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第3話 塵縛

※本作はフィクションです。

作中に登場する「本懐法」その他の法律・制度・行政手続等は作者による創作であり、実在する法律・制度ではありません。

また、実在する人物・団体・事件等とは一切関係ありません。



「愛理ちゃんのこと、本当に、なんて声をかけたらいいのか………」

「あんなに良い子が、どうしてこんな目に………」

「でもね、本当によかったわ、あなたのとこじゃなくて」

「あら、あなたこそ、まだ小さいお子さんがいるのに心配で……」

「いいえ、とんでもない。うちの子はそんな遠いとこは行きませんから」


黒い喪服に身を包んだ近所の連中が、哀れみの目を向けながら口々に言う。

その言葉の端々には、同情の裏に張り付いた「自分じゃなくてよかった」という安堵と、どこか好奇の視線が混ざり合っているように思えてならなかった。


愛理の葬儀は、慎介の頭が痺れたまま、ただ淡々と進められた。

まるで、こんな凄惨な事件など、最初から何もなかったかのように、読経だけが無機質に響く。

大学の友達、高校の友達、近所のみんな。

祭壇に飾られた、まだあどけなさの残る愛理の遺影を見上げて、彼女を知る人は皆うつむき、静かに涙を流していた。


「犯人はすぐに見つかる。警察を舐めないで。必ず逮捕されるから」


美冬は、通夜の席で、自身の制服の袖で涙を拭いながら、震える声でそう言っていた。

警察官としてのプライドと、妹を奪われた姉としての怒りが、彼女の若い肩を激しく揺らしていた。


美冬の言葉通り、事実、犯人はすぐに網に引っかかった。


丸山悟。


その男が逮捕され、愛理への強姦致死罪で裁判が始まった。


しかし、その裁判は、通常よりも遥かに早く結審した。

司法が被害者のために迅速に動いたわけではない。


テレビ画面の中で、ワイドショーの司会者がフリップを叩きながら声を張る。


『かなり駆け足の裁判日程でしたね』

『やはり、「本懐法」の国民投票が控えているからでしょうか?』

『重大事件ですからね。世間の関心も、司法のスピードを追い越してしまっています』


報道番組は、他人の家庭の悲劇を格好の燃料にして、そうやっておもしろおかしく囃し立てた。

画面が切り替わり、有識者と言われるスーツ姿の男が、これ見よがしに顎に手を当てる。


『ええ、まぁ国民投票というか、んーー、でも間違いなく今回のケースは、本懐対象者として認定されると思いますよ、この犯人は』

『そうでしょうね。丸山被告は未成年だった頃にも、別の女性への強姦で少年院送致されてますからね』

『そうなんですよ。完全に再犯、というか、凶悪犯になっていますからね』

『そうですよね。それでは視聴者の皆様、国民投票を行う際の注意点、さらには今回の事件の凄惨な概要をもう一度お伝えします。手元のアプリで投票する際の参考にしてください』


スタジオのスピーカーから、おどろおどろしい効果音が鳴り響く。

そうやって彼らは、世間を狂ったように騒がせた。


愛理がどうやって襲われ、どうやって命を乞うたのか。

そんな事件の概要など、一秒たりとも聞いていたくなかった。


不快感に耐えかねてチャンネルを変えても、どのニュースも、どの情報番組も、右へ倣えで同じことばかりを垂れ流していた。


『下川愛理さんの事件で……』

『改めて、亡くなった下川さんの足跡を辿ると……』

『事件の現場となった薄暗い路地からは……』


この国のメディアは、他にやることがないのか。

テレビの向こうの人間たちにとって、愛理の死はただの「数字が稼げるニュース」でしかなかった。

家族で過ごすはずのリビングには、慎介だけがいた。


愛理は、見ず知らずの男につけ回され、その汚い手で強姦され、冷たいアスファルトの上で殺されたのだ。

それを誰も見ていない。


数日後、再びテレビの画面が明滅し、速報テロップが躍った。


『国民投票の結果が出ました!認定です!丸山悟が、本懐対象者に認定されました!』


スタジオのアナウンサーが、まるでスポーツの国際試合で日本が勝ったかのように声を弾ませ、テレビはまた騒ぎ始める。


『裁判とは違う、世間の「裁き」がまた一つ下りましたね』

『そのようですね。まぁ、この件は遺族の感情を考えれば当然の報い、救済の形と言えるでしょう…………』


コメンテーターたちが、当事者でもないくせに、これ以上ないほど知った口を叩いて頷き合っている。

スマートフォンを片手に、ゲーム感覚で「承認」のボタンをタップした何百万もの見ず知らずの国民。

その悪意なき娯楽が、一つの殺人を合法化したのだ。


慎介は、手元のリモコンをテレビ画面に投げつけたい衝動を、かろうじて抑え込んだ。

喉の奥から、乾いた声が漏れる。


「…………お前たちが、愛理のなにを知ってるんだ?」


誰も、愛理がどれだけ笑う子だったかを知らない。

誰も、愛理の未来がどれほど眩しかったかを知らない。


ただ、システムの中で「救済」という綺麗事に紛れ、消費されていくだけだ。



〜本懐法 第17条〜

対象者の認定

裁判員1人につき1票の投票権を持つ。

無効票は否認とする。

国民投票で1票。

国民投票は実名で行われる。

その国民投票の中から無作為に選んだ3票。

合計10票のうち、7票以上で対象者として認定される。

国民投票はスマホアプリで行われる。



数字とロジックだけで組み立てられた「合法的な復讐」の歯車。

国民のタップ一つが、遺族に「人殺しの権利」を押し付ける。

そのグロテスクな現実を突きつけられたまま、慎介はただ、暗いリビングで独り、拳を強く握りしめていた。


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