第2話 非道
※本作はフィクションです。
作中に登場する「本懐法」その他の法律・制度・行政手続等は作者による創作であり、実在する法律・制度ではありません。
また、実在する人物・団体・事件等とは一切関係ありません。
「お父さん!聞こえる!?お父さん、しっかりして!」
ピーポーピーポーと、けたたましく鳴り響くサイレンの音に包まれた救急車の車内。
本間茜音は、ストレッチャーの上に横たわり、意識を失って荒い呼吸を繰り返す父親の胸にすがりつきながら、必死に声を掛け続けていた。
茜音はその日、父の植木勉の腕を引いて、あの国会前の反対デモに参加していた。
彼女は普段から、国家が復讐を公認する本懐法に対して、反対の立場を取っていた。
楠本優が持っていたことに触発されて、事前に『本懐放棄意思表示カード』という書類を国に申請して取得していたほどだった。
〜本懐法 第7条の2〜
申請の不受理
第6条に規定する機関は、本条各項に定める事由(以下「不受理事由」という。)のいずれかに該当すると認めるときは、本懐の申請を不受理とする決定を行う。
2 不受理事由は、次に掲げる各号のいずれかとする。
一 申請内容が、第2条に規定する内容に整合せず、明確に均衡を失するとき。
二 申請者が、第4条に規定する者のうち、次のいずれかに該当する者であるとき。
イ 逮捕状の発付を受けている者
ロ 勾留中である者(代用監獄を含む。)
ハ 公訴提起されている者
ニ 公判中である者(第一審、第二審、第三審のいずれにおいても。)
ホ いずれかの事件において、一度でも本懐対象者として認定された者
ヘ 第25条で定める妨害行為を行って処罰された者
三 被害者が、生前に本懐の申請を希望しない旨を書面で届け出たとき(以下、本項の届出による被害者を「本懐放棄意思表示者」という。)。
イ 本懐放棄意思表示者の持つ「本懐放棄意思表示カード」は、省令で定める規定により発行される。
勉自身は、この『意思表示カード』など持ってはいなかった。
それどころか、本懐法という制度そのものに、生前はこれっぽっちも興味を持っていなかったのだ。
ただ「なんだか厄介な法律ができた」くらいの薄いイメージしか頭になく、ただ、熱心に正義感を燃やす三女の茜音に頼み込まれ、根負けして付き添うような形でデモについて来ていただけだった。
勉は加齢による体力の低下で、犯罪に巻き込まれるどころか、近所の散歩に出かけることすら億劫になっていたような人間だ。
何か凶悪犯に狙われるような莫大な財産があるわけでもない。
だから自分たちのような平凡な市民にとって、本懐法なんて一生縁のない、そこまで重要な法律ではないと思い込んでいたのだ。
「私が……私が無理に誘ったから……お父さんを、こんな目に……!」
点滴の管に繋がれた父親の顔を見つめ、激しい後悔の涙を流す茜音に対し、救命救急隊員が機器を確認しながら、落ち着かせるように声をかける。
「もうちょっとで病院に着きますからね。しっかりしてください」
茜音はいわゆる、実家への「出戻り」だった。
三人姉妹の三女として植木家に生まれ、一度は結婚して家を出たものの、数年前に幼い我が子を一人連れて、離婚して実家へと転がり込んできた。
世間体の悪さに肩を身を狭くする茜音に対し、不器用な勉は、何も言わずに温かい食事を用意して待っていてくれた。
次の仕事がなかなか見つからない時期も、急かす風でもなく、ただ無言で温かく見守ってくれていた。
思い出すのは、いつだって口数は少ないけれど、自分と孫を深い愛で包んでくれた優しい父親の思い出。
そして炎天下に連れ出した後悔だった。
「ごめん……ごめんなさい、お父さん……っ」
病院に到着した後、ストレッチャーはそのまま緊迫した処置室へと運び込まれ、医師らによる必死の救命処置が始められた。しかし、茜音の祈りは届かなかった。
熱中症による重度の多臓器不全。
勉は病院への搬送からわずか3時間後、一度も目を覚ますことなく、静かに息を引き取った。
この国会前での熱中症事故は、マスコミによって瞬く間に大々的に報道され、SNSは大炎上した。
そして、主催者として、楠本優が警察に逮捕され、正式に起訴された。
国家が彼女に突きつけた罪状は――『業務上過失致死傷罪』。
ニュースの画面の向こうには、逮捕されてもなお「あたしは悪くない」と言いたげな顔でカメラを見つめる優の姿があった。




