから見ときなさいよ。今、大騒ぎなんだから)
誰も、死んだ勉の生前の人柄や、遺された家族の断腸の思いなんて見てはいなかった。
(……ねぇ、植木さんのところ、やっぱり本懐の申請、出すのかね?)
(そりゃあ出すでしょ。殺されてるようなもんだし)
(でも、私は自分の身内が死んでも、さすがに人殺しはしないかもなぁ)
(うーん、私は子どもが同じ目に遭ったら、出すか出さないか本気で悩むかなぁ……)
無責任に品定めをするそんな声を、本間茜音は拳を白くなるまで強く握りしめながら、ただ黙って聞いていた。
喉の奥から、煮え繰り返るような激情が湧き上がってくる。
(しません……!申請なんて絶対にしません!あんな悪法のお世話になんてなりません!)
そう心の中で固く固く念じながら、葬儀の全行程は終わった。
私は自分の手も、お父さんの名誉も汚さない。それが、お父さんへの最高の親孝行のはずだ。
茜音はそう思っていた。
やがて全ての法要と納骨の儀式を終えた茜音は、遺骨のなくなった冷たい自宅へと、母親の和子と共に帰ってきた。
「はぁ……、流石にくたびれたねぇ」
無言で玄関のドアを開けた茜音の背中に向けて、後ろから入ってきた和子が、絞り出すような声でそう漏らした。
数日の間に、母親の背中もずいぶん小さくなってしまったように思えた。
「お母さん……本当に、ごめんなさい。私が無理にお父さんを……」
「何回同じことを謝るんだい、この子は。しつこいよ」
和子は少しぶっきらぼうに、けれど優しい目で茜音を見つめた。
「あれはね、お父さんが自分で『行く』って決めて、あんたに付き添ったんだよ。誰のせいでもない、あんたのせいじゃない。もうその話はおしまい」
和子はそう言って茜音の肩を軽く小突き、追い越すようにして先に靴を脱ぐと、さっさと居間の奥の中へと消えてしまった。
娘にそれ以上の十字架を背負わせたくないという、母親なりの優しさだった。
「ばーば!っかいりー!」
その時、廊下の奥から、まだ舌っ足らずで幼い、息子の颯の声が響いてきた。
「ママ!っかいり!」
タタタと小さな足音を響かせ、玄関からまだ動けずに立ち尽くしていた茜音の足元へ、颯が満面の笑顔で飛びついてきた。
その小さな温もりが、茜音の凍りついた心を微かに溶かす。
「はい。ただいま、颯くん……」
茜音はその場にしゃがみ込み、我が子を壊れ物を扱うように抱きしめると、小さな頭を手のひらでグシグシと何度も撫で回した。
この子の前でだけは、どんなに辛くても、悲しそうな顔を見せるわけにはいかない。
強い母親でいなければ。
そう心に強く言い聞かせ、涙を拭って颯を両腕でしっかりと抱き上げる。
「颯くんは、ちゃんとお留守番、いい子にしてできたかな?」
「うん!いっぱい遊んだよ!」
そんな他愛のない会話をしながら、颯を抱いて居間へと入っていく。
「おお、おかえり。大変だったなぁ」
そうやってソファで出迎えたのは、隣の家に住む、幼馴染の千葉茂治だった。
茜音たちの留守の間、颯の面倒を見ていてくれたのだ。
「シゲ、本当にありがとう。颯、いい子にしてた?」
「そりゃあいい子にしてたさ。これ見てみろよ」
茂治がニコニコして指差した先には、居間の床一面に派手に散らばったミニカーやブロックの玩具の数々が転がっていた。相当暴れて遊んだのだろう。
「あら、お帰りなさい。本当に疲れたでしょ?」
そこへ、台所の方からパタパタと足音を立てて入ってきたのは、茂治の奥さんである千葉里美だった。
「ごめんなさいね、片付けも途中で。うちの恵介がぐずって、さっきうとうとし始めたから、ちょっとあっちの和室の部屋、借りて寝かせてるね」
どうやら里美は、自身のまだ息子を隣の部屋で寝かしつけてきたばかりのようだった。
幼馴染夫婦の変わらない日常の温もりが、家の中に満ちていく。
『──続いてのニュースです。先日の、国会前で行われた本懐法反対デモにおける、熱中症事故の続報です』
不意に、居間のテレビのスピーカーから、あの忌まわしい出来事を告げるアナウンサーの無機質な声が流れ出してきた。
画面には、炎天下でバタバタと救急車に運び込まれる人々の、あの日の凄惨な映像が映し出される。
『警察の調べによりますと、デモの主催者であり、過失致死の疑いで逮捕されたインフルエンサーの楠本優容疑者は、容疑を全面的に認め、警察の捜査に対しても非常に協力的であるとのことです──』
画面の向こう、留置所から移送される楠本優の、どこか他人事のような、中途半端に反省したふりを見せる顔がアップになる。
「なぁ、茜音。これってさ……事故になるわけ?事件?」
テレビをじっと見つめていた茂治が、ふと、疑問に思ったことを悪気なくテレビを指さして言った。
本懐法が適用されるような「凶悪事件」なのか、それともただの「不運な過失事故」なのか。その境界線を、世間はみんな気にしているのだ。
「……そんなの、どっちでもいいでしょ!?」
それまで身体を強張らせ、食い入るように画面を見つめていた茜音が、突如として裂くような大声を張り上げた。
あまりの激しい母親の怒声に驚き、抱えられていた颯の顔が一瞬で歪み、うわあんと大声で泣き出してしまった。
「あ……ごめん、颯、ごめんね……。颯くんも、もうねんねしようね、あっち行こうね……」
茜音は自分の取り乱した姿を隠すようにして、泣き叫ぶ颯をきつく抱きしめると、茂治たちに背を向けて、逃げるように居間を出てバタンと引き戸を閉めた。
薄暗い寝室へ向かう廊下を歩きながら、茜音は歯を激しく食いしばり、悔し涙を床にボタボタと零した。
(事故だとか、事件だとか、どっちでもいい!うちのお父さんの死には1ミリも関係ないんだから……!お父さんはくだらない遊び道具になんて絶対にならない!)




